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令和の人材確保法

 昭和47年7月に田中角栄内閣が発足して間もないころだ。
 田中首相が後藤田正晴官房副長官を呼び、
 「後藤田君、この頃の学校教員の資質が悪いよ。学校教員に少しいい人が来るようにしてくれ」
と指示した。
 後藤田氏が方法を問うと、田中氏は
 「待遇を良くしてやらなければいいものは来ないよ」
 待遇改善を大学からやるのかと聞くと
 「大学はどうでもいい。小学校と中学校だ。義務教育だけでいいよ」
 田中氏は最初、小中学校の教員給与を5割引き上げるよう命じたが、後藤田氏が
 「それは無理です。まあせいぜい3割です」
と述べると、田中氏はあっさり
 「ああ、よかろう」
と了承したという。
 後藤田氏が『情と理~後藤田正晴回顧録』(講談社)に記している。

 田中氏はこの後、当時、大蔵省主計局長で、後に経企庁長官となる相沢英之氏を首相官邸に呼び、
 「学校教育で一番大切なのは義務教育だよ。小中学校の教育をしっかりやればいい。それにはいい先生を集めなければならない。そのためには月給を高くしなければならない。一般公務員よりも先生の給料を3割高くしろ」
と命じた。
 こうして田中内閣は教員人材確保法を作った。
 これによって教員の給与は基本給が12%、諸手当を含めれば25%上昇した。
 それまでは給与が安いために
 「先生にデモなろうか」
 「先生にシカなれない」ため
 「デモシカ先生」などと呼ばれたこともあったが、給与が上がると優秀な人材が集まるようになった。

 人材確保法制定から45年。
 一時は一般行政職より教育職の方が給与は大幅に高かったが、最近はほとんど同じになった。
 教員には時間外勤務手当がない。
 新潟県でも教員の3割近くが毎月平均60時間を超える時間外勤務を行っているが、どれだけ残業しようと支給されるのは一律4%の教職調整額だけだ。
 この結果、県が行った今春採用の教員採用試験の競争倍率は中学校が2・3倍、小学校はわずか1・2倍にとどまった。
 保護者が異常な要求を突き付けてくるモンスターペアレンツ問題などもある。
 神戸市では教員間のいじめまで発覚した。
 角さんがいれば
 「令和の人材確保法を作れ」
 と命じているかもしれない。

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