« 2019年08月 | メイン | 2019年10月 »

2019年09月30日

最優先課題は救命救急

 厚労省が「再編統合について特に議論が必要」な公的病院を公表した。
 公的病院とは、県立などの公立病院と、済生会や厚生連など公的団体が運営母体の病院のことだ。
 新潟県内には41の公的病院があるが、厚労省はその半数以上の22病院について「議論が必要」という。

 県央では県立の吉田病院と加茂病院、厚生連三条総合病院が対象となった。
 3病院ともにがん、心血管疾患、脳卒中、救急医療、小児医療、周産期医療、災害医療、へき地医療、研修・派遣機能のいずれも「診療実績が特に少ない」に分類された。
 厚労省は対象病院に対して病床数や診療体制などを検証し、来年9月までに再編統合について結論を出すよう求めている。


 厚生連三条総合病院と燕労災病院はすでに再編統合し、救命救急センターを併設した県央基幹病院を整備することになっている。
 その県央基幹病院について、花角英世知事は県の財政が危機的状況になったことを機に「医療需要の減少や国の医療制度改革の影響など、基本計画策定時からの状況変化を踏まえた検証が必要」と指摘、地域医療調整会議で議論し、年内に結論を出すことにしている。
 同時に「地域の基幹的な病院と他の医療機関の連携を深め、相互補完の中で地域の医療ニーズに地域内で応えられる体制づくりに取り組む」とも述べている。
 地域とは県内に7つある二次医療圏のことだ。県央医療圏も圏内のニーズに応えられる医療体制が必要という意味だ。


 知事が地域医療調整会議に求めている議論は「県央医療圏に必要な医療機能や、民間病院との役割分担を踏まえた県央基幹病院、加茂及び吉田病院の機能と規模等について」だ。
 基幹病院単体ではなく、加茂、吉田両県立病院も含めた機能や規模を検討することだ。
 その議論を始めたところで厚労省が加茂、吉田病院の再編や統合を検討するよう求めたわけだ。
 県央は、二次医療圏内で対応できていない救命救急ニーズなどを強化するため基幹病院に公的病院を集約すべきなのか、再編統合を拒否して、いままで通り救急患者は搬送に時間がかかっても新潟市や長岡市の病院に頼んでなんとか受け入れてもらうべきなのか。
 「県央にも救命救急センターを」。何十年も前から求め続けられてきた地域住民の切なる願いを実現することこそが最優先課題だ。

2019年09月25日

ふるさとNO税

 久しぶりにスカッとする判断を国の第三者機関が示してくれた。
 ふるさと納税制度をめぐり、総務省の言いなりにならない市町村に対する同省の傲慢な態度を、国の第三者機関「国地方係争処理委員会」が不当と認めたのだ。
 ふるさと納税は、自分が住んでいる地域以外の都道府県や市町村に寄付をすると、それに見合った金額が住民税や所得税から控除される制度。納税先を自分で選ぶことができる仕組みということもできる。
 生まれ故郷や被災地などを応援するための制度だが、民間企業のように競争によって市場が拡大するわけではない。
 住民税や所得税の奪い合いは、どこかが増えればどこかが減るゼロサムゲーム。
 分捕り合戦は過熱し、A市は寄付額の5割、B町は7割、C市は9割相当の返礼品を用意するようになった。


 総務省は税の受益者負担の原則を蔑ろにし、競争をあおるような制度を作っておきながら、自治体に「返礼品は寄付額の3割以下の地場産品」とするよう求めた。
 この通知は法的な強制力のない「助言」で、自治体には従う義務がない。
 無視した自治体も多かったため、国は地方税法を改正。ことし6月から総務省が対象自治体を指定する新制度に改めた。
 その際、法施行前の昨年11月時点で通知に従っていなかった大阪府泉佐野市など4市町を新制度の対象から除外、三条市など43市町村は指定期間を4か月に限り、その後は状況を見て判断することにした。


 「国の言うことを聞かないと痛い目に遭うぞ」という、いわゆる見せしめだ。
 これに反発した泉佐野市が国地方係争処理委員会に審査を求めた。
 同委員会は泉佐野市の主張を認め、総務省の決定を「不当」と認定、総務相に再検討するよう勧告した。


 平成12年の地方分権一括法施行で国と地方はそれまでの上下、主従から対等、協力関係に変わった。
 総務省は地方分権の推進役であるはずなのに、ふるさと納税をめぐって市町村に示した高圧的態度は、まるで分権から中央集権に時代が逆戻りしたかのようだった。

 総務省は「地域エゴだ」などと市町村に責任転嫁するのをやめ、自らの制度設計が甘かったことを素直に認め、制度を見直すべきではないだろうか。

2019年09月19日

文化の丁字路

 「文化の丁字路~西と東が出会う新潟」。
 北前船によってもたらされた上方文化と、佐渡の金銀の運搬のために整備された陸路で伝わった江戸文化が出会った地が新潟だというのが16日に開会した第34回国民文化祭・にいがた2019、第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会のテーマだ。
 西からの文化で代表的なのが佐渡に流された世阿弥の能や柏崎の綾子舞、東は片貝の木遣りなどだ。
 「丁」の字を傾ければ「人」になる。
 東西の文化が交差、融合し、新潟が育んだ「人の文化」をこの文化祭を機に世界や未来に発信していこうというイベントだ。

 人種のるつぼとかサラダボウルと呼ばれている米国の玄関口、ニューヨークには世界中の文化が集まる。
 丁字路というよりロータリー。
 その中心部が一時期、スラム化し、犯罪者の巣窟のようになった。
 ニューヨーク市は地価が下がったこの地域に高層アパートを建てた。
 家賃は格安の年一ドル。
 入居条件は「演劇関係者に限る」。
 その結果、俳優やダンサー、演出家、作曲家から美術や大道具などの裏方関係者たちが続々と集まった。
 演劇関係者たちは夜中まで打ち合わせや練習を続ける。
 そうした人たちを相手にするレストランやバーが開業する。
 荒れ放題だった空き家が稽古場に変わり、周辺のアパートやマンションには他の芸術家や演劇ファンたちも住むようになった。
 こうして廃墟に近かった地域が文化によって生まれ変わり、地価は上昇した。
 市は残っていた市有地を高値で売却し、高層アパート建築などの投資額を回収した。

 ニューヨーク市が図書館を新築した際には、古くなった図書館を大小の劇場と映画館を備えたパブリックシアターに改装し、劇団に貸し出した。
 ここから『コーラスライン』などの有名ミュージカルが誕生、国内外から観客が集まるようになった。
 市は芝居やミュージカルを見るため市内のホテルに泊まる客から宿泊税を徴収。
 図書館改装などに投じた資金を回収した。
 ニューヨークは演劇だった。
 「文化の丁字路」である新潟は、どんな文化をどんな方法で地域づくりに生かしていくべきなのだろう。

2019年09月17日

線香花火

 義理の母の法事に出た。
 読経や焼香を終えると70代の住職が線香花火の話をしてくれた。
 近年、線香花火はコスト面から中国産が主流となっているが、日本で生まれ育った日本的な美意識にあふれているのだという。
 外国の花火は色や勢いは派手でも、最初から最後まで一本調子が多い。線香花火には着火から終わりまでに四つの状態がある。
 点火すると、火薬はこれから先のエネルギーの放出に備えてブルブルと小刻みに震えながら赤く、丸い火の玉を作り、それを徐々に大きくして力を蓄えていく。この状態を「つぼみ」と呼ぶそうだ。
 ある程度の時間をかけて静かに準備を整えると、短めの火花をバチッ、バチッと力強く飛ばし始める。火花が四方八方に飛び始めた状態を「牡丹」という。
 やがて火花は勢いを増し、飛び出す間隔も短くなる。三つ、四つに割れた長めの火花がババババッとあちこちに飛び散る状態が「松葉」。
 大量のエネルギーを使った後は火花も短くなり、飛び散り方もパッ、パッと間隔が開く。この状態が「散り菊」。
 最後は小さくなった火の玉がポトリと落ち、あるいは落ちないまま熱を失い、0.08gの火薬によるショーは幕を閉じる。

 物理学者で随筆家だった寺田寅彦も「線香花火の一本の燃え方には、『序破急』があり『起承転結』があり、詩があり音楽がある」と書いている。
 住職は「なんだか人生のようでしょう。生まれてから子どものころまでは人生の準備期間のような『つぼみ』、青春時代は元気で華やかな『牡丹』、仕事や家庭などで力を発揮する実年世代が『松葉』、そして老年期が『散り菊』。ただ線香花火の火の玉がいつ落ちるのかは分かりません。『つぼみ』で落ちることもあれば、『牡丹』で落ちることもある。風が吹いて落ちることもあれば、隣の人とぶつかった腕が揺れて落ちることもあります。因果は予測できません。諸行無常です」と説いた。
 仏教用語の因果や諸行無常の深い意味までは理解できなかったが、線香花火からいろいろな人生があることは感じた。
 通夜式などでは退屈な法話もあるが、僧侶としっかり向き合って聴く法話はやはりありがたいものだった。

2019年09月10日

姪の結婚式

 姪の結婚式に出席した。
 新潟市内の病院で看護師をしている23歳。
 招待する友人たちの都合を考えたのだろう、新潟市の会場で式を挙げた。
白いウエディングドレスの姪っ子は、別人のように大人びていた。先日まで幼さが残っていたのに、しぐさも笑顔も、すっかり「花嫁」だった。
 この日のために、好きなラーメンも我慢してダイエットに励んだというウエストを見る限り、話題の政治家とアナウンサーのカップルのようなできちゃった婚ではなさそうだった。

 叔父の立場で出席する結婚式は楽しい。
 父親のように緊張することもなければ、友人のように「盛り上げなきゃ」と頑張る必要もない。
 気を遣わなければならない取引先や会社の上司もいない。
 「お飲み物は?」というウエイターに「このカクテル、上から順番に全部ね」と頼んでも、妻に「アホ」と言われるだけで済む。
 新郎新婦を冷かす友人たちの様子を眺めながら、ひたすら飲んで食べていればいいのだ。
 若かったころ、友人の結婚式で親族席のおじさんが泥酔していた。
 いま、あのおじさんたちの気持ちがよく分かる。

 とはいえ昔と今では結婚式のスタイルがまったく違う。
 姪の披露宴には、仲人どころか来賓もいなかった。
 新郎自身の「本日はお忙しいところ、僕たちの結婚式にご出席くださり、ありがとうございました。きょうはたっぷり楽しんでいってください。では、乾杯!」で開宴した。
 来賓がいないのだから「新郎は真面目で誠実な好青年」「新婦は優しく穏やかな才女」という、友人たちが「まあ、今日だけはそういうことにしておこう」と目で合図しあう祝辞もなかった。
 スピーチは友人代表だけ。
 余興もカラオケなどはなく、友人たちによる迷演技で爆笑を誘う、凝った映像の上映が続いた。

 最近は神職による神前結婚も、僧侶による仏前結婚も減っているらしい。
 姪の式でも牧師が司祭を務め、我々も讃美歌を歌わされた。
 親族はみな仏教徒なのに、アーメン。
 正月は神社に初詣に出かけ、バレンタインデーにはチョコをプレゼントし、盆は墓参りに行き、クリスマスにはケーキを食べ、結婚式では牧師を前に愛を誓う。融通無碍というべきか、いい加減というべきか。

2019年09月07日

子どもたちを守るために

 悲惨な児童虐待死事件が起きるたびに児童相談所や関係行政機関の対応が問題になる。
 昨年3月、東京都目黒区で5歳の女児が父親に殺された。この家族が以前住んでいた香川県の児童相談所は危険性を把握していたのに、都内の児童相談所への引き継ぎが悪く、事件を防げなかった。
ことし1月には千葉県野田市で10歳の女児が父親に殺された。児童相談所は虐待の事実を把握していたのに一時保護を解除、結果的にそれが惨劇につながった。
鹿児島県出水市で4歳の女児が母親の交際相手の男に殺された先月の事件では、出水市や薩摩川内市、警察と児童相談所の間で連携ミスが分かっている。

 児童相談所は都道府県や政令指定都市が設置している。
 児童福祉法は児童虐待などに関する市町村の業務を「児童等の実情の把握、情報提供、相談、指導」と定め、専門的知識、技術は「児童相談所に助言を求める」ことになっている。
 児童虐待などの実情把握に努めること、県などに必要な情報提供を行うこと、家庭などからの相談に応じ、調査や指導を行うことが市町村の仕事だ。
 一方、専門的な相談や調査、判定、一時保護などは都道府県の業務。虐待防止法に基づく立ち入りなども知事の権限だ。
 市町村と都道府県、それぞれの役割が法律で定められている。それがうまく機能すれば虐待は防げるはずなのだが、実際には虐待がなくらっていない。狙い通りに機能していないということだ。

 新潟県内には県が5か所、新潟市が1か所に児童相談所を設置している。
 昨年度、県内の相談所が対応した児童虐待に関する相談は2793件。10年前の3倍以上に増えている。
 内訳は心理的虐待が59%、身体的虐待が26%、育児放棄などのネグレクトが17%。
 主たる虐待者は実母が48%、実父が46%、実父以外の父親が5%だ。
 県の児童相談所では児童福祉司や児童心理司など約70人が対応している。東京や千葉、鹿児島のような事件を新潟で起きないようにするために、専門職員を増強し、市町村と県、警察などの連携をより強化していかなければならない。