« 朝ドラと東京一極集中 | メイン | 人手不足と外国人材 »

徒弟制度と職人の技

「丁稚(でっち)奉公」という言葉がある。
 丁稚は関西の言葉で、関東では「小僧」と呼んだ。
 商店に住み込み、使い走りや雑役をするのが仕事で、職人のもとでは「弟子」や「子弟」と呼ばれた。
 奉公に上がるのは10歳前後。いまの小学5年生だ。
衣食住こそ与えられるが、給金はなし。衣といっても足袋や羽織などはどんなに寒い日でも許されなかった。食も先輩から順に食べるため、新入りたちが食べるころはみそ汁の具もなくなっていたという。
休みは盆と正月に各1日。このときだけは自由な外出が許され、実家に帰ることもできた。わずかではあるが小遣いももらえた。


丁稚はこの状態を10年間、辛抱しなければならなかった。これが10年奉公。
さらに1年間の「お礼奉公」もあるため実質11年間もただ働きした。
商売の勉強をさせてもらっているのだから無給が当然と思われていた。
ただし店の仕事が終わった後は、先輩たちから読み書きやそろばんなど、商売に不可欠な知識を教えてもらうことができた。奉公期間を終えると丁稚から「手代」となって給金がもらえるようになった。
選ばれた者は番頭となり、のれん分けを許される者もいた。


パナソニックを創業した松下幸之助は子どものころ火鉢店や自転車店に、ホンダを創業した本田宗一郎も自動車修理工場に奉公し、商売や技術を学んだという。
昭和22年に「賃金は、毎月1回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」「使用者は、徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の習得を目的とする者であることを理由として、労働者を酷使してはならない」「技能の習得を目的とする労働者を家事その他技能の習得に関係のない作業に従事させてはならない」などと定めた労働基準法が施行され、丁稚奉公は違法行為となった。


以後、親方は収益にまったく貢献しない未熟な弟子に対しても賃金を支払わなければならなくなった。
損をしてまで弟子を取る必要はない、俺の代で終わってもいいと親方が考えれば、日本の伝統技術は継承されずに消えてしまう。早急に対策を講じなければ、日本は長年にわたって磨き上げてきた職人たちの素晴らしい技を失ってしまうことになる。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://sugihit.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/314

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)