« 平成 好きだ 愛している | メイン | 田中角栄元首相とIT化 »

白骨の御文

 「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」は蓮如上人の白骨の御文の一節だ。
 浄土真宗の葬儀などでよく読まれる。
 「未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎやすし。いまに至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人、本の雫・末の露よりも繁しといえり」。
 一万年生きた人がいたと聞いたことはない。一生はすぐに過ぎ去ってしまう。いままで百年、変わらずにいた人もいない。自分が先か、人が先か、今日か明日か、人の命は草木の根元の雫や葉先の露のように、遅速の違いはあっても、いずれは落ちてなくなるものだ。だからどんな人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏にすべてをまかせ、念仏せよと説く文章だ。

 世話になった人が突然、脳梗塞で亡くなった。
 多くの助言と支援を頂いた。恩返しができないうちに旅立ってしまった。
 ソフトボールやゴルフ、釣りが大好きで、年中、真っ黒に日焼けしていた。元気の塊のようなパワフルな人だっただけに、亡くなるとは思ってもいなかった。二度と会えなくなるなら、もっといろいろな話をしておけばよかった。
 通夜式で導師が白骨の御文を読んだ。
 だれもが「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身」であることを実感した。

 8日午前10時すぎ、滋賀県大津市の県道交差点で乗用車と軽自動車が衝突、軽自動車が歩道で信号待ちをしていた保育園児の列に突っ込んだ。
 この事故で2歳児2人が死亡、幼児や保育士14人がけがをした。
 連休明けだけに2歳児であればまだ朝、保育士に預けられるときに親と離れることを嫌がって泣いていたかもしれない。あるいは元気に保育士とあいさつし、親とは機嫌よく手を振って「バイバイ!」と別れたのかもしれない。
 いずれにしても親はまさかそれが最後の別れになるなどとは露ほども思っていなかっただろう。1歳、2歳のときと同じように、この先も毎年、自分たちが生きている限り、わが子の誕生日を祝えるものと思っていただろう。
 「人間のはかなきことは老少不定」。
 切ない世の中だ。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://sugihit.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/306

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)