« 初心忘るべからず | メイン | バスケ王国復活の夢! »

八十里越と田中角栄 西潟為蔵

新潟、福島両県を結ぶ国道289号線の八十里越があと数年で開通する。
 忘れてはならない政治家が2人いる。
田中角栄元首相と西潟為蔵元代議士だ。

 田中元首相は県境の通行不能区間解消を事業化した。
元首相は道路特定財源を作り上げた道路整備の恩人。建設省も元首相の要望は拒めない。
 元首相がいなかったら「磐越自動車道や六十里越もあるのだから」と八十里越の事業化を見送っていたかもしれない。
 元首相がいたから全体事業費700億円を超える大事業に着手した。

 「田中元首相の政治のモデルは西潟為蔵ではないか」と三条市出身の政治学者、弥久保宏駒沢女子大学教授は見ている。
 弥久保教授の講演によると、西潟は幕末の弘化2年、下田郷福岡の地主の長男に生まれた。
 9歳から漢学を学び、23歳で下田郷の百姓一揆を指導。地租改正事業や自由民権運動などを指揮した後、38歳で新潟県議に当選。県議を通算5期、帝国議会が開設されると衆院議員を2期務めた。
 西潟は県議当選後すぐに八十里越の開さくを県に要望したが、県道に昇格していない里道だったため、測量すら拒まれた。
 西潟は私財を投じて測量を実施。議会で「(道路開さくのための)一時の困難は他日莫大の利益となる」と主張し、県の路線大計画に八十里越を押し込んだ。

 明治19年には篠崎五郎県知事とともに上京し、山県有朋内務相に八十里越への国庫補助を直談判した。
 本来、里道は補助対象外だが、戊辰戦争に参加した山県が八十里越のことを知っていたため、補助を承諾。後日、内務官僚が「県道ではない」とクレームを付けると、西潟は「開さく後には県道昇格するのだから」で押し通した。弥久保教授は「西潟がいなければ八十里越はなかった」と見ている。

西潟に名誉欲や権力欲はなく、板垣退助に「栃木県令(知事)に」と声をかけられても断った。
 典型的な井戸塀政治家で、政治活動のため田畑を売り払っただけでなく、莫大な借金まで残したという。
 弥久保教授は西潟為蔵顕彰会を立ち上げ、出身地の三条市を「自由民権運動の聖地に」と呼び掛けている。

 ちなみに八十里越の開通が平成35年なら田中元首相没後30年、36年なら西潟没後100年、37年なら西潟生誕180年となる。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://sugihit.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/291

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)