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2018年12月28日

バスケ王国復活の夢!

 三条市はかつて「バスケット王国」と呼ばれていた。
 県立三条高校バスケットボール部が昭和27年から39年にかけて全国高校総合体育大会(インターハイ)で4回にわたって優勝したころだ。同校では「燦光(さんこう)杯」と名付けたバスケット大会が開かれ、日本リーグに所属する実業団チームの招待試合なども行われた。
近年は公立では新潟商業、私立では帝京長岡、開志国際、新潟産大附属などが県大会の上位を占めており、三条勢は苦戦を強いられている。

 行政関係では長岡市がプロバスケットボールチーム、新潟アルビレックスBBの誘致に成功。同市がホームタウン、アオーレ長岡がホームアリーナとなったことを機に「バスケによるまちづくり」を進めている。JR長岡駅からアオーレ長岡、大手通りのアーケードをプロバスケットのBリーグやアルビBBのロゴで装飾。Bリーグのイベントに合わせて市内飲食店なども割引サービスを行っている。アルビBBの選手たちによる市内小中高校生対象のバスケ教室も開いている。

 プロバスケでは後れを取った三条市だが、「3×3(スリーバイスリー)」であれば巻き返せるかもしれない。「3×3」はハーフコートを使って行う3人制バスケで、東京五輪の正式種目となることが決まっている。
 5人制は1試合が10分4クオーターの40分だが、「3×3」は1試合10分と短い。時間前でも21点先取すれば勝利するノックアウト方式も採用している。
 5人制の成人男子は通常7号球を使うが、「3×3」は重さが同じで大きさはひと回り小さい6号球を使用。よりスピーディーな展開とするためだ。日本では4年前にトップリーグが発足。現在、36チームが6地区に分かれてリーグ戦を行い、各地区代表によるプレイオフも行っている。

 東京都立川市では商工会議所や商店街、観光協会、青年会議所がチームオーナーとなり、地域づくりに「3×3」を活用している。静岡県焼津市、群馬県水上市などもNPO法人やスポーツ振興団体などが観光や地域振興などを目的にチームオーナーとなっている。三条市も「3×3」で伝統復活を目指せないものだろうか。

2018年12月16日

八十里越と田中角栄 西潟為蔵

新潟、福島両県を結ぶ国道289号線の八十里越があと数年で開通する。
 忘れてはならない政治家が2人いる。
田中角栄元首相と西潟為蔵元代議士だ。

 田中元首相は県境の通行不能区間解消を事業化した。
元首相は道路特定財源を作り上げた道路整備の恩人。建設省も元首相の要望は拒めない。
 元首相がいなかったら「磐越自動車道や六十里越もあるのだから」と八十里越の事業化を見送っていたかもしれない。
 元首相がいたから全体事業費700億円を超える大事業に着手した。

 「田中元首相の政治のモデルは西潟為蔵ではないか」と三条市出身の政治学者、弥久保宏駒沢女子大学教授は見ている。
 弥久保教授の講演によると、西潟は幕末の弘化2年、下田郷福岡の地主の長男に生まれた。
 9歳から漢学を学び、23歳で下田郷の百姓一揆を指導。地租改正事業や自由民権運動などを指揮した後、38歳で新潟県議に当選。県議を通算5期、帝国議会が開設されると衆院議員を2期務めた。
 西潟は県議当選後すぐに八十里越の開さくを県に要望したが、県道に昇格していない里道だったため、測量すら拒まれた。
 西潟は私財を投じて測量を実施。議会で「(道路開さくのための)一時の困難は他日莫大の利益となる」と主張し、県の路線大計画に八十里越を押し込んだ。

 明治19年には篠崎五郎県知事とともに上京し、山県有朋内務相に八十里越への国庫補助を直談判した。
 本来、里道は補助対象外だが、戊辰戦争に参加した山県が八十里越のことを知っていたため、補助を承諾。後日、内務官僚が「県道ではない」とクレームを付けると、西潟は「開さく後には県道昇格するのだから」で押し通した。弥久保教授は「西潟がいなければ八十里越はなかった」と見ている。

西潟に名誉欲や権力欲はなく、板垣退助に「栃木県令(知事)に」と声をかけられても断った。
 典型的な井戸塀政治家で、政治活動のため田畑を売り払っただけでなく、莫大な借金まで残したという。
 弥久保教授は西潟為蔵顕彰会を立ち上げ、出身地の三条市を「自由民権運動の聖地に」と呼び掛けている。

 ちなみに八十里越の開通が平成35年なら田中元首相没後30年、36年なら西潟没後100年、37年なら西潟生誕180年となる。

2018年12月14日

初心忘るべからず

 「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉が600年後の今日までことわざとして残っているのは、初心を忘れやすいからだ。だれもが初心を忘れず、持ち続けているのが当たり前であれば教訓になどならない。

 河野太郎外相が記者会見で記者の質問を無視し続けた。
 日露平和条約の交渉相手であるロシアのラブロフ外相の発言の受け止め方を質問されると、仏頂面のまま「次の質問どうぞ」。
 反応をこの場でするつもりもないということかと問われても「次の質問どうぞ」。
 協議に影響を与える懸念もあるがと問われても「次の質問どうぞ」。
 なぜ?と問われても「次の質問どうぞ」。
 壊れたAI(人工知能)スピーカーのようだった。

 河野氏がまだ新人議員だった平成9年に衆院予算委員会と外務委員会で、在ペルー日本大使公邸人質事件にかかる経費について質問した。
 外務省は具体的な金額を隠そうとした。後日、河野氏は自身のブログで
 「このとき僕は外務省というのは平気でうそをつく役所だと思った。事実が外務省の得にならなければ国会に、つまり国民にうそをつく。このときから何度、外務省にきちんと正しい情報を国民に知らせ、外交政策に理解を求めよ、と言ってきたことか」と嘆いた。

 平成15年に政府のイラク政策に反対した天木直人レバノン大使を外務省が依願退職に追い込むと、河野氏は
 「外務省の隠ぺい体質は何も変わっていないではないか」と批判した。
 25年にコンゴ日本大使館放火事件が発生、三等書記官が逮捕されたときは
 「驚いたことに外務省記者クラブ所属の記者は、まったくといっていいほどこの事件を追わなかった」
 「在北京の日本大使館の引っ越しできない事件や、欧州の大使によるセクハラ事件も、外務省記者クラブはほとんどどこも追及しなかった。いったいメディアに真実を追いかけようという気概があるのか」と報道陣の取材姿勢の甘さまで批判した。

 その河野氏が外相になったら「次の質問どうぞ」だ。
 自身が批判してきた「外務省の隠ぺい体質」そのもの。
 「きちんと正しい情報を国民に知らせ、外交政策に理解を求める」姿勢などみじんもない。
 初心はすっかり忘れている。

2018年12月10日

華麗にカレー

 無性にカレーライスが食べたくなるときがある。
 昔、カレーは家庭の味だった。ほとんどの子どもはそれぞれ「うちのカレーが一番おいしい」と思っていた。
 おとなになって専門店などのカレーを食べると、様々なスパイスをふんだんに使ってプロが作った本格的な味にはまるようになる。
 結婚後、子どもができると家庭のカレーは甘口になる。ますます専門店のカレーにはまることになる。

 日本では明治5年に出版された『西洋料理指南』でもカレーの作り方を紹介しているという。
 材料はネギ、ショウガ、ニンニク、バター、エビ、タイ、カキ、鶏、アカガエル、小麦粉、カレー粉。
 当時のカレーはタイやエビ、カキなどを使ったかなり高級な料理だったらしい。不思議なのはアカガエルだ。当時は蛙肉を食べていたのだろうか。
 翌年には大日本帝国陸軍の幼年学校生徒隊食堂でライスカレーが提供されるようになり、明治41年に大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』にもカレーの調理法が載った。いわゆる海軍カレーだ。
 カレーは軍隊など集団の食事向きメニューなのだろう。家庭の定番メニューとなったのは戦後、固形のルーが発売されてからだ。

 家庭で食べるときはカレーとご飯のバランスを気にする必要はない。ご飯が残ったらカレーを足せばいい。
 外食だとそうはいかない。カレーだけの追加は頼みにくい。
 家庭で食べるペースで食べていくと、どうしてもカレーが足りなくなる。ご飯だけ残り、それを福神漬けで食べなければならなくなる。
 前半はかなり美味しいカレーだったのに、最後は福神漬けの味しか残らない。
 バランス良く食べればいいのだが、これが難しい。ついつい、スプーンにご飯は少なめ、カレーは多めに入れてしまう。その方が美味しいから。何事も我慢しながら計画的に進めることが苦手、後のことを考えずにそのときの美味しさを求めてしまうアホなのだ。

 全国展開しているカレー専門店では、最初にカレーの増量と頼めば有料だが、ご飯が余った場合にカレーを追加するのは無料と最近知った。
 宣伝していないサービスらしい。
 黙っているなんて、意地が悪い。 

2018年12月03日

電信柱にしみついた夜~

 三条市の市街地は電柱だらけだ。その間には無数の電線が張られている。
 三条夏まつり・凧パレードでは、大凧を通すためにあちこちの電線を押し上げなければならない。
 クモの巣のように張り巡らされた電線を醜いと感じるか、ほのぼのした印象を受けるかは個人の感性の問題だが、少なくとも国土交通省は乱雑な電線を美しいとは感じていない。無電柱化推進法に基づいて電線を地中化し、電柱を撤去する計画を進めている。

 阪神淡路大震災では倒れた電柱や電線が道路をふさぎ、緊急車両などの通行を妨げた。緊急時の通行と、通常時の交通安全を確保するためだ。とはいえ日本には約3600万本の電柱がある。これを地中化するには巨額の費用がかかる。いまは電柱を減らすどころか毎年宅地開発などによって7万本ずつ増えている。

 ロンドンやパリ、香港に電柱はない。シンガポールも無電柱化率は93%に達している。
 日本では、もっとも進んでいる東京23区内で8%、大阪市で6%、新潟県は2%にも満たない。
 日本に初めて電柱が建てられたのは明治2年、東京・横浜間で電信を始めたときだ。その後、欧米が電線の地中化を進めたのに対し、日本は敗戦後も設置費の安い電柱方式を継続。まずは戦後復興を急ぎ、次いで高度成長期の需要を満たすことを優先、地中化は「いずれ」と思い続けているうちに電柱だらけとなった。

 三条市内の無電柱化エリアは国道8号線沿線と市街地再開発を行った昭栄地区、新大橋北詰の県道沿いだけだ。
 JR帯織駅前に造成、来年4月に85区画を分譲する住宅団地でも無電柱化を検討したが、あきらめた。
 見附市は昨年9月から住宅団地を分譲しているが、無電柱化などによって造成コストが上昇、1坪(3・3㎡)当たりの単価が20万円前後となった。その結果、これまでに売れたのは74区画のうち2割以下の14区画にとどまっている。
 三条市は分譲価格をできるだけ安くするために無電柱化をあきらめ、消雪パイプの布設やラウンドアバウト(環状交差点)の設置などによって団地の魅力を高めることにした。鳥たちは三条では当分、羽休めする場所探しに困ることはない。