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さんま さんま

 「さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか」は詩人佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の一節。
 この詩は「あはれ秋風よ、情あらば伝えてよ、男ありて、今日の夕餉(ゆうげ)にひとり、さんまを食ひて思いにふけると」で始まる。
 男の心に浮かぶのは「あはれ、人に捨てられんとする人妻と、妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、愛うすき父を持ちし女の児は小さき箸をあやつりなやみつつ、父ならぬ男にさんまの腸をくれぬと言ふにあらずや」という情景だ。
 「人妻」は文豪谷崎潤一郎の妻千代、
 「女の児」は谷崎と千代の子の鮎子のことで、
 「男」は佐藤自身だ。

 女好きの谷崎は千代の妹で小説『痴人の愛』のモデルにもなったせい子に手を出し、夢中になっていた。
 離婚したばかりの佐藤は千代に同情しているうちに友人の妻を好きになってしまった。
 昔の人は道ならぬ恋をして詩をつくり、文化勲章をもらった。
 現代人は道ならぬ恋をして週刊文春のネタになっている。


 なぜ『秋刀魚の歌』なのだろう。
 『鯵(あじ)の歌』や『鯖(さば)の歌』『鰯(いわし)の歌』ではダメだったのだろうか。
 「さんま、さんま、そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて」を「あじ、あじ、そが上に」とした場合、塩焼きを急いで食べ過ぎて舌を火傷してしまったように誤解されるかもしれない。
 「さば、さば」ではさばさばし過ぎて人妻への恋心が伝わらない。「『鯖の歌』を読む」を略して「さばを読む」となったら、文字数や年齢をごまかしているみたいだ。
 「いわし、いわし」では「いわしの頭も信心から」が思い浮かび、禁断の恋などくだらないと思えてくる。

 「さんま、さんま」と続けてあの細長い姿が思い浮かぶから、もの悲しさが伝わるのだろう。
 あじやいわしでは均整が取れ過ぎていて男一人の食卓のわびしさが感じられない。
 細長ければいいというものでもない。
 「うなぎ、うなぎ」ではギトギトした欲情が出過ぎて嫌らしくなる。
 やまり「さんま」なのだ。

 でも、この詩の舞台は大正時代の東京。平成最後の新潟の晩秋にさんまを食べたら、それも新米と一緒に食べたら「うめー!」。
 もの悲しくもわびしくもならず、うれしいだけだった。
 詩人にはなれない。

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