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2017年07月27日

若山裕新副市長

 三条市の副市長に若山裕氏(61)が就任した。
 玉川大学を卒業後、三条市職員となり、秘書室長、教育総務課長、政策推進課長、総務部長を歴任した。若手のころは法務や税務畑を歩み、中堅となって以降は行政改革大綱や経営戦略プログラム、総合計画などの策定と遂行に努めた。若山氏は三条市助役から通算して18代目、合併後の新市では3代目の副市長となる。

 歴代の助役、副市長の顔ぶれを見ていると、当時の三条市政の課題も浮かんでくる。
 昭和50年代から平成にかけての滝沢賢太郎、内山裕一両市政で助役を務めたのが鈴木春義、高坂純両氏。2人とも技術吏員出身で、水道局長や建設課長などを経て事務方トップに就いた。このころの市政の課題は新保裏館線や弥彦線高架、公共下水道、広域上水道、須頃郷土地区画整理などの都市基盤整備事業だった。これらの建設事業を進めるため、当時の市長は事務職ではなく、技術職出身の助役を求めた。

 高坂助役が内山市長の対抗馬として三条市長選に担ぎ出された後、内山市長は後任に高坂氏とは正反対のタイプで福祉畑出身の古寺秀夫氏を選んだ。
 次の長谷川長二郎市長は財政畑出身の須佐郷士氏を助役に選んだが、1年半後に須佐氏が体調不良で辞職すると、後任に事務職ながら建設行政にも詳しい佐藤和夫氏を選んだ。佐藤氏は企業経営者から政治経験がないまま就任した高橋一夫市長、東京出身で総務省のキャリア官僚だった国定勇人市長からも信頼され、歴代最長の約12年にわたり助役、副市長を務めた。

 時代や市長によって副市長に求められる役割は変わる。鈴木、高坂両氏は建設事業を推進し、古寺、須佐両氏は役所の内部固めに務めた。佐藤氏は国県とのパイプ強化や議会との調整などに力を発揮した。
 国定市政の場合、元総務官僚とあって行政に関する知識も、国とのパイプも十二分にある。副市長に求められるのはそれ以外のこと。吉田実前副市長は災害対応や用地交渉などで手腕を発揮した。
 若山新副市長には、まずは市長が何を目指し、何を求めているのかを職員たちに分かりやすく伝えて理解させること、各部署がどの程度まで要望に応えられるのかを市長に正確に伝えることなどが求められることになりそうだ。

2017年07月20日

これが人口減社会

 人口が減っていく社会とは、こういうものなのかと実感させられる記事が17日付け朝日新聞に出ていた。
 橋やトンネルを管理している国や自治体は5年に1度、安全点検を行っている。5年前に山梨県の中央自動車道笹子トンネルで起きた天井板落下事故を機に義務付けられた。
 点検の結果、放置しておくと危険な橋やトンネルが全国に340か所あると分かった。そのうち73か所、21%は補修や架け替えはせず、撤去したか、撤去予定という。人口が減り、自治体の財政も厳しくなっているなか、補修費を投じてまで維持していくのが困難なためだ。
 地元の住民は橋がなくなれば不便だ。存続を求めた地域もあるが、管理する側は事情を説明し、理解を求めているという。人口が増えているころは「どこから先に道路や橋を整備するか」を話し合った。人口が減るようになって「どこを残し、どこから廃止するか」を考えなければならなくなってきた。

 三条市の場合、安全点検で廃止する橋やトンネルはない。廃止するのは大谷ダム完成後、使われなくなったままの市道大谷塩野渕線ぐらいだ。とはいえ三条市にはすでに1115㌔の市道と675本の市道橋がある。
 東京都まで2往復するよりも市道延長の方が長い。人口10万人で除すと、市民1人当たり11・2㍍の市道を受け持っていることになる。人口が8万人に減れば受け持つ延長は14㍍、5万人に減れば22㍍に伸びる。
 市道延長が変わらない前提での計算だが、実際には宅地開発などによって市道延長は毎年伸びている。必要度の低い市道などを廃止していかないと、市民1人当たりの負担はどんどん重くなる。


 三条市には公民館や学校など、いわゆる箱物と呼ばれる公共施設も188施設ある。人口が減りつつあるなか、現状のままこれらを維持し続けるのは難しい。総合体育館と体育文化センターの集約化事業は始めたが、地区公民館や地域コミュニティ施設などの集約化、譲渡、廃止はなかなか進まない。三条市に限らず、首都圏を除く全国が同じ問題に直面している。


 このまま人口が減っていくことを前提にした施策を展開するのか。外国人受け入れに踏み切るのか。国レベルでの決断が求められている。

2017年07月09日

見事な宣誓

 選手宣誓は紀元前9世紀から開かれていた古代オリンピックでも行われていたというから歴史は古い。
 近代五輪では大正9年のベルギー・アントワープ大会から行われているそうだ。当初、選手たちは「騎士道精神に則り、祖国の名誉と競技の栄光のため」に戦うことを誓った。最近は「五輪憲章に則り、スポーツの栄光とチームの名誉のために、決してドーピングはしない」ことを誓っている。
 選手宣誓は五輪から小学校の運動会まで、多くのスポーツ大会開会式で行われている。「スポーツマンシップに則って正々堂々と戦うこと」を誓うシンプルな宣誓もあれば、「試合後にビールが美味しく飲めるよう頑張る」ことを誓う中高年用まである。

 7日にハードオフエコスタジアム新潟で行われた第99回全国高校野球選手権新潟大会開会式では、新潟県央工業の鈴木雄真主将(3年)が堂々とした選手宣誓を披露した。
 「ここに立つまでに普段の練習を指導してくださった監督や先生方、支えてくれた家族、辛いときも励まし合った仲間に感謝しています。小さいころから憧れであった高校野球。今度は自分たちがプレーすることによって、子どもたちから憧れをもたれ、たくさんの人から応援されるよう真剣に全力でプレーすることを誓います」。
 大きな声で、落ち着いて一語一語を全県の高校野球ファンに届けるかのような宣誓だった。鈴木主将は下田中学校出身。県央工業の先輩たちが甲子園に初出場した9年前は小学3年生だった。

 昨年の新潟大会の開会式では長岡高専3年だった当時の井上駿主将が選手宣誓を行った。
 「私は野球と毎日の学校生活で培った気配り、思いやり、我慢強さをいかし、社会に貢献できる人になりたいと思います。そのためにも、この大会では自分に勝ち、ライバルに勝ち、そして相手に勝つことを目指し、最後まであきらめない姿勢を続けます」という内容だった。
 井上主将は本成寺中学校の出身だ。新潟大会は2年連続で三条出身の選手が宣誓を行った。二人とも音が反射するために非常に話しにくい球場内で、すべての視線とカメラレンズを全身に浴びながら、緊張してとちることもなく、しっかりとやり遂げた。三条市民の一人として二人のことを誇らしく思う。