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スポーツの聖地

 「目指せ、甲子園!」と言えば、他に説明がなくても高校野球のことと分かる。
 「目指せ、花園!」なら高校ラグビー、「国立競技場!」なら高校サッカー、「箱根!」なら大学駅伝だ。「両国国技館を目指す」と言っている相撲部員に「国技館で何をするの?重量挙げ?」と聞いたら怒り出す。
 聖地と呼ばれる場所がある競技は大会運営も効率的だし、人気も出やすい。
 春と夏の高校野球の大会には全国の出場校や応援団が甲子園に集まる。毎回、違う場所で開いていたら宿舎や練習場所の確保、割り振りに大混乱する。甲子園周辺では恒例とあってシステムが出来上がっている。1月2日、3日の大学駅伝も毎年ほぼ同じコースだから東京・箱根間の交通規制がうまくいく。運営がスムースであれば選手たちも競技に集中できる。

 国民体育大会、いわゆる国体は毎年、各都道府県持ち回りで開いている。新潟県では昭和39年と平成21年に開かれた。ことしは愛媛、来年は福井、再来年は茨城と決まっているが、これを知っているのは選手や大会関係者などに限られている。多くの国民は地元開催のときしか国体が開かれていることを知らない。国民体育大会という名前なのに、国民にはあまり関心を持たれていない。

 持ち回り開催は高度成長期には意味があった。開催地は30種目以上の競技を行うために施設などを整備した。それが社会資本の整備や内需拡大、競技人口の増加に結び付いた。
 日本は低成長期に入り、少子高齢化も進んでいる。政府は社会資本を拡張するどころか整理統合を進め、維持管理費を減らすコンパクトシティを目指している。会場を持ち回る意義はなくなり、固定化した方が効率的な運営ができる時代を迎えているのに、前例踏襲が続いている。

 五輪も2020年の東京までは開催都市が決まっているが、2024年の誘致に手を挙げているのは仏パリと米ロサンゼルスだけ。経費がかかりすぎるなどのデメリットが大きいためだ。
 東京五輪をめぐるドタバタ劇も続いている。いっそ「五輪は4年に1回、ギリシャ・アテネで開く」と固定化したらどうだろう。その方が無駄な投資をする必要がなくなって効率的だし、選手も観客も競技や応援に集中できるのではないだろうか。

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