私事ですが・・・
「私事で恐縮ですが」という前置きがある。
本来、公的なことを伝えるべきところで個人的なこと、一身上の事柄に触れるときに使う。私的なことを述べようとする際には事前に断り、詫びなければならないほど、公私の区別がしっかりしていたということなのだろう。
会合でのあいさつや手紙など、公のことを伝える場で私事に触れることは非礼なことで、できるだけ避けるべきという文化が古くから日本にあったため、「私事で恐縮ですが」という言い回しが残っているのだろう。「私」を前面に出そうとはしない、自分を売り込むような言動は慎むという奥ゆかしさが昔の人たちにはあった。
いまは「私」を前面に押し出す人々であふれている。
「わたし的にはそういう雰囲気も好きですよ」といった言い方をよく聞く。「私は好きですよ」と明確に言うことを避け、「わたし的」とすることで意味をぼかし、あいまいにしておきたいための表現なのだろうという人がいる。そうだろうか。もっと品のない、図々しさを感じる。
「私って不器用な人だから」とか「私って几帳面な人だから」「私って辛いものが苦手な人だから」という言い方も聞く。自分で自分を定義するのが好きでたまらないらしい。「わたし的には」や「私って○○な人」という言い方は、自分を客観的に見ているように装って「私」の好みや性格などを強調しているのではないだろうか。
これも「自己表現力を高めよう」とか「自己主張できるおとなになろう」といった教育の成果なのだろうか。自分で自分を定義するのは、かなり図太い神経の持ち主にしかできないことではないかと思う。
「自分、不器用ですから」は高倉健が言うから格好良いのであって、本当に不器用な人に「私って不器用な人だから」と言われても「あ、そう」としか答えようがない。
自分で言っているだけならまだいいが、「私って不器用な人じゃないですか~」と同意を求めようとする人もいる。あなたが器用か不器用かなど知らないし、知りたいとも思わない。
「私ってよく他人をイラっとさせる人じゃないですか~」と言われたときだけは「そうだよね!」と同意する。