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2017年04月26日

買い物難民にならないために

 「もちはもち屋」という。
 もちはもち屋がついたものが一番うまい。物事にはそれぞれ専門家がいる。いくら上手な素人でも、専門家にはかなわないといった意味だ。
 もち屋は江戸時代に生まれたという。江戸には下駄屋、扇子屋、屛風屋、手ぬぐい屋、筆屋、煙草道具屋など細分化されたさまざまな店があった。戦後、三条市の商店街にも八百屋、魚屋、肉屋、総菜屋、酒屋、菓子屋、雑貨屋、靴屋、雨具屋、洋服屋、呉服屋、本屋、文房具屋などが軒を並べていた。農村部でも、商店街を形成するほど多くはなくても酒屋や肉屋、煙草屋などの店があった。店員はそれぞれの商品の専門家だった。


 三条中央商店街にはまるよし本店、東三条商店街には長崎屋東三条店という総合スーパーもあった。どちらも地元商店街との共存共栄を目指していたが、商店街から離れた場所に出店した郊外型スーパーやディスカウントストアとの競争に敗れて閉店した。郊外型スーパー同士の競争も年々激しくなり、ドラッグストアなど新業態も参入。近年はインターネット販売も伸びている。それらのあおりを受けて商店街の個店は大幅に減った。


 世界最大の小売業者、米国のウォルマートが地方都市に進出するとき、同社の幹部社員たちは地元の商店街を回って賭けをするという。いつまでに何軒が潰れるかを予測するのだ。
 同社は24時間営業のスーパーセンターを3500店舗、他の業態も含めると5300店舗を世界展開している。スーパーセンターは品ぞろえも豊富で、格段に安い。この店が近くにできた町では、代々続いてきた個店がごっそりと客をとられて潰れてしまう。
 スーパーセンターがそこで営業を続けるなら、そうした競争による淘汰もやむを得ないのかもしれないが、同社はその店の利益が思ったほど伸びず、今後の成長も期待できないと判断すればあっさりと撤退する。残されるのは毎日の生活必需品を買うにも苦労する買い物難民だけだ。


 三条でも小売業界の激しい競争が続いている。買い物難民にならないためには、多少の値段の差には目をつぶり、「この店がなくなったら困る」と思う店で買い続けることが大切なのではないだろうか。

2017年04月10日

平成の開国

 少子高齢化が恐ろしいペースで進んでいる。
 小学校に行くと、子どもが急速に減っていることを痛感する。三条市内の小学校には新一年生782人が入学した。10年前と比べても123人、14%少ない。団塊世代の半分以下だ。
 日本は50年前、生産年齢の11人で高齢者1人を支えていた。
 いまは2・4人で1人を支えている。40年後には1・3人で1人を支えなければならない。
 負担が重すぎて支えきれなくなれば、若者は海外に逃げ出す。
 日本はまるごと姥捨て山のようになりかねない。

 52年前にマレーシアから独立したシンガポールは天然資源も国防能力もない貧しい国だったが、リー・クワンユー初代首相の卓抜した指導力によって急成長を実現。いまや一人当たり国民総所得は日本どころか米国も抜き、アジアでもっとも豊かな国になった。
 リー元首相は亡くなる前年の平成26年、日本について語っている。
 東日本大震災の対応について「こんなにも恐ろしい破壊力に直面し、こんなにも悲惨な巨大震災によってもたらされた被害に対し、これほどまで落ち着いて冷静さや秩序を保てる民族は他のどの国にもない」と称え、「日本人が仕事をする際に完璧さを追求する姿勢。これも世界のどの国もかなわない部分だ。日本人の集団を重んじる精神もまた右に出る民族はいない」と評価した。


 一方で「人口問題が解決できない限り、日本の未来は暗い」と予測した。「人口の数と構造は国の運命を決める非常に深刻な問題」だからだ。
 シンガポールも出生率は低いが、「シンガポールは移民でこの問題を解決している。日本は移民を排除する国家として有名だ。大和民族の血筋の純潔性にこだわることは日本人にとって『絶対に正しい道理』であり、この考え方は日本人の身に深く染み付いている」「移民によって人口構造問題を解決するという常識的な政策がこれまでずっと選択肢にあがらず、しかもタブー視されている」と指摘。「このような状況をあと10年放置し、15年たっても解決できなければ、日本はもう元に戻れないほど衰退する可能性がある。その時に解決しようとしても、すでに手遅れだ」「日本はすでに凡庸な国になりつつある」と警告した。日本は「開国」に踏み切れるだろうか。