« 2014年01月 | メイン | 2014年03月 »

2014年02月22日

県が口を出すときは応分の負担と責任を!

 県議会が加茂市の自主防災組織を取り上げた。加茂市は県内の市町村のなかで唯一、自主防災組織がなく、組織率ゼロとなっている。小池清彦加茂市長は必要性を認めておらず、今後も組織化する予定はない。

 県議会の総合交通・防災対策特別委員会では、新潟市や新発田市、上越市選出の県議が「加茂市では消防団が自主防災組織の役割を担っているというが、消防団と自主防災組織では役割が違う」「広域災害時には隣接地域との連携が取れないケースも出てくる」「加茂市と県の(考え方の)隔たりを放置することはできない」などと主張。加茂市に対して、県が組織化を働きかけるよう求めた。

 県議たちの言い方には、県が市町村を正しい方向に導いてやるといったニュアンスも感じられる。
 「加茂市長がヤボなことを言っているから、県はちゃんと指導しなさい」と言わんばかりだ。県にそんな権限はない。災害対策基本法は、自主防災組織の充実や住民の自発的な防災活動の促進は市町村の仕事と位置付けている。その市町村を助け、総合調整を行うのが県の役割だ。県に調整権はあっても指揮監督権はない。

 住民に選ばれて加茂市民の生命、財産を守る役割を担っている加茂市長が「消防団こそ自主防災組織」「住民による防災組織を新たに作り、さまざまな役割を担わせるのはかえって危険」と主張している。
 これを変えさせる権限など県にはない。

 新発田や上越の県議は加茂市の実情も知らず、加茂で災害被害が発生しても何の責任も取らない。
 小池市長もこういう県議たちに文句を言われるようなスキを見せないようにすべきだ。
 災対法は、市町村長は自主防災組織の充実に努めなければならないと定めている。一方で同法は自主防災組織を「住民の隣保協同の精神に基づく自発的な防災組織」としか定めていない。

 加茂市には防災対策に熱心な区もある。情報伝達や避難を担う区を自主防災組織とみなし、消火や救出、救護は消防団が担うという役割分担型自主防災が加茂スタイルであり、災対法上も問題はないと主張すれば、他地域の県議は口出しできないのではないか。
 それでもまだ口を出してくるなら、それ相応の負担と責任を県に担ってもらえばいい。

2014年02月17日

阿修羅のような人

 昨年、オキアミを食べるためにアラスカ沖に集まるクジラと、その子を狙うシャチの群れの闘いを描いたテレビ番組があった。シャチは知恵もあり、優れたチームワークで獲物を追い詰める海の最強ハンター。なんとかして我が子を守ろうと奮闘する親クジラが主人公だったので、クジラ側に感情移入して見ていた。子クジラがシャチから逃げ切ったときにはホッとしたものだ。

 先日、北米大陸のオオカミの群れを追った番組があった。子どもにエサをやるため、自分の十倍も体重がある猛牛バイソンに命がけで挑む母親オオカミなどが主役だった。狩りに失敗して子どもにエサを与えられないオオカミには同情した。

 クジラとシャチのときは逃げるクジラに、オオカミとバイソンのときは追うオオカミに共感した。逆の目線で番組が作られていたらシャチやバイソンに共感していたのだろう。我ながら己の単純さに感心する。


 昨年の新聞広告クリエーティブコンテストで最優秀賞を受賞した作品は、泣いている子どもの鬼の絵の上に、大きな文字で「ボクのおとうさんは桃太郎というやつに殺されました」、下に小さく「一方的な『めでたし、めでたし』を、生まないために。広げよう、あなたがみている世界」と書いてあった。
 童話では鬼は悪者、桃太郎は悪を退治する正義の勇者だが、鬼の側から見れば桃太郎は突然、島にやってきて問答無用で家族や仲間を殺した殺りく者だ。

 立場や視点を変えれば、物事の見え方がまるで変わる。
 報道の公平性でよく例に出されるのがデモ隊と警官隊の衝突現場だ。デモ隊の後ろから衝突最前線を撮った画像を使えば、向かってくる警官隊が独裁者の恐ろしい手先のように写る。警官隊の後ろから撮った画像を使えばデモ隊が凶暴な暴徒に写る。使い方に気を付けなければ偏った報道になる。

 出直し市長選を仕掛けて大阪都構想を進めようとする橋下徹大阪市長も、支持者からはタレント弁護士時代の年収三億円を捨てて大阪の立て直しに取り組む改革者、反対勢力からは自分の主張が通らないとすぐにキレるわがままな目立ちたがり屋に見えるのだろう。
 どこから見るかで顔が変わる阿修羅のような人だ。