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2011年06月28日

和より多事争論

 東京大学が世界33か国の文化の窮屈さを調査した。もっとも窮屈な国はパキスタン、もっとも緩い国はウクライナで、日本は窮屈な方から8番目だった。
 「この国には人々が従わなくてはならない社会的規範がたくさんある」「この国ではだれかが不適切な仕方でふるまえば、他の人がそのことを強く非難する」といった質問を行って調べたもので、アメリカの科学雑誌「サイエンス」に発表した。
 結果はパキスタン、マレーシア、インド、シンガポール、韓国が窮屈な国ベスト5。すべてアジアの国々で、6位にようやく欧州のノルウェーが入る。以下、トルコ、日本、中国、ポルトガルと続く。日本は中国よりも窮屈ということになっている。
 「紳士の国」イギリスは13位、「自由の国」アメリカは23位となっている。
 窮屈ではない国ベスト5は緩い方からウクライナ、エストニア、ハンガリー、イスラエル、オランダの順だった。
 調査の目的は、文化的な窮屈さと、それぞれの文化が歴史的に直面してきた社会レベルでの脅威の強さの関係を調べること。
 調査を行った山口勧教授は「文化が受けてきた脅威が強いほど、その文化の窮屈さの程度も高いことが確認された。日本は世界の中で他の文化と比べてより窮屈な文化の範ちゅうに入る。原因は歴史的に経験してきた自然及び人工的な脅威、例えば地震などの自然災害の頻度や人口密度などの程度が世界の平均よりも高かったことにあると考えられる」と分析している。
 「窮屈」は文化人類学的な意味で、政治的自由という意味ではないが、中国より日本が窮屈という結果はなぜだろう。日本は聖徳太子の時代から「和をもって貴しとなす」の精神が大切とされてきた。個人の自由より、集団としての調和を優先する社会を作ってきた。
 その結果、自己主張しにくい社会、多数意見に対して異論をはさんで討論することが嫌われる社会になった。これが「窮屈」の原因だろうか。
 窮屈な社会では多様な価値観は育たず、創造性も伸ばせない。いまは聖徳太子よりも福沢諭吉の「多事争論」の方が必要な時代なのではないだろうか。

2011年06月08日

タブーと逃げ足

 NHKの「ふたりっ子」や「新選組!」などに出演した俳優の山本太郎さんが反原発を訴え続けている。4月には反原発デモに参加、5月23日には文科省前で福島県の親たちとともに、子どもが受ける放射線量の基準値引き下げを訴えた。
 山本さんはバラエティ出身だが、今回の原発事故は「お笑い」では済まされない。
 「原発反対と言うと芸能界では仕事を干される。でも反対」と訴えてきた。こうした発言や行動でドラマ出演がキャンセルとなったこともツイッターで明らかにし、「これ以上、迷惑をかけられないから」と所属事務所まで辞めた。
 まるでミステリー小説のようだが、ことし4月12日発売の別冊宝島「誰も書けなかった日本のタブー」によると、電力10社と電気事業連合会からマスコミに流れている広告費、販売促進費、普及啓発費は年間2000億円近いという。パナソニックが771億円、トヨタ自動車が507億円だから、電力業界はそれをはるかにしのぐ巨大スポンサーだ。
 しかも東京電力がスポンサーとなってきた番組はTBS系では「みのもんたの朝ズバッ!」「報道特集」「ニュース23」、フジ系は「めざましテレビ」、日本テレビ系は「情報ライブ・ミヤネ屋」「ニュースエブリ」「真相報道バンキシャ!」、テレビ朝日系は「報道ステーション」など。報道・情報系をほぼすべてカバーしている。
 電力業界としては反原発の論調を抑え込むために、これまで何年にもわたって巨額の広告費をマスコミに投じてきた。反原発で騒ぎ出した俳優1人を干すぐらいは簡単ということなのだろうか。
 福島県いわき市の鈴木英司副市長は地方自治経営学会で「いわき市の人口は34万人。うち5万人はいなくなっている。原発事故発生後、いち早くいなくなったのがマスメディアの人たち。市役所で記者会見を開こうと思っても記者がいない。市民に伝えたいことがあるのに困った。頼りになったのは地元のコミュニティFMだけだった」と話した。
 いわき市には中央紙やNHKなどが支局を設置していた。記者は逃げ、山本さんはタブーに立ち向かっている。「あんたも逃げ足だけは速いよね」と妻。余計なお世話だ。