和より多事争論
東京大学が世界33か国の文化の窮屈さを調査した。もっとも窮屈な国はパキスタン、もっとも緩い国はウクライナで、日本は窮屈な方から8番目だった。
「この国には人々が従わなくてはならない社会的規範がたくさんある」「この国ではだれかが不適切な仕方でふるまえば、他の人がそのことを強く非難する」といった質問を行って調べたもので、アメリカの科学雑誌「サイエンス」に発表した。
結果はパキスタン、マレーシア、インド、シンガポール、韓国が窮屈な国ベスト5。すべてアジアの国々で、6位にようやく欧州のノルウェーが入る。以下、トルコ、日本、中国、ポルトガルと続く。日本は中国よりも窮屈ということになっている。
「紳士の国」イギリスは13位、「自由の国」アメリカは23位となっている。
窮屈ではない国ベスト5は緩い方からウクライナ、エストニア、ハンガリー、イスラエル、オランダの順だった。
調査の目的は、文化的な窮屈さと、それぞれの文化が歴史的に直面してきた社会レベルでの脅威の強さの関係を調べること。
調査を行った山口勧教授は「文化が受けてきた脅威が強いほど、その文化の窮屈さの程度も高いことが確認された。日本は世界の中で他の文化と比べてより窮屈な文化の範ちゅうに入る。原因は歴史的に経験してきた自然及び人工的な脅威、例えば地震などの自然災害の頻度や人口密度などの程度が世界の平均よりも高かったことにあると考えられる」と分析している。
「窮屈」は文化人類学的な意味で、政治的自由という意味ではないが、中国より日本が窮屈という結果はなぜだろう。日本は聖徳太子の時代から「和をもって貴しとなす」の精神が大切とされてきた。個人の自由より、集団としての調和を優先する社会を作ってきた。
その結果、自己主張しにくい社会、多数意見に対して異論をはさんで討論することが嫌われる社会になった。これが「窮屈」の原因だろうか。
窮屈な社会では多様な価値観は育たず、創造性も伸ばせない。いまは聖徳太子よりも福沢諭吉の「多事争論」の方が必要な時代なのではないだろうか。