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2011年05月28日

競馬場跡地整備 ようやく始動!

 三条市は三条競馬場跡地を交流拠点や水防センターとして整備する「かわまちづくり計画」の作成作業を進めている。今年度は計画づくりと測量設計を行い、来年度から2か年で工事を行う予定だ。
 県競馬組合の解散に伴い、三条競馬場が閉鎖されたのは平成14年3月。すでに9年が過ぎている。21年のトキめき新潟国体では馬術競技場として使われたが、現在は地元乗馬クラブが馬場として使っているだけ。約6万平方㍍の大半は未利用となっている。
 市は跡地活用に向けて21年8月に国交省の「かわまちづくり支援制度」の認定を受け、整備計画づくりを進めてきた。現時点の案は堤防部分に水防センターとヘリポート、土砂備蓄スペース、堤防と低水路の間の競馬場時代は馬場だったスペースに芝生広場とドッグラン、260台収容の駐車場、乗馬クラブ用馬場などを整備することにしている。
 水防センターは有事の際に災害復旧活動の拠点となる施設で、会議室や仮眠室、展望室、トイレ、倉庫などを備える。低水路には非常時に緊急物資などを水路から運搬できる水運施設も整備することにしている。
 芝生広場は三条大凧合戦をはじめ、観光やスポーツなどさまざまなイベントを催せるように広場を区切る遊具などは置かず、全体を広々と使えるようにしている。
 今年度は測量と設計を行い、来年度に着工。水防センターは来年度末の完成を目指す。芝生広場や駐車場など他の部分も25年度末までの整備を目指している。
 三条競馬場だったころ、県は農地だった馬場内を公園化する計画を立て、耕作者から耕作権を買い上げた。当時の平山征夫知事は三条市に公園化に協力するよう要請、市は1千万円余の資金負担も含めて協力した。競馬が廃止となった際にも平山知事は「三条市との約束は守る」と明言したが、その後は梨のつぶて。泉田知事も知ってか知らずか、音沙汰がない。
 市はかわまちづくり計画事業費の4割を国からのまちづくり交付金で賄うことにしているが、県が約束を守らずに負担に応じようとしない場合は、やむを得ず残り6割を市費で整備することにしている。知事の賢明な判断に期待したい。

2011年05月24日

がんばろう地方分権!

 東日本大震災の衝撃が大きすぎ、他のニュースがかすんでいる。普段ならトップニュースになってもいいのに、ほとんど報じられない話題もある。そんな可愛そうなニュースのひとつが地域主権改革関連3法の成立だ。
 民主党政権が発足当初、「1丁目1番地」と位置付けていたのが地域主権だ。脱官僚政治と並ぶ、日本の政治のあり方を変える改革と訴えていた。政権交代の目玉となるはずだったが、実際は子ども手当や高速道路無料化、八ッ場ダム建設中止など個別の施策にばかり注目が集まったうえ、米軍普天間基地問題で政権運営が迷走。地域主権は1丁目1番地どころか、どこにいるのか地名すら分からない状態になった。
 そこに大震災が発生。関連3法案はますますニュースで取り上げられることがなくなった。
 内容は、国が自治体の手足を縛っている「義務付け・枠付け」を見直すことや、国と地方の協議の場を法制化することなどが柱。現状は保育所の設置から公営住宅の整備、中心市街地活性化基本計画の策定などまで、地方はいちいち国の了解を得なければならない。これでは地域に合った住民サービスを臨機応変に提供できないため、地方の自主性を強化するものだ。
 国会提出は昨年3月。1年以上も継続審議の状態だったが、野党が反対していた「地域主権」という言葉を「地域の自主性及び自立性と高めるための改革」に変え、ことし4月28日にようやく成立した。
 この3法に続くのが第2次地域主権改革一括法案。国の義務付け廃止をさらに進めるものだが、閣議決定があの3月11日午前。この日午後には東日本大震災が発生したため、一括法は国会議員はもとより、総務官僚にすら見向きもされなくなった。
 地方分権が必要と言われ始めて20年以上。関係者はなかなか既得権を手放さない。日本を中央集権から地方分権国家に変えるには、これからも国の出先機関の廃止やひも付き補助金の一括交付金化、地方税財源の確保、さらには地方政府基本法の制定など、やらなければならない難題がたくさんある。 それなのに菅直人首相のこの不人気と大震災からの復興という大仕事。まるで地方分権という政策がいじめにあっているようだ。「がんばろう日本、がんばろう地方分権」だ。

2011年05月15日

豪州から輸入すべきは・・・?

 東日本大震災発生直後に半月ほど、海外に滞在していた三条市の業界人から「海外の反応は日本国内とは全然違う」と聞いた。海外の方が今回の大震災、とりわけ東京電力福島第一原発の事故をかなり深刻で危険な事態と受け止めているという。
 「水素爆発で原発の建屋が吹き飛んだ映像が向こうのテレビニュースで流れたとき、アナウンサーは呆然としていました。スリーマイル島にしろ、チェルノブイリにしろ、原発事故直後にリアルな映像が流れるということはかつてなかったことですから。日本は大変な状況にあるというのが欧米の受け止め方。日本にいた外国人も同様で、荷物もそのままにして国外に脱出している。それが彼らの危機管理なんですね」。
それと比べると日本人の反応は驚くほど冷静だという。
 そうした危機意識を持っているはずのオーストラリアのジュリア・ギラード首相が4月23日、宮城県南三陸町を訪れ、被災者を激励した。外国の首脳が東日本大震災の被災地に入るのは初めて。かなり勇気が必要な行動であることは、チェルノブイリの原発事故直後に日本からウクライナに行こうとする政治家など皆無だったことでも分かる。
 ギラード氏は豪州初の女性首相で49歳。メルボルン大学を卒業後、弁護士などを経て平成10年から国会議員。震災発生3日後の3月14日に出演したテレビでは「太陽光、風力、地熱、潮力といった再生可能エネルギーが豊富な豪州に原発は不適切だ」と述べる一方、日本の現状について「かなり恐ろしいが、豪州の大半の人々は原発の是非などではなく、地震と津波、原発事故の三重苦に見舞われた日本の人たちを心配している」と話している。
 豪州は震災発生直後にも救援隊75人を南三陸町に派遣、捜索活動に協力した。捕鯨問題では日本と激しく対立する間柄だが、救援隊派遣に次いで首相が来日、そのうえ首相は女優ジュディ・フォスター似の美人とくれば、豪州を好きにならずにいられない。
 日本と豪州がEPA(経済連携協定)交渉を始めてすでに4年が過ぎている。さっさと締結して豪州との貿易を活発化すべきだ。日本は豪州から何を輸入すべきか。「もちろん、政治家さ」などという声もチラホラ・・・。

2011年05月09日

大震災と子どもたち

 東日本大震災を子どもたちはどのように受け止めているのだろう。
 何も悪いことをしていない、真面目に生きてきた人たちが、ある日突然、地震や津波に襲われて命を奪われる不条理。
 朝、「いってらっしゃい」と送ってくれた親がいなくなり、家が跡形も無く消えうせ、それでも負けずに生きていこうと頑張っている自分と同世代の子どもが大勢いることを、どのように感じているのだろう。
 困っている人、悲しみに打ちひしがれている人のために何かしたい、役に立ちたいと思う心は育っているのだろうか。自らの境遇を有難いと感じ、周囲に感謝する気持ちを持っているのだろうか。
 大震災から得るべきものは「安全、安心のまちづくり」といった陳腐なスローガンだけではないはずだ。もっと大切なものを学ばなければならない気がするのだが、それをうまく子どもに伝えられない。真面目に伝えようとすると説教臭くなり、柔らかく話そうとすると脇道にそれて脱線する。子育てはいつももどかしい。
 学校ではどうしているのだろうとPTAの会合に出席してみた。教育方針や活動計画などの説明はあったが、大震災から学ぶことといった話はなかった。家庭でこんな話をしたらどうかといったアドバイスもなかった。そんなことまで面倒は見切れません、各家庭で考えなさいということか。
 7年前の7・13水害を思い出した。このとき三条市PTA連合会は、被災校に対する支援活動の音頭を取らなかった。嵐北地域のPTAはやむを得ず個別に連絡を取り合い、嵐南の被災小中学校を支援した。
 後日、「肝心なときに調整機能を発揮できない連合会なんていらない」といった意見が相次いだ。
 県央の各市町村には、福島県などから避難してきた被災者がいる。強烈な揺れを体験し、恐ろしい勢いで家や車を飲み込んでいく津波を見た人もいる。恐怖と寒さに震えながら、真っ暗な夜を過ごした人がいる。
 そうした方々のなかには、自分の体験を子どもたちに話してもいいと言ってくれている人もいる。テレビには映らない真実を伝えてくれるかもしれない。自分の子に大切なことを伝えたいのに、うまく伝えられない親の一人として、ぜひ、そうした機会を設けてほしいと思う。

2011年05月03日

ダサスギー(><)な学生服が変わらない理由

 近所の子が中学生になった。小学6年生のときは登校班のリーダーで、おとなっぽい子だった。中学生になったら逆に幼くなった。
 学生服のせいだ。成長期だからぴったりのサイズではすぐに小さくなる。買ってもらったのは大きめの制服。私服のときはジーンズが似合っていたが、ぶかぶかの詰襟はかっこいいというよりかわいらしい。いかにも「ピカピカの1年生」だ。
 県央の学校では中学校、高校に制服がある。三条高校だけは自由。生徒たちが制服廃止運動を展開した結果、生徒の自主性を尊重して昭和51年に自由化した。一時期は大半の生徒が私服で通学していたが、最近は学生服姿の方が多いようだ。同校のホームページには、女子生徒のスカート丈が短くなりすぎないよう保護者からも指導してほしいといった校長名のお願い文まで載っている。自由な校風を誇った同校も変わりつつあるようだ。
 中学校の制服は、男子は詰襟かブレザー、女子はセーラー服やブレザー、イートンジャケットだ。各校が独自に決めている。制服を廃止することもできるが、三条市教育委員会によると、そうした動きはない。私服だと費用もかかるし、何を着ていくか自分で考えなければならない。自由よりも規制があるほうが楽なのは、服装が自由であるにもかかわらず学生服を着る三高生を見れば分かる。
 制服をもっとおしゃれなもの、かわいいものに変えてほしいという要望はある。とくに女子に強い。「襟なしの、事務服みたいな変な形のブレザー、ダサすぎ。チョーむかつくんだけど」。イートンジャケットのことだ。
 生徒たちが熱心に運動し、保護者も了解するなら校長も変更を認めるだろう。ただし、変えるのは次の新入生から。すでに制服を購入済みの学年は対象外だ。制服を持っているのに、それとは別の新しい制服を全員に購入させるような校長はいない。となると運動した生徒たちの制服は変わらない。
 「自分たちは我慢するが、後輩たちのために」と、運動するような殊勝な生徒はいない。自分たちはかっこ悪いままで、下の学年からかっこ良い制服になったらかえって腹が立つ。
 学校側にも生徒に選ばれたい、生徒数を確保したいという感覚はない。私立との奪い合いになれば、少しは制服にも気を配るだろうが、県央の公立中学校には私立のライバルはいない。何年たってもダサい制服が変わらない理由は生徒、学校双方にある。