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2010年12月21日

一般質問

 12月定例会で一般質問を行いました。
 質問項目は救命救急センターに関することと、県立月ヶ岡養護学校の子どもたちの送迎についての2点。救命救急センターについては質問というより、現状と課題を確認する形となり、養護学校に関しては前向きな答弁を得ることができました。
 答弁もまとめて載せたいのですが、まだ議事録ができてこないので、とりあえず質問概要をアップします。


Q 救命救急体制の整備について


[心肺機能停止傷病者の救命率について]

 県央の救命救急センターの議論では、県央医療圏では救急患者の5人に1人が圏域外に運ばれているといったデータも大切だが、より重要で、かつ深刻な数値がウツタイン様式による救命率だ。ウツタイン様式とは、心肺停止症例を原因別に分類するとともに、心肺停止時点の目撃者の有無、救急隊員などによる心肺蘇生の有無、除細動の有無などに応じて傷病者の経過を記録し、蘇生率などの統計を比較できるようにするために国際蘇生会議で提唱された国際的ガイドラインのこと。救急医療システムの質を比較する数値として、近年重視され、利用されている。
 消防庁によると平成21年に救急搬送された心肺停止症例のうち、心原性、つまり心臓が原因によるものは64,959件。うち心肺停止となった時点を一般市民に目撃された件数が21,112件、その1か月後の生存率は11.4%、社会復帰率は7.1%だった。
 新潟県の場合は、心原性で心肺停止時点を一般市民に目撃された症例が平成21年は431件、うち1か月後生存は52件、12.1%だった。
 三条市では21年の救急搬送のうち心肺停止症例は113件、うち心原性で心肺停止時点を一般市民に目撃された症例は22件だが、1か月後生存は1件、わずか4.5%。前年も同数だった。
自分ひとりではないときに、心筋梗塞や心室細動など心臓の病気が原因で心臓が止まった場合、全国平均や新潟県平均では100人のうち10人以上が助かっているのに、三条市で助かるのは半分以下、5人に満たない。
 市民の命にかかわる問題なのに、全国平均、県平均の半分以下の能力しかないというデータについて、市長はどのように受け止めておられるのか、また、その原因はなぜなのか。


[救命救急センター及び併設病院のあり方検討会議の議論の進捗状況と方向性について]

 県議会6月定例会で泉田知事は「救命救急センターは必要であり、併設病院の規模は500床程度を基本に検討を進めるという意見で一定の共通認識が得られた。いよいよプランから現実の計画へ大きく場面が展開している状況と考えている。次は病院の再編についての議論が必要だが、県央の既存病院は運営主体、立地する市町村がバラバラで、それぞれ利害関係をはらんでいる。既存病院の再編と、開業医との役割分担をどのように進めるか、住民、行政、医療関係者の合意を図らなければならない。この合意ができれば山を越えるということと思っている。関係市町村長と一度、フリーディスカッションした後、あり方検討会議を概ね月1回の頻度で開き、早期に地域合意を形成したい」「救命救急センターのあるべき姿について、本年度中を目標に、方向性が整理できるよう話し合いを進めたい」、12月定例会では「年度内に地域住民や行政、医療関係者の合意形成を図るため、救命救急センターと併設病院のあるべき姿について整理したい。経営主体のあり方などについては、再編の具体の方向性を踏まえたうえで議論することになる」と答弁した。市長の受け止め方を伺う。
 知事が6月定例会で行うことを明言されたフリーディスカッションでは、どのような議論がなされたのか。知事は概ね月1回の頻度で開くとしたあり方検討会議がなかなか開かれない原因は何か。

 11月25日の知事、市町村長、医療関係者等合同会議では、平成20年の県央医療圏の救急搬送件数7,565件のうち、圏域外搬送が1,437件、19%だったことを踏まえ、これらの患者を圏域内で受け入れた場合の必要医師数を32人と算定し、今後はこれを踏まえて併設病院の規模などを議論することになったと報じられている。シュミレーションの前提がおかしいのではないか。圏域外搬送が1,437件だったといっても、そのうち389件、27%は軽症、718件、50%は中等症。あり方検討会議は重症患者のための三次救急の話をしているのか、単に県央にもうひとつ中規模病院を作ろうというような話をしているのか。
 救命救急センターの形態や規模などを議論し、そのための医師数を算定し、その医師数を抱えて運営していける併設病院の規模を考えるという手順で議論を進めようとしているように見受けられるが、現実とかけ離れすぎている。圏域外搬送が1400件だから必要医師数は32人、それで計算すると併設病院の規模は何百床といった安易な試算が通用するなら、県央の医師数がこの10年間で17%も減るような事態に陥っていない。県央は、個々の病院の先生やスタッフは頑張っているのに、中規模クラスの、経営形態の違う病院が林立しているという特殊条件によって、救命救急患者への対応や医師確保に苦労しているのではなかったのか。
 24時間対応の救急体制、2・5次ないし3次救急について、県央は何が必要なのか、その際、たとえば脳疾患や整形外科などの救急は既存病院に受け持ってもらうといった役割分担などを協議し、そのうえでセンターに必要な機能や医師、そのバックボーンとなる併設病院の規模、機能、これも他の病院との役割分担を踏まえた機能を協議していくべきではないのか。本来は救急医療の質を高めることを議論すべきなのに、現状は量の議論をしているのではないか。

 我が会派「新しい風」は11月30日、救命救急医療について県立新発田病院と新潟市民病院を視察した。新発田病院の矢沢良光院長は「勤務医は高度な医療を勉強できる環境を望んでいる。とくに若い医師は先端医療を教えてくれる先生のいる病院、多くの患者を診察できる病院を望んでいる。それだけに病院はある程度の規模でないと医師を集められない。その点、県央は不利ですね」、新潟市民病院の広瀬保夫救命救急・循環器病・脳卒中センター長も「救命救急センター単独での運営はありえない」と話されていた。
 ちなみに県立新発田病院は478床で常勤医師は76人、新潟市民病院は660床で常勤医師130人だ。あり方検討会議は、関係者の脱落を防ぐために、無理を承知で訳のわからない理屈で議論を進めようとしているのかもしれないが、必要医師数32人などというこじつけの数字が独り歩きして大丈夫なのか。もっと現実的な、真摯な議論を積み上げるべきではないか。

 新潟市は平成19年11月の新潟市民病院移転改築に合わせ、同じ敷地内に救急ステーションを設置した。このステーションでは救急隊員の教育研修や応急手当の普及啓発活動などのほか、救急車も配備し、急性の心疾患や脳卒中、負傷者多数の重大事故などの場合に、救急隊員のほか市民病院の医師も乗った救急車が出動する、いわゆるドクターカーを運行している。この結果、ウツタイン様式のうち、心室細動と心室頻拍に限った新潟市の1か月後生存率は、ドクターカー運行前の26.3%から運行後は49.4%にアップしている。三条市から見るとドクターカー運行前の数値でも信じられないくらい高いのに、49.4%は驚異的だ。これはVFとVTに限った数値だが、三条市の心原性の市民目撃心肺停止症例の1か月後生存率はわずか4.5%だ。救命救急体制の整備は、救命救急センターを作れば終わりではない。ドクターカーの運行など、整備しなければならない課題は多いが、現時点ではドクターカーなど夢物語。先は長いのだから急がなければならない。

 政府は4月の事業仕分けで労災病院を運営している独立行政法人労働者健康福祉機構について、事業規模を縮減、病院のガバナンスは抜本的見直し、他の公的病院との再編等についても広く検討するとの方針を決めた。その後、燕労災病院に関する何らかの動きは出ているのか。県や県央側から厚生労働省に対して何らかのアクションを起す必要があるのではないか。


[救命救急に関する広報活動について]

 県央の救命救急体制を早く整備するには、市民要望の強さも大切だ。県央に救命救急センターは必要と感じている市民も多い一方、救命救急センターがどういうものなのか知らない市民もいる。この事業を進めるうえで、救命救急センターがどういうものなのかを市民に知ってもらうことも大切ではないか。講演会や先進施設見学会も含めた広報活動を強化することも、救命救急センターの設置を早めるパワーとなる。


Q 県立月ヶ岡養護学校に通う三条市内の児童生徒の送迎について


 三条市内から月ヶ岡養護学校の小学部に15人、中学部に24人、高等部に27人の計66人が通っている。うち寄宿舎に入っているのは小学部の2人と中学部の12人、高等部の12人の計26人。寄宿舎が定員を超えているため、学校側は三条市内の児童生徒はできるだけ自宅通学するように求めている。同校の始業は午前8時50分、下校は小学部が午後2時20分、中学部は3時、高等部は3時10分のため、保護者が送迎をしようとすると午前8時30分や9時から始まる仕事にも、午後2時、3時以降に終わる仕事にも就けない。つまりごく短時間のパート以外、働くことができないことになる。6月定例会で「三条市として何らかの対応が必要ではないか」と質問した。
 教育部長は「学校や県教育委員会から具体的な要請などはない。新たな支援が必要かどうか慎重に検討したい」、市長は「改めて月ケ岡養護学校と協議したい」という答弁だったが、協議の結果をお尋ねする。

 三条市立の小学校の特別支援教室に6年間通い、他の子どもたちと一緒に遊び、運動会や発表会を楽しみ、できることなら友だちと一緒に地元の中学校に通いたかったのに、その子のためにはこちらがいいですよと言って養護学校に通うことを薦めたのは教育委員会だ。地元の中学校なら歩いて通えるのに、養護学校に進んだばかりに登下校に苦労している三条市内の親子に対し、県立の学校の子どもだから県が面倒をみればいいと市は知らぬ顔をしていていいのか。
 三条市内9つの中学校のうち、本成寺中や大島中には特別支援教室はない。設置を県にお願いしているそうだが、できたとしても、どこの三条市立中学校の特別支援教室も、障害がちょっと重いと受け入れようとしない。人的スタッフの面でも設備の面でも受け入れられないからだ。
 月ヶ岡養護学校は三条市内の子は寄宿舎に入れない、送迎の面倒も見てくれない、であるなら養護学校には物理的に通えないので地元の中学校に入れてくださいと、ハンディキャップを持つすべての子どもが求めたとき、市は対応できるのか。重いハンディを持つ子どもを受け入れられる環境を整えられるなら、それにこしたことはないが、整えられないのであれば、送迎を支援するしかないのではではないか。

2010年12月20日

首長パンチ

 「悪天続きでやる気が出ない」「寒くて何をするのも億劫だ」という人にお薦めの本がある。今月7日発刊の『首長パンチ』(講談社)だ。著書は佐賀県武雄市の樋渡(ひわたし)啓祐市長。現職市長の本といっても、行政用語を並べた小難しい話ではない。自身の波乱万丈の歩みをつづった自叙伝で、常に前向きな樋渡氏のパワーが詰め込まれており、読み終わったときには元気が沸いてくる。
 樋渡氏は総務省出身で、国定勇人三条市長の4年先輩。入省後、しばらく同期のトップを走っていたが、上司に逆らって沖縄に左遷されてしまう。キャリア官僚としては大きな挫折だが、樋渡氏はすぐに立ち直り、沖縄振興策などに取り組む。それが評価されて内閣官房に呼び戻されたが、書類相手の仕事を苦痛に感じるようになる。
「僕が沖縄で学んだことの中でいちばん大切なこと、それは、人は人と人の間に入っていかなければならないということだ。人と人の間で生きていくからこそ、人間なのだ」と再度、市民と直接かかわる仕事を希望し、大阪府高槻市に出向する。
 高槻市でもユニークな実績を積む樋渡氏に、出身地の武雄市から市長選に出馬してほしいと要請される。「無投票になる見込みだから」と説得されて武雄市に戻ると、実は強力な対立候補がいて樋渡氏は泡沫候補扱い。話が違うと戸惑いつつも、「なんくるないさ~(なんとかなるさ)」と開き直り、必死で戦った結果、当時36歳で全国最年少の市長となった。
 武雄市では「佐賀のがばいばあちゃん」のテレビロケ誘致に成功したほか、イノシシ肉やレモングラスを新しい特産品として売り出すなど、新しい発想で次々と新事業を展開した。樋渡氏のセンスと行動力、人を巻き込むうまさと情報発信力で武雄市はどんどん変っていくが、市を二分する問題が急浮上する。前市長が国から譲り受けた市民病院が巨額の赤字を抱え、放置すれば市の財政破たんを招きかねない状況になっていたのだ。
 樋渡氏は市民病院の民営化を決断したが、これに医師会が反発。反対運動が起き、反樋渡派の自民、共産両党市議らが相乗りし、ついには市長リコール運動に発展。樋渡氏は先手を打って辞職し、市長選に挑む。
 樋渡氏のキャラクターなのか、文章の巧みさゆえか、お堅い行政の話のはずが、まるで冒険小説を読んでいるような気分になる。
 あとがきには樋渡氏の仲間として国定三条市長の名前も出てくる。確かに共通点は多い。選挙までの展開や、選挙戦での批判の浴び方などはそっくりだ。国定市長も自分の体験と重ね合わせながらこの本を読んだようだ。


2010年12月13日

ハザードマップ

 三条市は平成17年11月に災害ハザードマップを作り、全戸配布した。信濃川版、五十嵐川上流(下田地区)版、五十嵐川下流(三条・栄地区)版、刈谷田川下流(栄地区)版の四種類あり、それぞれの河川が氾濫した場合、どの地域がどの程度、浸水するのかを黄色や青など4色で示してある。
 地図の裏面には「災害時の持ち出し品」「避難情報とその対応」「災害関連情報の入手方法」「気象台から提供される情報」、また破堤後、水がどのように広がるのかを数時間単位で示す図面も掲載している。
 前年に発生した7・13水害を教訓に、災害に強いまちづくりに向けて作った。全戸配布から5年。しっかり保管している家庭がどの程度あるのか分からないが、「そんなの配られた?」という市民も少なくない。
三条市は水害対応マニュアル(市民編)も作った。「水害時の市民の基本的な行動を示した」もので、避難勧告が発令されたときは「通常の避難行動ができる方は第1次避難所、または第2次避難所への避難行動を開始してください」、避難指示が発令されたら「避難勧告などの発令後で避難行動中のときは、直ちに避難行動を完了してください」などと定めている。
マニュアルは「一般的にはこの方法が良い」という手引書。どんな状況にも100%あてはまるわけではない。マンションの5、6階に住んでいる人が、水害の避難勧告が発令されたからといって豪雨の中、水没する心配のない自宅を出て、危険な道路を歩いて平屋建ての保育所に逃げ込む必要はない。
ことし6月、三条市は群馬大学大学院の片田敏孝教授を防災対策総合アドバイザーに委嘱した。片田教授は災害社会工学の専門家。7・13水害の際は、発生2か月後に三条市で避難勧告発令をどの程度の市民が認知したかといった調査も行っている。
片田教授の監修で愛知県清須市が作ったハザードマップには、三条市と同じような「浸水想定区域図」のほかに「気づきマップ」や「逃げどきマップ」が付いている。「気づきマップ」は、どの川が決壊すると、自分の住む地域がどうなるのかを示した地図。「逃げどきマップ」は地図上の色分けに加え、自宅が木造なのか鉄骨や鉄筋コンクリート造りなのか、何階建てかといった細かな条件を想定、避難すべきなのか、自宅待機すべきなのかをアドバイスしている。
対応に絶対はない。「あくまで想定された計算上でのひとつのシナリオに過ぎません。実際の洪水はそのとおりに発生するとは限りませんので、気象情報、水位情報、避難情報や周辺状況などに注意し、ご自身の判断で行動してください」と注意している。公助、共助が届く前に、まずは自助が大切ということのようだ。
三条市も片田教授の指導を受け、新しいハザードマップを来年3月までに作ることにしている。