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2010年07月18日

ダメ出し選挙

 「ダメ出し」を辞書で調べると「欠点、弱点などを指摘すること」「仕事などのやり直しを命じること」とある。もとは演劇用語で、演出家が役者に演技のやり直しを求めるときに使った。昨年八月の衆院選に続き、今回の参院選も、与党に対して国民が「ダメ」を出した「ダメ出し選挙」だったのではないだろうか。昨年の総選挙で有権者は自民党政治に「ダメ」を出した。今回は民主党政権に対する「ダメ出し」だった。どちらも「これがいい」と前向きな理由で投票先を選んだわけではない。「これはダメ」と、投票しない党や候補者を決めたに過ぎない。勝たせたい政党はなく、勝たせたくない、あるいは負けさせたい政党だけがあったのではないだろうか。
 参院選で与党は大敗した。改選前と比べて民主党は10減の44議席、国民新党は3減のゼロとなった。野党は自民党が13増の51議席、みんなの党は10増の10議席などとなった。非改選と合わせても与党は110議席で、過半数に12議席足りない。またしても衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」が出現した。
 11か月前までのねじれと違うのは、得票数だけなら民主党が依然として第1党である点だ。比例代表で民主票は1845万票を獲得し、16議席を得た。自民党は1407万票で12議席。その差は438万票もあり、自民党も手放しで喜んではいられないのだ。選挙結果を左右したのは選挙区、それも29ある1人区で、民主党は8勝21敗と大きく負け越したために、過半数を失った。
 「ダメ出し選挙」の悲劇は、国民が与党の何を否定したのか、野党の何を評価して選んだのか、明確でないことだ。例えば消費税。大手マスコミは「争点だ」とあおったが、選挙結果は増税に前向きな民主、自民両党が圧倒的多数を占めた。増税に慎重なみんなの党は、伸びたといっても10議席でしかない。反対した公明、共産、社民は議席を減らした。争点だったのだとすれば、国民は消費税増税を容認したことになる。民主党の敗因も消費税とは言えなくなる。
 「ダメ出し」は、なんでも「ノー」と言っていれば格好がつく。深い知識や考えがない評論家、コメンテーターでも、批判だけなら簡単にできる。国民の「ダメ出し」を、官僚たちはどう見ているだろう。選挙で選ばれた国民の代表が無能なために国民に「ダメ」を出された。ならば試験で選ばれた我々が、国政を担わなければならないと決意を新たにしているのではないだろうか。現状では官僚支配にダメ出しできないのが歯がゆい。

2010年07月12日

先生のホントのお仕事

 夏休みに向け、各小学校が注意事項などを書いた文書を保護者に配り始めている。内容の大半は生活指導に関すること。「朝9時までは友だちの家に行きません」「ゲームセンターなどにはおとなと一緒に行きます」といった細かな注意が並んでいる。「暗くなる前に家に帰ります」の次に「万引きはしません」といった生活指導以前の、法律遵守を求める注意まで並んでいる。さすがに「親をバットで殴ってはいけません」「学校には放火しません」などと書いている学校はないようだが。
 こうしたプリントは教職員が作る。学校には「生活指導主任」といった役職まである。夏休み中の家庭生活のルールまで指導するのが先生の仕事の一部となっている。先生が望んでいるわけではない。親がそれを求めている。昔は「どうすればいいのか分からないので教えてもらえないでしょうか」という姿勢だった。本来は親の仕事なのだが、先生からもアドバイスしてもらえるとありがたいという「お願い」だった。いまは「子どもにちゃんと教えておいてください。先生なんだから」という態度。子どもの指導に関することはすべて先生の仕事だと思っている親もいる。
 OECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査で、常にトップランクに位置しているのがフィンランド。授業時間は日本より短いが、子どもたちの学力は日本より高い。日本との違いはいくつかあるが、フィンランドの先生は生活指導も進路指導もクラブ活動の顧問もしない。先生の仕事は授業だけ。日本の先生が「道路や線路では遊びません」といった夏休みの生活指導プリントを作っている間、フィンランドの先生はより分かりやすく、楽しい授業のために教材研究などに取り組んでいる。フィンランドでは家庭での生活指導はもちろん、進路に関しても親と子が決める。先生が口をはさむことはないという。
 平成15年と18年のOECD学習到達度調査を比べると、日本は科学的リテラシー(活用力)が世界第2位から6位に低下。数学的リテラシーは6位から10位に、読解力は14位から15位に低下した。日本はアジア内でも韓国や台湾、香港に負けている。「ゆとり教育」のせいだけだろうか。夏休みの万引き防止指導まで学校の先生に頼んでいることの方が問題なのではないだろうか。

2010年07月02日

「もしドラ」

 友人が突然「ドラッカーは『企業の目的は顧客の創造である』と言ってるんだよ。その通りだと思うんだよね、僕は」などと言い出した。普段はどこのラーメンがうまいだの、どの店にかわいい子がいるといった類の話ばかりしている男だ。彼からヤマザキナビスコのクラッカーの話なら聞いたことはあるが、ドラッカーなど聞いたこともない。いったい何の話をしているのか。「あれ、知らないの? だめだなぁ、経営学の父と呼ばれている人なのに」。熱でもあるのだろうか。ドランカー(酔っ払い)なら分かるが、ドラッカーは似合わない。
 問い詰めたら白状した。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(ダイヤモンド社)を読んだのだという。装丁は「萌え」風の女子高校生のイラスト。青春小説であるとともに、ビジネス書でもあるという。著者の岩崎夏海さんは作詞家秋元康さんの弟子で、放送作家として「とんねるずのみなさんのおかげです」「ダウンタウンのごっつええ感じ」などの制作に参加。アイドルグループ「AKB48」のプロデュースにも携わった。
 物語の主人公は公立高校野球部のマネージャーになった女子高校生。マネージャーの仕事のためにとピーター・F・ドラッカーが企業経営について論じた著書「マネジメント」を買ってしまう。その勘違いに一時は後悔したが、せっかく買ったのだからと読み進むうちに、ドラッカーの理論が野球部のマネジメントの参考になることに気付く。組織の定義やマーケティングの必要性、働きがいの与え方、専門家の活用、自己目標管理の方法、イノベーション戦略など。こうした理論を活用し、主人公は弱小野球部を生まれ変わらせ、甲子園を目指すというストーリーだ。
 これ一冊を読んだだけで経営学の泰斗のような顔をしている友人から、この本を借りた。面白いのでアッという間に読み上げた。なにしろ「イノベーション戦略の第一歩は古いもの、陳腐化したものを計画的、体系的に捨てること」というドラッカーの言葉から、高校野球に付き物の「送りバント」と「ボール球を打たせる投球術」を捨て去る「ノーバント・ノーボール作戦」を展開する野球部。それが見事に当たって予選を勝ち進んでしまうのだからたまらない。
 面白い小説という点ではお奨めだが、友人のようにこれを読んだだけで「組織の経営というものは…」などと一端の経営者気取りになってしまうという副作用もある。