うさぎ跳び
その時代は常識と思われていたことが、後年、非常識に変わることは多々ある。
昭和3年のアムステルダム五輪、三段跳びで織田幹雄選手が優勝し、日本人初の金メダリストとなった。7年のロスアンゼルス五輪では同じく三段跳びで南部忠平選手が世界新記録で優勝した。さらに11年のベルリン五輪では田島直人選手が世界新記録で優勝した。3大会連続の五輪金メダル。なぜ日本は三段跳びに強いのか。選手や指導者の努力と才能、適切な練習方法のためだったのだろうが、当時は「日本の便所の形が足腰を鍛えるのに適しているためだ。西洋のように座っていては足腰は強くならない。しゃがむことで跳躍力が増す」と大真面目に論じられていた。
いま、こんなことを言えば小学生にもバカにされるが、なにしろ日本初の金メダルを含め、3大会連続で世界一を獲得したのだから、当時はそれなりの説得力を持っていたようだ。和式便所体力強化説はその後も生き続け、戦前には「和式便所で鍛えられている日本人は、欧米人より強い」と力説する評論家もいた。日米開戦を容認する世相の底辺には、こういう珍説もあったわけだ。もちろん、和式便所で足腰を鍛えただけでは戦争に勝てなかった。三段跳び自体、その後、日本が優勝することはなく、田島選手がマークした世界記録16㍍は、洋式便所で育った欧米の選手たちに次々と更新された。
戦後も長く常識だったのに、ここ2、30年で覆ったこともある。例えばウサギ跳び。ほとんどの運動部が取り入れていた定番の基礎練習メニューで、体育の授業でも行われていた。アニメ「巨人の星」のオープニングに影響を受けた多くの子どもたちが、この辛さを我慢すれば足腰が強くなると信じて汗を流してきた。いま、授業や部活動でウサギ跳びをする学校はない。運動生理学などの発達により、ウサギ跳びにトレーニング効果はなく、むしろ関節や筋肉を傷める可能性が高いことが分かっている。
「練習中は水を飲むな。飲むと、すぐにばてる」といった指導もあった。我慢することで根性が鍛えられ、根性が鍛えられれば体力も付くといった精神論が主流で、アニメやドラマもスポーツ根性もの、いわゆるスポ根が流行った。いまは逆。練習中、こまめに水分を補給することは常識で、これを欠かすと身体能力や生理的機能が低下し、ひどい場合は熱中症となることが知られている。「球技の選手はプールに入るな。水泳をすると筋肉の付き方が変わってしまう」などという、いま振り返っても、なんでそんな理屈がまかり通ったのか分からない指導もあった。
いま、常識と思っていることが将来、非常識に変わることもあるのだろう。20年後、「昔の人はインフルエンザが流行ると、予防のためにマスクをしたんだって。それでうつらないと思っていたらしいよ」などと言われてしまうのだろうか。