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2009年11月29日

うさぎ跳び

 その時代は常識と思われていたことが、後年、非常識に変わることは多々ある。
 昭和3年のアムステルダム五輪、三段跳びで織田幹雄選手が優勝し、日本人初の金メダリストとなった。7年のロスアンゼルス五輪では同じく三段跳びで南部忠平選手が世界新記録で優勝した。さらに11年のベルリン五輪では田島直人選手が世界新記録で優勝した。3大会連続の五輪金メダル。なぜ日本は三段跳びに強いのか。選手や指導者の努力と才能、適切な練習方法のためだったのだろうが、当時は「日本の便所の形が足腰を鍛えるのに適しているためだ。西洋のように座っていては足腰は強くならない。しゃがむことで跳躍力が増す」と大真面目に論じられていた。
 いま、こんなことを言えば小学生にもバカにされるが、なにしろ日本初の金メダルを含め、3大会連続で世界一を獲得したのだから、当時はそれなりの説得力を持っていたようだ。和式便所体力強化説はその後も生き続け、戦前には「和式便所で鍛えられている日本人は、欧米人より強い」と力説する評論家もいた。日米開戦を容認する世相の底辺には、こういう珍説もあったわけだ。もちろん、和式便所で足腰を鍛えただけでは戦争に勝てなかった。三段跳び自体、その後、日本が優勝することはなく、田島選手がマークした世界記録16㍍は、洋式便所で育った欧米の選手たちに次々と更新された。
 戦後も長く常識だったのに、ここ2、30年で覆ったこともある。例えばウサギ跳び。ほとんどの運動部が取り入れていた定番の基礎練習メニューで、体育の授業でも行われていた。アニメ「巨人の星」のオープニングに影響を受けた多くの子どもたちが、この辛さを我慢すれば足腰が強くなると信じて汗を流してきた。いま、授業や部活動でウサギ跳びをする学校はない。運動生理学などの発達により、ウサギ跳びにトレーニング効果はなく、むしろ関節や筋肉を傷める可能性が高いことが分かっている。
 「練習中は水を飲むな。飲むと、すぐにばてる」といった指導もあった。我慢することで根性が鍛えられ、根性が鍛えられれば体力も付くといった精神論が主流で、アニメやドラマもスポーツ根性もの、いわゆるスポ根が流行った。いまは逆。練習中、こまめに水分を補給することは常識で、これを欠かすと身体能力や生理的機能が低下し、ひどい場合は熱中症となることが知られている。「球技の選手はプールに入るな。水泳をすると筋肉の付き方が変わってしまう」などという、いま振り返っても、なんでそんな理屈がまかり通ったのか分からない指導もあった。
 いま、常識と思っていることが将来、非常識に変わることもあるのだろう。20年後、「昔の人はインフルエンザが流行ると、予防のためにマスクをしたんだって。それでうつらないと思っていたらしいよ」などと言われてしまうのだろうか。

2009年11月25日

東三条 今昔

 明治30年11月20日に開業した東三条駅が112歳の誕生日を迎えた。開業当初は北陸鉄道の一ノ木戸駅だった。三条駅の開業は明治31年。一ノ木戸駅はそれより1年早い。明治40年には北陸鉄道が国有化され、大正15年には名称を一ノ木戸駅から東三条駅に改めた。現在の駅舎は昭和34年に建てられたものだ。
 輸送手段の主役が船から鉄道に変わった後は、東三条、三条両駅が三条市の玄関口となった。特急や急行が東三条駅に停車するようになって以後は東三条が三条市の代表駅となり、表玄関と呼ばれるようになった。駅前広場にはバスターミナルができ、昭和50年には長崎屋東三条店も開店。周辺は学生や通勤客、買い物客などでにぎわい、旅行代理店のほか喫茶店やレコード店、当時、流行したビリヤード場など若者向けの店が並んだ。居酒屋チェーン店の出店が相次いだこともある。
 流れが変ったのは昭和57年、まちの反対側に上越新幹線・燕三条駅が開業した後だ。昭和60年には弥彦線の東三条・越後長沢間が廃止され、平成10年には貨物列車も止まらなくなった。長崎屋東三条店の売り上げは平成2年の29億円をピークに減少に転じ、12年には3分の1近い10億円まで低下。同店は長崎屋の経営破たんに伴って14年に閉店した。東三条駅の昨年の乗降客数は1日平均2886人。燕三条駅の2144人よりは多く、三条市内では依然、一番だが、長岡駅と比べるとわずか4分の1。3万7000人を超える新潟駅のおよそ13分の1で、加茂駅の3063人より少ない。
 東三条駅周辺にかつてのにぎわいはない。駅前のビルやビジネスホテルの跡地は空き地や駐車場となっており、長崎屋東三条店の跡地も普段は空き地のまま。駅前の一等地にもかかわらず、活用はリサイクル業者が廃品回収のため一時的に利用した程度にとどまっている。立体駐車場の跡地は畑になっている。東三条商店街もシャッターを降ろしたままの旧店舗や空き地、駐車場が目立つ。
 世の中、エコブームだ。鳩山由紀夫首相は温室効果ガス25%削減を国際公約した。エコを推進するためには、鉄道やバスなどの公共交通が重要になる。駅やバスターミナルの役割、まちづくりにおける位置付けなども見直されることになる。首都圏などとの交通拠点の座は燕三条駅に奪われても、地域内公共交通の拠点は、いまも東三条駅だ。これ以上、寂れては商店街関係者だけでなく、市民が困る。官民で知恵を出し合わなくてはならない。

2009年11月17日

工業出荷額

 三条市が工業統計調査をもとにまとめた「三条市の工業」によると、平成19年末の事業所数は660、従業者数は14584人、製造品出荷額は3207円だった。前年と比べると事業所数は18事業所、2・7%減ったが、従業者数は331、2・3%増えた。製造品出荷額は調査項目が変わり、新たに修理料収入や自家発電余剰電力の販売収入、転売収入などが加えられたため、前年とは比べられなくなった。
 業種別で製造品出荷額がもっとも多かったのは金属製品の834億円で、全体に占める比率は26%。三条市の工業の4分の1以上が金属製品だった。以下、鉄鋼が614億円、電気機械が613億円、一般機械が411億円、プラスチック製品が132億円、印刷が128億円、輸送用機械が126億円、食料品が119億円で、他は100億円未満だった。
 出荷額から原材料使用額や減価償却額などを差し引いた付加価値額は1273億円で、前年より54億円、4・1%の減。三条の工業は、出荷額はどうあれ、儲けが減ったことは間違いない。規模別に従業者1人当たりの付加価値額を見ると、大手企業と零細企業の効率の違いがよく分かる。従業者9人以下だと1人当たりの付加価値額は505万円にとどまるが、10人から19人は647万円、20人から29人は750万円、30人から49人は745万円、50人から99人は801万円、100人以上は1306万円となる。9人以下と100人以上の差は2・5倍。零細事業所の従業者1人が505万円を稼ぐ間に、大手の従業者1人は1306万円を稼いでいることになる。
 県内20市では三条市の出荷額は3位くらいと思い込んでいた。実際は6位。新潟市がもっとも多い1兆786億円、次が長岡市で7046億円。3位は上越市の6178万円、4位は燕市の4334億円、5位は柏崎市の3378億円で、その次にようやく三条市の3207億円がくる。燕と三条が合併すると一挙に長岡を抜いて2位になる。工業都市としての注目度が高まり、企業PRにも役立つのに両市の合併協議は進まない。業界人も4位や6位あたりがちょうどいい、県内の産業振興施策は新潟、長岡、上越の三極中心に進められれば十分と思っているのだろうか。