古きよき三条のまちを残すために~登録有形文化財制度
「まちづくり」というと、とかく都市開発や区画整理など、新たに何かを造ることに目が向きがちだ。三条市の五大事業などはその典型。一方で新たなものは造らない、古いものを守ることを主眼とするまちづくりもある。
文化財を守り、地域の資源として積極的に活用しようとしている自治体が増えている。それが顕著になったのが平成8年の文化財保護法改正後。新たに登録有形文化財制度が設けられたためだ。
以前からあった有形文化財の指定制度は、審査も指定後の規制も厳しく、とっつき難かった。これに対して登録有形文化財制度は、建築後50年以上の建造物などが対象で、指定制度よりは審査のハードルが低く、規制も緩やか。文化的価値のある近代の建造物が、都市開発や生活様式の変化などによって安易に壊されることのないようにと設けられた。
ことし7月までに全国の登録建造物は7千件を越えた。住宅や店舗、神社仏閣などのほか、工場や駅舎、橋、トンネル、ダム、煙突、門、井戸、石垣などもある。
これら登録建造物に対しては、保存や活用に必要な修理などの設計管理費の半額を国が補助したり、相続税の3割、固定資産税の5割を免除するといった優遇措置がある一方、規制は外観が大きく変わる場合などに届け出る程度となっている。
新潟県内の登録も300件を越えた。新潟市、佐渡市、村上市などの登録が多く、県央では平成10年に弥彦神社、13年に大河津分水洗堰、ことし6月に燕市、鎚起銅器製造玉川堂の登録が認められた。
三条市内の登録は現在ゼロ。市では昭和10年建築の歴史民俗産業資料館(旧武徳殿)の登録準備を進めているが、これ以外にも市有施設では昭和8年建築の大崎浄水場の事務所とポンプ室、市民運動によって保存された丸井今井邸などがある。
民間となると対象は数え切れない。三条の中心部には寺社や老舗の商店、かつて料亭だった建物などがある。農村部にはかつての大地主の館などがある。
他市ではこうした文化的な資産を上手に活用している。三条も見習わなければならない。何らかの手を打たないと建て替えられたり、取り壊されて駐車場にされてしまう。
かつて三条の大通りに、間口が狭くて奥に長いウナギの寝床のような建物がずらりと並んでいた頃、「江戸時代は建物の間口に応じて課税されたため、節税用にこうした建物が並ぶようになったのだ」と教わったものだ。そうした三条らしい建物も少なくなった。一方で新しい三条の代表的な建物である再開発ビルは苦戦を強いられている。
いま古き良き三条のまちを守ることを考え、実行しないと、二度と取り戻せなくなるのではないだろうか。(スキップビート85 9月10日付け三条新聞)