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2007年10月27日

全国的に増加~飛び込み出産 出産までの無料検診三条市は2回

 妊婦検診を一度も受けないまま陣痛を迎え、救急車で産婦人科に運び込まれる「飛び込み出産」が全国的に増えつつあるという。
 神奈川県産科婦人科医会によると、同県内8つの基幹病院が受け付けた飛び込み出産は平成15年の20件から年々増加。昨年は44件、ことしは4月までの4か月間ですでに30件を超えたという。
 飛び込み出産の場合、医師は妊婦や胎児の健康状態を把握しにくい。リスクが高いこともあって受け入れを断る産婦人科も多い。昨年8月、19の病院に受け入れを断られて死亡した奈良県の妊婦も、かかりつけ医のいない飛び込み出産だった。
 三条市消防本部によると、いまのところ三条市民から飛び込み出産の搬送依頼はない。ただ昨年10月、見附市の30代の女性が三条市内の駐車場の車中から携帯電話で「産婦人科に連れて行ってほしい」と119番通報、隊員が到着するとすでに出産後だったため、その場で応急処置をしたうえで母子を産婦人科に搬送した。この女性は妊婦検診を一度も受けていなかった。
 妊婦検診は、妊娠判定後から妊娠23週までは4週間に1回、35週までは2週間に1回、分娩までは1週間に1回ぐらいの頻度で検診を受けるのが一般的。受診総数は13回から14回ほどとなる。
 1回当たりの自己負担額は、検査の内容にもよるが6000円前後。飛び込み出産が増えつつあるのは、これら費用の問題がある。また妊娠を家族などに隠している場合もある。なかには出産を軽く考え、勝手に検診不要と判断しているケースもあるという。
 飛び込み出産を防ぐためには適切な広報とともに、環境整備も必要だ。
 厚労省は妊婦検診を5回程度、無料とするよう各自治体に求めている。その費用は地方交付税のなかで国が負担しているというが、交付税に色は付いていない。交付税のなかのいくらが妊婦検診分なのかは分からないようになっている。
 三条市の無料妊婦検診は2回。胎内市、田上町などとともに県内35市町村で最低ランクだ。最多は糸魚川市の15回。妊婦検診のほぼ全部を公費負担していることになる。新潟市や長岡市、燕市、加茂市などは5回、魚沼市などは4回、見附市などは3回だ。
 三条市の公費負担額は、現在の無料2回だと年間1100万円ほど。これを5回に増やすと約1500万円増の2600万円ほどとなる。
 国定市長が掲げる6つの重点政策のひとつが「子育て環境の充実」。妊婦の経済負担を軽くすることも子育て環境の充実のひとつにはなる。いくら財政が厳しいからといって「県内最低ランク」のままでいいのかどうか。これから始まる来年度予算編成で注視しなければならない。(スキップビート64 10月26日付け三条新聞)

2007年10月09日

公共施設の赤字ベスト10 赤字の穴埋めは市民の税金

 ヒット曲、人気芸能人、企業収益など様々なベストテンがある。そこで三条市が市民に活用してもらうために設置している公共施設の赤字ベストテンを調べてみた。
 18年度決算によると、赤字額トップは公民館。人件費や管理費などの支出は1億八8573万円。対して使用料などの収入は755万円で、差し引き1億7818万円の赤字だった。
 公民館は分館を含め市内15施設の合計だが、単体での赤字額1位は市立図書館。収入がほぼゼロとあって、支出の8961万円がそっくり赤字だった。
 赤字額3位は総合福祉センターで5649万円。4位は市民球場で4800万円、5位は市民プールで4536万円。以下、総合体育館が2839万円、勤労青少年ホームが2827万円、農業体験交流センターが2124万円、厚生福祉会館が1667万円、農村環境改善センターが974万円だった。
 17年度と比べると1位の公民館から8位の農業体験交流センターまでの順位は同じ。9位の農村環境改善センターと厚生福祉会館が入れ替わっただけだった。なお支出はランニングコストで計算した。建設費償還金や減価償却も加えれば、赤字額はさらに増える。
 これらの公共施設は市民サービスのために設置したもので、もともと採算ベースに乗せようとは考えられていない。採算が合うような施設は民間に設置してもらえばいい。行政が手を出す必要はない。
 だからといって「公共施設の赤字は当然」と開き直り、コスト意識を失うことは許されない。赤字を穴埋めしている財源は市民の税。常に削減する努力を続けなければならない。
 具体的には収入を増やし、支出を減らす努力を続けなければならない。収入増の方法のひとつが料金値上げだが、安易にやると市民のためのサービス施設の意味がなくなってしまう。値上げには限界がある。利用者を増やすための工夫を凝らすことが主となる。
 支出では人件費が大きい。これを削減するために市は施設に配置する職員数を減らしたり、給料の高い正職員の代わりに臨時職員を配置したりしている。
 指定管理者制度の導入も進めている。民間のノウハウ活用によってサービス水準を維持しながら支出を減らそうとするもので、赤字ベストテンの施設では総合福祉センターは社会福祉協機会に委託済み。市民球場、市民プール、総合体育館の3施設でも来年四月からの導入が決まっている。図書館は管理者の募集を始めており、将来的には公民館、農業体験交流センター、農村環境改善センターへの導入も予定している。
 民間企業は収入増や支出削減の努力を続けなければ経営が立ち行かなくなる。公共施設にはその危機感がないだけに、民間以上に注意しないとコスト感覚が麻痺してしまう。(スキップビート63 10月8日付け三条新聞)

2007年10月03日

「背水の陣」2万足らずの軍が川を背に20万の大軍と闘った故事

 紀元前204年、漢の名将、韓信が、趙と戦ったときのこと。趙は20万の大軍。対する韓信の兵は2万足らず。数で劣勢な韓信は、2000の兵を山中に隠したうえ、他の兵とともに川を背にして陣をしいた。
 趙軍は韓信の陣を見て「あれでは逃げ場がない。敵は兵法の初歩も知らないのか」と大笑いした。緒戦、兵力で圧倒的に優位に立つ趙軍は勇んで攻める。これに対して漢軍の先鋒隊は、韓信の命令通り、わざと槍や刀まで投げ捨てて敗走、陣内に戻った。趙軍の兵は「目の前に手柄が転がっている」と、自陣の守りも忘れて追走した。
 漢軍陣内では韓信が「我らに逃げ道はない。生きる方法は前方の敵を破ることだけだ。死中に活を求めよ」と檄を飛ばした。兵たちは必死に防戦。超軍は緒戦に圧勝したこともあり、ここで無理をしなくても勝負は時間の問題と判断、一度、自陣に戻ることにした。
 この間、韓信の伏兵2000が空同然となっていた趙軍の陣を奪った。陣に戻ろうとしてそれを知った趙軍が呆然としている背後を、自陣を飛び出してきた韓信の本隊が急襲。挟み撃ちとなった趙軍は総崩れとなった。
 後日、「兵法書によれば陣を張るときは山や丘を背とし、川や沼は左、前とすると記されています。ですが今回はその反対で勝利したのはなぜでしょうか」と問われた韓信は、「それは兵力差があまりないときの話。兵法書には死に直面したとき、生存を求めるともある。今回の趙軍はわれらの数倍。部隊を絶体絶命の境地に追い込めば、誰もが必死に闘う」と答えたという。
 これが「背水の陣」の故事。絶体絶命の状況で全力を尽くすことを「背水の陣をしく」と言うようになった。
 福田康夫首相は自らの内閣を「背水の陣内閣」と呼んだ。漢の韓信とはだいぶ違う。韓信はわずかな手勢で大軍に挑む際に背水の陣をしいた。敵対する大軍の側に慢心なり油断があったから勝てた。福田内閣は依然、衆議院で3分の2もの与党議員を抱えている。韓信とは逆。大軍の長の立場にいるのが福田首相だ。
 参議院では与党が過半数を割っている。とはいえ自ら、戦略として少数与党を選んだわけではない。年金問題や政治とカネなどの問題の対応が後手に回り、選挙に負けた結果だ。後ろが川という点では似ているが、これは背水の陣ではない。単なる「がけっぷち」ということではないだろうか。
 ところで韓信と趙軍の兵力差は、人口81万人で政令指定都市の新潟市と、人口10万6000人の三条市の都市力の差に似ている。三条市こそ背水の陣で都市間競争に挑まなければならない。(スキップビート62 10月2日付け三条新聞)