橋名にみる先人の教養とセンス 最古は明治6年架橋の嵐川橋
五十嵐川改修事業によって三条市内4本の橋が架け替えられている。今月3日には一新橋が開通した。来年6月には御蔵橋、再来年3月には常盤橋と嵐川橋が開通する。一挙に4本もの架け替えは初めてだ。
三条市の資料によると五十嵐川に最初に架けられた橋は明治6年架橋の嵐川橋。当初は「三条橋」と呼ばれていたが、明治16年の架け替え後、「山の気がたちこめた川に架かる」という意味の嵐川橋に改められた。
明治14年には常盤橋が完成した。当初の名は「松栄(まつえい)橋」。松屋川戸への架橋で地域が栄えることを願っての命名だった。昭和6年の永久橋架け替え時には、永久に変わらないという意味の、旧江戸城外濠に架かる橋と同じ名の常盤橋となった。三条橋も松栄橋も、渡るにはお金が必要な有料橋だった。
明治18年には田島橋が完成した。田島地先に架橋されたことからの命名で、過去3度、洪水などで架け替えられており、現在の橋は4代目となる。
大正13年には御蔵橋が完成した。江戸時代、年貢米を保管する村上藩の蔵が現在の中央公民館付近にあった。その蔵から五十嵐川の船着場まで年貢米を運び出した道が蔵小路。その蔵小路に架けた橋だから御蔵橋となった。
昭和4年に新大橋、昭和8年に一新橋が完成した。新大橋は新保と大町を、一新橋は一ノ木戸と新保を結ぶ橋。それぞれ「新しい大橋」「すっかり新しくなった橋」の意味をうまく掛け合わせている。
このほか昭和34年架橋の渡瀬橋は、渡船場の浅瀬に架けたことからの命名。信濃川に架かる明治18年架橋の瑞雲橋、昭和35年架橋の景雲橋は、いずれもめでたいことの前兆として現れる雲の意味。
我々の世代だと「上流から1号橋、2号橋、3号橋、あるいは赤く塗った赤橋、青い青橋、黄色い黄橋と呼んだ方が覚えやすい」などと安易に決めそうだ。こうしてひとつひとつ意味や由来を見てみると、先人たちの教養とセンスに感謝したくなる。
平仮名表記は、県道の常盤橋は「ときわばし」と濁点が付くのに対し、市道は「おくらはし」「いっしんはし」で濁らない。「おぐらばし、いっしんばしと呼んでいても当時は表記上、濁点を省いたのではないか」との説もあり、どちらが正しいのかはっきりしない。
嵐川橋の橋は「きょう」「はし」「ばし」のどれなのかも不明。現在、市で調べている。
ところで4本もの架け替えが行われているのは、言うまでもなく甚大な被害を被った7・13水害が発端。水害に強いまちづくりを願って五十嵐川改修工事を進めているためだ。
架け替えた橋の開通式はシンプルなもので十分。ただ再来年3月の改修工事竣工時には、7・13水害で亡くなられた方々の慰霊と、災害からの復興、災害に強いまちづくりへの決意を内外に示すしっかりとしたセレモニーが必要なのではないだろうか。(スキップビート51 6月17日付け三条新聞)