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2007年06月28日

1週間先送りの参院選~政治離れはますます

 国会の会期延長に伴い、参院選の日程が1週間先送りされ、7月12日公示、29日投開票となった。政府のお偉いさんたちは現場の混乱を知っているのだろうか。
 全国の選挙管理委員会同様、三条市の選管も7月5日公示、22日投開票の予定で準備を進めてきた。
 公示目前の日程先送りを受け、まずは投開票所を確保しなければならない。投票所は三条市内53か所。内訳は保育所・園や児童館が17か所、小中学校が18か所、公民館や集会所など他の公共施設が18か所。
 22日の予約を29日に変更しようとしたところ、すでにPTAや町内会などへの貸し出しが決まっていた体育館や地区公民館などが5、6か所あった。開票所となる厚生福祉会館でも社交ダンスのイベントが行われる予定になっていた。
 投開票所を変更しようにも、近所で適した施設を見つけるのは難しい。コロコロ変えては有権者にも迷惑がかかる。市選管は先に予約していたPTAや町内会、イベント主催者などに頼み込んで行事の日程を変更してもらった。
 22日の協力を依頼していた各投票所の投票管理者と立会人合わせて159人、また17日間にわたって市役所第二庁舎、栄庁舎、下田庁舎の3か所で行う期日前投票の管理者、立会人合わせて延べ153人の日程も変わる。「22日なら協力できたが、29日は予定が入っている」という人もいて、現在、その確認作業と不都合な人の代わりの協力者探しを進めている。
 市内全戸に郵送する投票所入場券約3万6000枚は、7月上旬に発送する予定だったため、すでに印刷した。はがき大の入場券に印刷してある投票日は「7月22日」。すべて廃棄し、刷り直さなければならない。
 市内384か所に設置する公営ポスター掲示場も作成済みだが、こちらの投票日も7月22日。「22日」の部分に「27日」のシールを張らなければならない。
 こうした経費も国が委託金で負担するのか、あるいは市が勝手に先走ったのだからと市の負担になるのか、市選管は「現時点ではまだ分からない」と話している。
 通常国会の会期は150日間と決まっている。その間に決着が付けられなかったからといって、参院選の日程を変更してまで成立を期すほど国家公務員法の改正は急務なのだろうか。いままで官僚の天下り先となる特殊法人をせっせと作ってきておきながら、にわかに天下り規制が喫緊の課題と言われても、それを素直に受け止める国民はどのくらいいるだろう。
 「年金隠し」とは思えない。年金問題を念頭に投票する人はするし、しない人はしない。1週間で忘れるほど国民はバカじゃない。心配なのは投票日が夏休み最初の週末となり、若い世代がレジャーなどに出かけることによって投票率が下がることだ。若い無党派層の棄権が増えれば、どの政党が有利になるのか。そこを考えての会期延長だとしたら、政治離れはますます進んでしまう。(スキップビート52 6月27日付け三条新聞)

2007年06月18日

橋名にみる先人の教養とセンス  最古は明治6年架橋の嵐川橋

 五十嵐川改修事業によって三条市内4本の橋が架け替えられている。今月3日には一新橋が開通した。来年6月には御蔵橋、再来年3月には常盤橋と嵐川橋が開通する。一挙に4本もの架け替えは初めてだ。
 三条市の資料によると五十嵐川に最初に架けられた橋は明治6年架橋の嵐川橋。当初は「三条橋」と呼ばれていたが、明治16年の架け替え後、「山の気がたちこめた川に架かる」という意味の嵐川橋に改められた。
 明治14年には常盤橋が完成した。当初の名は「松栄(まつえい)橋」。松屋川戸への架橋で地域が栄えることを願っての命名だった。昭和6年の永久橋架け替え時には、永久に変わらないという意味の、旧江戸城外濠に架かる橋と同じ名の常盤橋となった。三条橋も松栄橋も、渡るにはお金が必要な有料橋だった。
 明治18年には田島橋が完成した。田島地先に架橋されたことからの命名で、過去3度、洪水などで架け替えられており、現在の橋は4代目となる。
 大正13年には御蔵橋が完成した。江戸時代、年貢米を保管する村上藩の蔵が現在の中央公民館付近にあった。その蔵から五十嵐川の船着場まで年貢米を運び出した道が蔵小路。その蔵小路に架けた橋だから御蔵橋となった。
 昭和4年に新大橋、昭和8年に一新橋が完成した。新大橋は新保と大町を、一新橋は一ノ木戸と新保を結ぶ橋。それぞれ「新しい大橋」「すっかり新しくなった橋」の意味をうまく掛け合わせている。
 このほか昭和34年架橋の渡瀬橋は、渡船場の浅瀬に架けたことからの命名。信濃川に架かる明治18年架橋の瑞雲橋、昭和35年架橋の景雲橋は、いずれもめでたいことの前兆として現れる雲の意味。
 我々の世代だと「上流から1号橋、2号橋、3号橋、あるいは赤く塗った赤橋、青い青橋、黄色い黄橋と呼んだ方が覚えやすい」などと安易に決めそうだ。こうしてひとつひとつ意味や由来を見てみると、先人たちの教養とセンスに感謝したくなる。
 平仮名表記は、県道の常盤橋は「ときわばし」と濁点が付くのに対し、市道は「おくらはし」「いっしんはし」で濁らない。「おぐらばし、いっしんばしと呼んでいても当時は表記上、濁点を省いたのではないか」との説もあり、どちらが正しいのかはっきりしない。
 嵐川橋の橋は「きょう」「はし」「ばし」のどれなのかも不明。現在、市で調べている。
 ところで4本もの架け替えが行われているのは、言うまでもなく甚大な被害を被った7・13水害が発端。水害に強いまちづくりを願って五十嵐川改修工事を進めているためだ。
 架け替えた橋の開通式はシンプルなもので十分。ただ再来年3月の改修工事竣工時には、7・13水害で亡くなられた方々の慰霊と、災害からの復興、災害に強いまちづくりへの決意を内外に示すしっかりとしたセレモニーが必要なのではないだろうか。(スキップビート51 6月17日付け三条新聞)

2007年06月17日

手放しで喜べない“3千億円超”

 三条市の製造品出荷額がようやく3000億円を超えた。旧三条、栄、下田の合併に伴う数字の合算によるもので、見せ掛けは大きくなったものの実態は依然、厳しい状況にある。
 平成17年の工業統計調査によると、三条市の製造品出荷額は3034億6197万円。「三条市」として初めて3000億円を超えた。
 2年前と比べれば14%伸びたものの、手放しで喜べる状況ではない。旧三条、栄、下田三市町村の合計で見れば、過去に何度も3000億円を超えている。10年前の平成8年は3507億円だった。当時と比べて17年は472億円、14%の減となる。
 問題は出荷額から原材料使用額や減価償却額を差し引いた付加価値額。三条の製造業が「稼いだ額」のことで、17年は1337億円だった。10年前と比べると11%の減。稼ぎが減ったのだから基本給や手当、ボーナスなどの現金給与総額も減る。10年前より20%もの減の518億円にとどまった。
 現金給与総額の減は、従業者の給与、あるいは従業者数が減ったことを示している。17年の従業者数は16185人で、10年前より19%の減。現金給与総額の減少率の方が高いということは、従業者数と従業者1人当たり給与の両方が減ったことになる。
 政府は「景気は回復している」、日銀は「全体として緩やかに拡大している」と分析している。どこの国の話をしているのだろう。従業者数も給与総額も大幅に減っている三条市は日本ではないのだろうか。
 従業者1人当たりの付加価値額は826万円。長岡市の912万円と比べて決して高くはなく、労働集約型が多いということになる。
 これを従業者規模別に見ると、100人以上の事業所24社は1人当たり1352万円も稼いでいる。10人から99人までの300事業所は1人当たり732万円だ。
 深刻なのは9人以下。4人から9人までの402事業所は1人当たり512万円。3人以下の822事業所は1人当たり268万円。付加価値額がサラリーマンの平均年収より低くなっている。
 三条市も産業振興計画などを作って商工振興施策を展開しようとしている。しかし三条の業界をリードしている大手、中堅事業所に対する支援と、1人当たりの付加価値額が200万円台の事業所に対する支援は自ずと違ってくる。全部をごちゃ混ぜにして重点プロジェクトはこれなどとまとめるのは乱暴なのではないだろうか。小規模事業所にこそきめ細かな施策展開が必要だ。(スキップビート50 6月15日付け三条新聞)

2007年06月05日

道路から噴水が出ている!?

 三条市民には珍しくもなんともないものでも、他地域の人から見れば面白いものが結構あるらしい。例えば消雪パイプ。「なんで道路から噴水が出ているのですか?」と聞かれたこともある。
 消雪パイプは長岡市が発祥の地。浪花屋製菓創業者で長岡市議だった故今井与三郎氏が考案、昭和36年に第一号を敷設している。
 普及したのは新潟県内をはじめ北陸から東北にかけての平野部。山間部や北海道など寒冷地では、路上の水が凍ってしまうために使われていない。関東や関西では消雪パイプを知らない人が多い。
 「全国的には珍しい施設なのだから、使い方次第で面白くなるのではないか」と若手経済人。せっかく多額の税金を使って造った施設、道路の融雪に使うだけで冬場以外は眠らせておくのはもったいない、地下水に影響のない範囲で夏も活用できないだろうかという発想だ。
 例えば猛暑で客足が鈍る時期、日を決めて商店街の区間だけ水を出す。地球温暖化対策として取り上げられている打ち水代わりになるほか、売り出しに合わせて夜間、噴水状態の水にカラフルな照明をあてれば、商店街のイメージアップや集客力向上につながりはしないだろうか。
 五十嵐川改修事業が平成21年3月に完了する。生まれ変わった五十嵐川を商店街振興にどう結び付けるかは今後の大きな課題のひとつ。消雪パイプをうまく活用して「川辺の空間」と「水辺の商店街」を融合させることはできないだろうか。
 夏まつりの一日、商店街を交通止めにする時間を延長して水の広場にしたらどうなるだろう。福島県などでは豊作や無病息災を祈る神事として水かけまつりが行われている。埼玉県などではタイなど東南アジア各国で行われている水かけまつりを日本風にアレンジしてイベントに仕立て上げようとしている。
 消雪パイプはノズルの調整次第で水が飛び出す高さを変えることもできる。猛暑の中、子どもたちが水鉄砲片手に商店街を歓声を上げて走り回っている姿を見てみたい。
 おとなのイベントも水を使えるようになれば変わるかもしれない。民謡踊り流しの一角に、びしょぬれになりながらのヒップホップやよさこいソーランなどのダンス、「水も滴るいい男(女)」仮装コンテストなどが加われば、新潟市の民謡流しとはひと味もふた味も違ったイベントになるのではないだろうか。年に一日だけ三条が「水の都」になる仕掛けができれば、観光イベント化も夢ではない。
消雪パイプが雪だけでなく、固定観念をも解かしてくれる施設になるかどうか。あるいは水のことだけに「水掛け論」で終わってしまうだろうか。(スキップビート49 6月4日付け三条新聞)


2007年06月01日

民法772条 明治31年の施行時から109年間変わらない

 離婚後300日以内に生まれた子の父親を前夫とする民法の規定が問題となった。法律の問題を国会が解決するのは立法府が機能している法治国家の話。日本は官僚の通達で片付けてしまった。
 民法772条は、離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定すると定めている。明治31年の民法施行時から変わっていない。
 この間の109年で社会も科学も変わった。離婚や再婚が増え、早産でも元気に育つようになった。DNA鑑定も可能になった。厚労省によると平成17年に結婚した夫婦71万組のうち18万組、4組に1組以上は夫か妻、あるいは両方が再婚だ。法務省は離婚後300日以内に生まれる子は年間少なくとも2800人はいると推計している。
 この子たちの父親を現夫とするには、前夫に嫡出否認の訴えを起こしてもらうなどの面倒な手続きが必要だ。前夫の協力がなければできない。その結果、戸籍のない子が増えているという。
 こうした状況は国会でも取り上げられた。109年前に定めた民法の条文を変えるべきか、特例法を制定すべきかなどが議論された。
 結論は、法改正も特例法制定もなし。立法府が法律に手をつけられないことを横目に、法務省は民事局長通達を出し、妊娠時期に関する医師の証明書を付ければ現夫の子として認めることにした。これによって1割程度の子は救われる。しかし他の離婚成立前の妊娠の扱いは従来通りのため、大半の戸籍のない子は依然、放置されたままだ。
 国会が法律を変えないのに、行政府が官僚名の通達で法の運用を変えてしまう。おかしいと感じる方がおかしいのだろうか。官僚が作った法案を承認するだけで、議員立法のほとんどない国会は、立法府というより認法府と呼んだほうが実態に合っているのではないだろうか。
 三条市では小学4年生だった少女を9年2か月にわたって監禁するという凄惨な事件が起きた。監禁致傷罪の最高刑は懲役十年。九年二か月にもわたる長期監禁に対して懲役がわずか十年では国民が納得しない。
 検察は苦肉の策として被害額2500円の窃盗との併合罪を適用することとし、懲役15年を求刑した。裁判では併合罪の処理が争点となり一審の新潟地裁は懲役14年、東京高裁は懲役11年、最高裁は懲役14年の判決を下し、14年が確定した。
 少女の青春を奪った代償は懲役14年でも軽すぎる。法の想定外の犯罪が起きたのなら、法の不備を正せばいい。その後も各地で長期監禁事件が起きている。三条市の事件発生から17年、発覚からでも7年が過ぎたが、刑法はいまだに改正されていない。(スキップビート48 5月31日付け三条新聞)