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三条市長選挙

 11月5日告示、12日投票の日程で三条市長選挙が行われることになった。合併後2度目、前回から1年5か月ぶりの市長選だ。
 旧三条市では戦後17回、市長選が行われ、うち12回が投票、5回が無投票だった。戦後最初の昭和23年4月は5人が立候補し、決選投票の末、土田治五郎氏が当選した。土田氏は5人が立候補した24年、渡辺常世氏との一騎打ちとなった28年も当選し、3期連続当選した。
 32年には金子六郎氏が桑原謙一氏を破り、全国最年少の37歳で初当選。36年は金子氏が無投票で再選された。
 40年には高野亀太郎氏が稲村稔夫氏を、44年1月には同じく高野氏が近藤一氏を破って当選。44年11月は渡辺常世氏が大平武、近藤一両氏を破って当選した。渡辺氏は戦中の18年から21年まで第4代市長を務めており、県議会議長を経た後、全国最高齢の83歳で再度、市長に就任した。
 47年には稲村稔夫氏が磯野信司氏を破り、革新市政が誕生。51年には滝沢賢太郎氏が稲村氏を破り、保守陣営が市長の座を奪還した。
 滝沢氏は55年に無投票で再選されたが、在職中に死去。58年には滝沢市政の継承者として内山裕一氏が無投票当選した。
 内山氏は62年は無投票で、平成3年には高坂純、長谷川長二郎両氏を破って3選を果たした。
 7年には長谷川氏が滝口恵介、久住久俊、馬場信彦各氏を破って当選。11年には高橋一夫現市長が長谷川氏を破って当選し、15年には高橋市長が無投票で再選された。
 旧栄町では昭和31年の合併後13回にわたって村長・町長選が行われ、5回が投票、8回が無投票だった。
 合併直後の31年には木菱新左エ門氏が小林 一氏を破って初代村長に就任。木菱氏は35年にも大沢哲爾氏を破って再選された。
 39年には大沢氏が無投票で初当選。大沢氏は43年には木菱氏、47年には武田備万氏を破って3選を果たした。
 51年には佐藤元彦氏が大沢氏を破って当選。以後、投票になることはなく、佐藤氏が2回、津原金次郎氏が3回、小林弘右氏が2回、無投票当選した。
 旧下田村でも昭和30年の合併後13回、村長選が行われ、8回が投票、5回は無投票だった。
 合併直後の昭和30年には早川源一郎氏が蒲沢藤太郎、早川一郎両氏を破って当選。34年には土田嘉久雄氏が早川源一郎氏を破った。土田氏は38年は無投票で、42年には蝶名林保吉氏を破って3選を果たした。
 46年には蝶名林氏が淡路増永氏を破って当選。50年には刈屋定一氏が坂井新伍、小柳昭両氏を破って当選した。
 53年には皆川義雄氏が無投票で当選。皆川氏は57年、61年と蒲沢宏策氏を破り、平成2年には無投票で4期連続当選した。
 6年には佐藤寿一氏が山井正一氏を破って当選し、10年、14年は佐藤氏が無投票当選した。
 平成17年の三条、栄、下田の合併による新三条市最初の市長選では高橋氏が無投票で当選した。
 過去の首長たちは旧三条市では商工業界、旧栄町、下田村では農業や旧家出身が多かった。
 今回は予定候補にキャリア官僚の名前が挙がっている。異例中の異例となるのは三条市に限らない。人口10万人余の市長をキャリアが目指すこと自体、珍しい。うわさが流れた直後、中央省庁と地方の首長の力関係を良く知る市職員たちは「本当に引き受けたのだろうか」と首を傾げていた。高橋市長はよく口説き落としたものだ。(スキップビート20 10月8日付け三条新聞)

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