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2007年01月25日

設計ミス

 日本の官僚は優秀だと言われている。優秀だからか、官僚が机上で作る施策には複雑なものが多い。もっと単純な、我々にも分かりやすいものにしてくれればありがたいのだが、官僚はそれでは満足できないらしい。福祉にしろ農政にしろ、年々、複雑になる。複雑になればなるほど、矛盾も生じやすくなる。
 昨年10月から老人保健制度が変わった。75歳以上の医療費の自己負担が1割、または3割となった。
 同一世帯に、市民税の課税所得が145万円以上の70歳以上がいる人は3割負担、いない人は1割負担だ。例えば90歳のA子さんとB子さんの場合。A子さんは70歳の息子夫婦と同居している。息子は年金などの課税所得が145万円以上のため、A子さんは医療費の3割を負担しなければならない。
 一方、孫夫婦と暮らしているB子さんは1割負担となる。A子さんとB子さんの受け取る年金が同じであっても、医療費負担は3倍も違う仕組みになっている。
 ここまでは表の話。実はA子さんも医療費負担を1割に減らす方法がある。息子夫婦と世帯を分離するのだ。同居であっても世帯分離すれば、「同一世帯に課税所得145万円以上の70歳以上」という対象から外れるため、医療費負担は1割に落ちる。
 1割、3割の負担割合だけでなく、1か月に支払う医療費の限度額や、入院時の食事代なども大幅に変わる。A子さんが月に何度も通院していたり、入院している場合、世帯分離した場合としない場合では自己負担額が何万円も違ってくる。
 介護保険の場合はさらにひどく、世帯構成の対象者は70歳以上に限らない。同一世帯に市民税を課税されている人がいるかどうかで65歳以上の保険料が変わる。本人が非課税の場合、現在、年額5万7700円の保険料が、世帯分離によって3万7500円や2万3100円に減ることもある。介護サービスを利用した場合の自己負担限度額なども変わってくる。
 世帯分離の手続きは簡単だ。三条市の場合、市役所市民課窓口に住民異動届を出せば済む。分離後もそれまでと同じように家族と同居していても分離は認められる。行政がいちいち各家族の生活実態まで調べることはできない。
 世帯分離は好ましいことではない。分離すれば国民健康保険の均等割り課税額が2倍になることもあり、すべてのケースで得になるとも言えない。みんながこれをやり始めれば介護保険料をまた値上げしなければならなくなる。
 ただ、こうした制度設計はいかがなものかと思う。まるで国が世帯分離を奨励しているようなものだ。
制度は単純が一番。「上手の手から水が漏れる」ということわざもある。優秀すぎる官僚が机上で制度をいじくり回すことが国民のためになるとは限らない。(スキップビート33 1月22日付け三条新聞)

2007年01月16日

業態変更

 都市間競争の激化を最も端的に表しているのが小売業だ。三条市は新潟、長岡両市に大きく水をあけられている。
 5年に1度の商業統計調査によると、平成14年の小売業年間商品販売額は新潟市が6683億円、長岡市が2645億円。これに対して三条市は942億円で、新潟市の7分の1以下、長岡市の3分の1近い。
 問題は伸び率。20年前と比べて新潟市は59・9%、長岡市は50・0%伸びているのに、三条市は19・6%にとどまっている。理由は新潟、長岡両市やインターネット・通信販売などに三条市の消費者を奪われているためだ。
 三条市の小売業を従業者規模別で見ると、30人以上の大型店は24店で販売額は271億円。20年前より48・1%、販売額を伸ばしている。
 一方、9人以下の商店は982店で販売額は343億円。20年前と比べて商店数は29・5%減り、販売額も19・2%減っている。
 三条市の小売業は、大型店は新潟、長岡に近い率で販売額を伸ばしているものの、商店街などの小規模店は衰退していることが数字でも明確に示されている。
 合併によってさらに強力になった新潟、長岡両市に、三条市の小売業はどんな方法で対抗していけばよいのだろう。
 競争力のある大型店がもっと増えた方がいいとの意見もある。しかし三条市の売り場面積500平方㍍以上の大型店、中規模店は昨年6月時点で40店舗まで増え、市の全売り場面積に対する占有率が70・5%に達している。さらに増えれば小規模店は一層衰退し、大型店の共倒れも懸念される。
 小規模店の活性化策はこれまでも繰り返し練られてきたが、なかなか効果が上がらない。国県の補助メニューに詳しくなっても顧客は増えない。むしろ組合員が出資して株式会社を作り、病院の売店や食堂経営、学校給食、高齢者向け給食宅配サービス、ビル清掃など次々と業務を広げている東京都足立区の東和銀座商店街のような、行政をあてにしない地域の方が元気が良い。
 「新潟、長岡や地元の大型店と同じように、売り場でお客さんを待つ商売を続けるなら、大型店以上の品揃えや価格、サービスを用意しなければならない。それができないなら、お客さんを待つのではなく、お客さん宅まで出向き、家庭で必要なすべての商品の注文を取り、配達し、場合によっては電球を付け替えるといったサービスも行う会社を各業種が協力して作るべきだ。それなら大型店とは業態が違うのだから、高齢社会で十分、競争できる」との意見もある。
 アスクルが中小企業向けオフィス用品販売で築いたビジネスモデルを、福祉の視点も加えた高齢世帯向けの食品、生活用品全般に転用してはどうかといったアイデアだ。IT活用で顧客データ管理などもしっかり行えば、御用聞きも効率的に行える。
 これまでのハード中心の活性化策の効果が薄いことは実証済みなのだから、これまでと同じことを繰り返すのはばかげている。(スキップビート32 1月15日付け三条新聞)

2007年01月15日

農政まひ

 ことしからまた農政が大幅に変わる。新しい施策の名前は品目横断的経営安定対策。いかにもお役所的な、漢字を長々と並べた仰々しい名前だが、実態は強権発動的小規模農家撲滅対策だ。
 日本の農業者数は現在およそ300万戸。国はこれを農業経営体として40万戸、わずか13%にまで減らそうとしている。
 「農業者が減り、農村の高齢化が進む一方、WTO農業交渉で国際ルールも強化されるなか、日本の農業を守るには意欲と能力のある担い手が中心となった農業構造に作り変えなければならない」というのが農水省の主張。その構造改革のための施策が品目横断的経営安定対策なのだという。
 新施策は、米や大豆などの価格が下落した場合、農業者の減収の一部を補てんするという点はいままでと同じ。違いは対象者。個人や農業生産法人の場合は経営規模が4ヘクタール以上の認定農業者、集落営農組織の場合は経営規模20ヘクタール以上で経理を一元化していること、農業生産法人化計画を作ることなどが条件となる。いずれも生産調整に協力することが前提だ。
 米価などが下落した場合、国は対象者に対し、過去の平均収入との差額の67・5%を補てんする。三条市など「新潟一般地域」のコシヒカリの価格は、平成15年が60キロ当たり2万4295円、16年が1万9113円、17年が1万8303円と下がり続けている。この傾向が続けば、補てんの有無の影響は大きい。
 これに対して対象外となる小規模農家への補助金は、米価がいくら下がっても10アール当たり4000円が上限となる。生産調整に協力してもらうための措置で、これも4年後には廃止するという。
 三条市によると、市内農業者3741戸のうち、4ヘクタール以上の認定農業者は173戸。全体のわずか4・6%で、今後、経営規模を4ヘクタールまで拡大できそうな433戸と合わせても606戸、16・2%にとどまっている。
 農業生産法人は栄地区で353戸が10法人を、下田地区で191戸が8法人を設立する準備を進めている。集落営農は栄地区の4集落で86戸が、下田地区の2集落で67戸が組織化を進めている。三条地区は農業生産法人、集落営農とも現時点ではゼロとなっている。
 個人の認定農業者から集落営農までを合わせても、新施策の対象となりうるのは1303戸。市内農家の34・8%で、他の65・2%は減収補てんを受けられないことになる。
 300万戸を40万戸まで減らしたい国としては、これでもまだ多いということになるのかもしれない。農業の問題は、本当に経営規模にあるのだろうか。いずれにしろ何をどう作り、どうやって売るべきなのかという農業本来の業務より、どうすれば補助金を多くもらえるのかを優先的に考える補助金獲得業のような姿が垣間見える限り、「強い農業」の実現は難しいのではないだろうか。(スキップビート31 1月13日付け三条新聞)

2007年01月14日

悔悟保険

 三条市の介護保険料は県内20市でもっとも高い。「もっと下げろ」との声は多いものの、巧妙な「保険」の形が作られているために、市レベルでの引き下げは現実的には難しい。
 介護保険の被保険者は、40歳から64歳までの第2号被保険者と、65歳以上の第1号被保険者に分けられている。2号被保険者の保険料は全国一律で、健康保険組合などを通じて徴収されている。
1号被保険者の保険料は市町村ごとに決め、年金から天引きされたり、個別に徴収されている。
 三条市の65歳以上の保険料は平均月額4767円。県内35市町村のなかでは粟島浦村に次いで2番目に高い。県平均と比べると836円、21・3%も高くなっている。
 高い理由は地域単位の保険だからだ。介護保険は訪問介護から特別養護老人ホームまでの各種介護サービスにかかる費用を、利用者と行政、被保険者で負担する仕組みになっている。利用者の負担は11割。残りの9割のうち50%を国、県、市町村が、31%を40歳から64歳までが、19%を65歳以上が負担する。
 三条市の場合、18、19、20年度の3年間に介護サービスにかかる費用から、利用者負担の1割を差し引いた額の19%分を65歳以上人口で除した結果、65歳以上の保険料が20市最高の平均月額4767円となった。
 負担割合が決められているのだから、市町村に実質的な裁量権はない。介護サービスの利用が増えれば保険料は自動的に高くなり、減れば安くなる仕組みだ。
 65歳以上のなかで要支援や要介護と認められた人の比率を示すのが介護認定率。三条市は16・9%で、県内20市では糸魚川市に次いで2番目に高く、県平均より1・2ポイント高い。
 認定者が多ければサービスを利用する人も多くなる。高齢者1人あたりの介護サービス費用は年間2万4606円。県内20市では小千谷市に次いで2番目に高く、県平均より4833円、24・4%も高い。
 利用が多いのは需要が多いだけでなく、サービスの提供体制が整っているということでもある。事実、三条市には訪問介護、訪問看護、デイサービス、ショートステイなど居宅サービス系はもちろん、施設サービスも特別養護老人ホームが五施設、老人保健施設が四施設、療養型医療施設が三施設ある。人口規模から見て整備が進んでいると言われている。
 総費用に対する65歳以上の負担割合が決まっている以上、保険料を下げるにはサービス利用を減らすしかない。かといって、現実に需要があるなかで「あなたは訪問介護を利用しないで下さい」「施設を退所して下さい」などということができるわけがない。
 地域の高齢者が使った介護サービスの費用は、その地域の高齢者全体で負担しろというのが介護保険。この仕組みを変えない限り、サービスを良くしようと努力すればするほど、サービスを利用していない健康なお年寄りの保険料まで上がってしまう。まるで学校の部活動などによくある「連帯責任」のようだ。
 粟島浦村のような人口の少ない地域は、施設入所者が数人増えただけで、他のお年寄りの保険料が大幅に上がってしまう。あたかも国の言うことを聞かずに合併しなかった地域に対する嫌がらせのようだ。
 「介護保険」は国から見た言葉。地方にとっては「悔悟保険」ではないだろうか。(スキップビート30 1月4日付け三条新聞)

2007年01月13日

教育改革

 三条市教育委員が市内小中学校のあり方について、統廃合や小中一貫教育の導入なども含めた本格的な検討を始める。早ければ来年度末にも一定の方向を示す方針だ。
 教育制度等検討委員会を設置し、2学期制や小中一貫教育、学校選択制、6・3・3制など教育制度に関すること、統廃合に関すること、授業課目など教育内容の体系的編成に関することなどを検討する。委員は学識経験者、地域団体代表、保護者、学校関係者、公募委員などの20人。来年1月下旬に初会合を開き、再来年3月ころまでに報告をまとめてもらう予定でいる。
 いじめや不登校、モラルや学力の低下など、教育をめぐるさまざまな問題が起きているなか、制度も含めた総合的な検討を行うことにした。
 統廃合も検討の対象に加えた第一の理由は児童生徒の減少。ことし5月時点で9319人だった児童生徒が、平成24年には8390人になると見込まれている。6年間で929人、10・0%もの減だ。
 現在、三条市内には24の小学校がある。このうち旭、大島、笹岡、大浦、森町、荒沢の6つの小学校では児童数が100人に満たない。荒沢小では今年度から2、3年生が一緒の複式学級制を取り入れざるを得なくなっている。小規模校にはメリットもあるが、より良い教育のための適正規模を検討する。
 二点目の理由は教育環境の改善。四日町小のグラウンドは2949平方㍍しかなく、100㍍競走の直線コースも設けられない。児童数は大島小の3・6倍なのに、グラウンド面積は4分の1以下だ。
 市内9つの中学校では大崎中のグラウンドが最も狭い7784平方㍍。下田中の3分の1以下のグラウンドで野球部、サッカー部、陸上部が一緒に、事故に注意しながら練習している。
 第一中や第三中にはプールがないため、水泳授業は行えない。
 敷地を広げようにも住宅密集地で不可能という学校もあるなかで、これら施設設備の欠点を改善する方法のひとつとして、統廃合も検討することにした。
 小中学校の統廃合は総論賛成、各論反対となりやすい。施設や備品などの整備拡充、子どもたちが切磋琢磨しながら成長する環境といった面から考えれば、統廃合に理解を示す市民も少なくないはずだ。しかし、いざ自分たちの学区が対象となったとき、保護者はまず子どもたちの通学が心配になる。母校がなくなることに抵抗を感じる卒業生がいるかもしれない。
 教育委員会も時間をかけた議論が必要と考えている。仮に統廃合する場合、空き校舎となる既存施設をどうするのか、地域コミュニティや福祉の向上のためにどう活用すべきかといったまちづくりレベルの検討が始まることになるが、それは教育委員会とは別組織の、市長部局で行うこと。教育委員会としては、子どもたちのためになるかどうかを第一義に考えることになる。(スキップビート29 12月22日付け三条新聞)

2007年01月12日

コンベンションシティ

 県と新潟市が横浜市とともに、平成20年の主要国首脳会議(サミット)誘致運動に取り組んでいる。来年3月には開催地が決まる。
 平成20年は安政の5カ国条約締結によって新潟、横浜、函館、神戸、長崎の開港が定められて150年にあたる。その節目を機に、日本の近代化の意味を振り返るとともに新たな国際関係を構築するため横浜市で首脳会合を、新潟市で閣僚会合をと呼びかけている。新潟市は「世界とともに育つ日本海政令市新潟」をアピールすることが狙いという。
 誘致合戦で新潟、横浜連合のライバルとなっている大阪府は、サミット誘致の経済効果を約1636億円と試算している。一方で平成12年の九州・沖縄サミットで外相会合の会場となった宮崎シーガイアは、サミット翌年に会社更生法の適用を申請、米国の投資ファンドに買収された。サミットに過剰な期待は禁物のようだが、いずれにしろ新潟市は三条市の隣、無関心ではいられない。
 サミットに限らず、国内各都市が国際会議やイベントなどの誘致運動を展開している。各種会合やイベントが開かれることで人が集まるのがコンベンションシティ。誘致に向けて財団を設置したり、助成金制度を設けている都市も多い。
 三条も、かつてはコンベンションシティの先駆け的な町だった。金物業界が地元で開く見本市には各地から取引先が集まった。三条の夏の風物詩となっている「三条夏まつり」も、もとは金物業界による「金物まつり」としてスタート、市外から見物客を集めた。業界団体のほか、各企業も地元で展示商談会を開催。その都度、地元の旅館、飲食などサービス業界も潤った。
 近年、首都圏や海外の見本市参加が増えるに連れて、見本市の地元開催は減った。三条周辺のホテル、旅館が満室になることも少なくなった。
 三条がにぎわいを取り戻すには、行政の努力はもちろんだが、業界の理解と協力が欠かせない。三条商工会議所青年部は、若者らしいアイデアで町の活性化に取り組んでいる。9月には本寺小路の活性化を目指して「匠の店まんかつ」を開店した。町の中心にもっと人を集めようとの試みだ。まずは地元。いずれは市外、県外の人を集める運動に発展することが期待されている。
 昔のような業界団体あげての見本市は難しいとしても、各社が展示会なり取引先との会議なりを、できる範囲で、数年に1回でも地元で開けないものだろうか。事業所・企業統計調査によると三条市には7431もの事業所がある。ひとつの事業所が市外から平均して2人連れてきたとしても1万5000人近くになる。1万5000人が宿泊費や飲食費として1万円使えば、三条に1億5000万円が落ちることになる。
 三条の場合、観光開発も大事だが、同時に商工業界の力が他の町にはない強みであることも間違いない。(スキップビート28 12月15日付け三条新聞)


2007年01月11日

箱のない文化会館

 財政再建団体の指定を受けた北海道夕張市が悲惨な状態に陥っている。福祉や教育など市民サービスの低下に伴い、人口も減っている。三条市も昭和30年代に再建団体を経験した。同じ轍を踏んではならない。
 夕張市の財政破綻の一因は観光施設などの箱もの行政だ。三条市でも文化会館をはじめ、箱もの建設の要望は根強い。いす席500の中央公民館を1日2回、ほぼ満席にする三条市吹奏楽団のファミリーコンサートなどを見ると、三条市にも1000席クラスのホールが欲しいと思うが、市の財政状況も考えなくてはならない。
 昭和56年5月に開館した燕市文化会館の建設費は約9億6800万円。翌57年2月に開館した加茂文化会館の建設費は約19億円。箱ものが大変なのは建設費にとどまらず、開館後、毎年ランニングコストが必要になる点だ。今年度当初予算で見ると、文化会館運営費から使用料収入などを差し引いた一般財源の持ち出しは、燕が1271万8000円、加茂は6385万円。施設を造るには建設費にとどまらず、人件費を含めて毎年、このくらいの経費が必要になることも覚悟しなければならない。
 いっそ文化会館がないことを逆手にとった事業展開ができないものだろうか。文化会館には、地元団体が公演などに使う場合と、プロの公演を見る場合の二通りの使い方がある。地元用なら規模が大きすぎると使用料負担が重くなる。新潟県民会館大ホールのように1日30万円前後、他にマイク1本につき1150円などと備品費も必要になると、気軽には使えなくなる。地元用は新規に造るより、既存施設の使い勝手を改善することを考えた方が現実的だ。
 プロ用の場合、いくら素晴らしい施設を三条市に造ったとしても、ウィーンフィルやドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティといった超一流はまず来ない。建設費に何十億円、さらに運営費に毎年何千万円もの市民の税金を使って年に数回、演歌歌手のコンサートを開くくらいなら、その何百分の一の費用で超一流を見る方法がある。こちらから見に出かければいいのだ。
 官民で実行委員会を組織し、市民要望を踏まえてことしの春はサントリーホールでオーケストラ、秋は国立劇場で歌舞伎、来年は東京オペラシティでジャズコンサートなどとスケジュールを決め、チケットを入手する。新幹線やバスなどの交通機関も確保する。交通費を全額公費で負担しても、文化会館の建設費や運営費と比べればはるかに安い。
 市民はチケット代だけで超一流を楽しめる。道中、クラシックや歌舞伎、ジャズなど各分野に詳しい実行委員がきょうの見所、聞き所を解説すれば楽しさは何倍にもなる。文化会館がなくても地域の文化レベルを引き上げることは可能だ。文化会館がないからこそ、できる事業もある。
 三条市では長岡市、県立近代美術館などまで市民を市のマイクロバスで送迎する「美術館めぐり」を行っている。これを市民参加で発展させれば「箱のない文化会館」も実現可能だ。
 財政が豊かになれば箱ものもいいが、それまではあの手この手の工夫が必要だ。(スキップビート27 12月8日付け三条新聞)

2007年01月10日

草野プラン

 県央地域の救命救急体制整備に向け、行政と医師会、救急病院の連携が進みつつある。救急車に患者を乗せても行き先が見つからないといった現状を改善するため、救急診療所の拡充強化を先行させることになりそうだ。
 三条市消防本部の昨年1年間の救急出動回数は3500回、搬送した患者は3365人。この半数以上の55・4%が休日や夜間の出動で、救急隊員が患者を受け入れてくれる病院探しに四苦八苦することが増えている。
 問題解決に向け、国定市長はじめ関係者は中期的に取り組む課題と、早急に実現すべき課題の両面作戦を進める。
 中期の課題は救命救急センターの建設。早期実現に向けて国県や関係機関への働きかけを始めているが、巨費が必要なうえ、県は県立病院の赤字問題を抱えている。県央各市町村の思惑の違いもある。1、2年では解決できそうもない。センターの運営形態や既存病院の再編問題、資金手当、医師はじめスタッフの確保といった問題をひとつひとつ解決していかなくてはならない。
 かといって現状を放置しておくわけにはいかない。早急に取り組む課題が救急診療所の拡充強化だ。現在は三条市医師会が近隣医師会の協力も得て南新保、医師会館内で運営している。診療科目は内科と小児科。診療時間は毎日午後7時半から午後9時半まで。
 これを県央地域として見た適地に移し、診療科目に外科も加えたうえで診療時間をできるだけ伸ばすことを検討している。三条市医師会の草野恒輔会長のアイデアは、単に診療機能を強化するだけではない。救急患者には在宅治療で十分な初期患者から入院が必要な二次患者、命にかかわる三次患者までいる。これを全部、救急病院に運んでいるために病院側がパンクし、救急車が搬送先を探して立ち往生する事態を招いている。救急診療所の医師が患者の状態を判定し、初期患者を引き受ける一方、二次患者は地元の総合病院などの二次医療施設に、三次患者は長岡日赤病院や新潟市民病院などの三次医療施設に搬送するように変えれば、二次、三次医療機関の負担も減り、救急患者を受け入れやすくなる。災害時に多数の患者を重症度と緊急性によって分別するトリアージのような機能を救急診療所が発揮すべきだというのが草野プランだ。
 救命救急体制の整備は国定市長の選挙公約でもあり、市長の腹は決まっている。医師会や病院の協力を得られれば、近隣市にも参加を呼びかけながら早急に用地選定に入ることになる。
 その際、救急診療所と救急車をインターネットで結ぶことも考えられないだろうか。弥彦村では無線でインターネットに接続できる「フリースポット」が普及している。総務省ではより広範なエリアで無線通信できる「ワイマックス」の実用化も推進している。診療所と救急車を無線ネットで結ぶことは技術的には十分、可能となっている。搬送中の患者の心電図や血圧、血中酸素飽和度などのデータのほか、動画によって姿も確認できるようになれば、より迅速なトリアージができる。
 総務省情報通信政策局にいた国定市長はその道のプロだ。他のモデルとなるような救急情報システムを構築してほしいものだ。(スキップビート26 12月3日付け三条新聞)

2007年01月09日

19年度予算編成

 三条市の19年度予算編成作業が始まった。国定勇人新市長による初の予算編成だ。選挙戦で両候補が強調していた通り、三条市の財政状況は厳しい。どの事業に予算を付けるかというより、どの事業の予算を削るかが主体の編成作業となっている。
 市役所では各課の予算要求が出揃い、現在は財務課が各課のヒヤリングを行っている。今後は政府の地方財政対策の決定を待ったうえで来年1月から理事者査定に入る。
 三条市の市債などの借金は、一般会計だけで499億円に達する。18年度予算の市税収入は123億円。借金が税収の4倍を超えているのに対し、貯金は財政調整基金、市債管理基金、退職手当基金を合わせても47億円に満たない。
 自治体の財政力を示す数値のひとつに経常収支比率がある。収入に対して人件費や扶助費、公債費など支出しなければならない経常的な経費の占める率を示すもので、一般的に市町村では75%程度が妥当と言われている。
 三条市はそれよりはるかに高い92・1%。一般会計の規模が約400億円といっても、そのうちの92%、368億円はすでに支出先が決まっていることになる。市長の裁量で使途を決められるのは残りわずか8%、32億円前後でしかない。
 その32億円も、新しい斎場の建設やし尿処理施設の用地確保、五十嵐川改修に伴う御蔵橋の架け替え、三条高校の跡地取得など、すでに動き出している事業を継続するだけで大半が消えてしまう。政府の税源移譲によって市税収入はいくらか増えそうだが、その分、交付税が減らされるのだろうから期待はできない。
 こうした厳しい財政状況のなかで、国定市長は市長選で公約した救命救急体制の整備や子育て支援施策の拡充、防災対策の推進、情報インフラ整備を含む産業振興施策の強化などを進めていかなければならない。どこから、どうやって予算を絞り出すのか。新規事業にいくら予算を付けるかを考える前に、既存事業のどの予算を削るのかといった検討から始めなければならない。行財政改革の断行、これが国定市政の最優先課題となりそうだ。
 市長は選挙戦で「新市建設計画の見直し」も訴えてきた。具体的な事業名までは触れなかったが、同計画には市の財政を悪化させるだけで、市の発展に何の効果があるのか疑問との指摘を受けている事業も含まれている。議会議決の変更が必要になるほどの根本的な見直しとなると慎重な対応も必要だが、個々の事業の先送り程度なら、市長選の公約でもある行財政改革を優先すべきではないだろうか。
(スキップビート25 11月25日付け三条新聞)

2007年01月08日

国定勇人新市長

 12日の三条市長選の結果、国定勇人新市長が誕生した。17日には佐藤助役、関口収入役、松永教育長の留任も決定、全国最年少市長のサポート体制も固まった。
 投票率が62・85%にとどまったことは残念だった。市長選では史上2番目の低さだ。投票日の悪天候もあるが、市政への関心が低いためでもある。
 とくに若者。第6投票区(青少年育成センター)の年代別投票率を見ると、20歳代の投票率はわずか41・67%。半数以上が棄権した。
 30歳代は56・52%、40歳代は67・36%、50歳代は70・0%で、年齢とともに投票率も高くなる。もっとも高かったのは60歳代の83・21%。70歳代は68・03%に落ち、80歳以上は37・76%だった。
 ことし4月の市議選と比べると30歳代は5・2ポイント増えたものの、40歳代は6・29ポイントの減、50歳代は11・08ポイントもの減だった。
 職場の中堅やリーダー、地域の活力源となる世代の多くが三条市政の方向を選択する権利を放棄してしまった。どうしたら市政に関心を持ってもらえるのか、新市長はもちろん、今回の選挙戦にかかわった選対関係者に課題を突き付けられたようなものだ。
 開票結果は国定勇人氏2万8866票、山井伸泰氏2万4927票。市民のバランス感覚なのだろうか。国定氏に三条市の将来を託すものの、「若い市長にまだ全幅の信頼を置いているわけではありませんよ」、あるいは「官僚出身者にありがちな傲慢なタイプにはならないでくださいね」とも読める結果に思えてならない。これはこじつけだが票差は3939票。サンキューサンキュー、感謝感謝の気持ちを忘れずにと受け止めるべきなのかもしれない。
 市長交代時には助役、収入役、教育長は新市長に辞表あるいは進退伺いを提出することが慣例となっている。新市長にフリーハンドを与えるためだ。今回も佐藤助役、関口収入役、松永教育長はそろって辞表を提出した。これに対して国定市長は高橋一夫前市政に引き続いてサポートしてくれるよう強く慰留し、17日までに了解を得た。国定市政は人事でバタバタすることなく、幹部体制を組むことができた。
 行財政改革の断行や救命救急体制の整備など公約実現に向けた仕事にいよいよ取り組むことになる。
 故金子六郎氏が三条市長に就任したのが昭和32年。37歳で全国最年少だった。国定市長は金子氏より3歳若い、三条市にとって2度目の全国最年少市長となる。
 12月定例会では初日の11日に市長が所信表明演説を行うことになった。そつなくまとめた、可もなく不可もなくといった内容では最年少市長を生んだ価値がない。前市長以上に大胆で、かつ新鮮、若さあふれる演説を期待したい。(スキップビート24 11月23日付け三条新聞)

2007年01月07日

公職選挙法

 民主主義国のなかで、日本の選挙活動に対する規制は極端に厳しい。まるで各候補者が掲げる政策の詳細が、有権者にしっかり伝わらないうちに選挙を済ませてしまおうとしているかのようだ。
 公職選挙法は、事前運動を禁止している。三条市長選に関しても、告示前の現時点で知人に「○○さんをよろしくね」と頼むことのほか、主張や政策を知らせるちらしや名刺を渡すことすら、厳密には禁止されている。演説会の開催を知らせる周知ポスターもベニヤ板などで裏打ちしたものはだめ。裏打ちしていなくても、任期満了日の6か月前から投票日まで禁止となっている。
 告示後も戸別訪問は禁止。市長選や市議選では法定ちらしもないため、たとえマニフェストを作っても、有権者に手渡すことはできない。選挙管理委員会が全戸に配る「選挙公報」の限られたスペースには、せいぜい候補の略歴とスローガン程度しか載せられない。
 立会演説会もない。候補が有権者に政策を訴えるのは個人演説会と街頭演説だけ。その個人演説会も、開催日時や会場を知らせるちらしを配ることは禁止。だれが、どこで演説会を開くのか、有権者にきちんと伝えられないようになっている。
 公選法通りにやっていては、だれがどんな政策を掲げて立候補しているのか分からないまま、選挙が終わってしまう。どの候補が何を主張しているのか、この選挙は何が争点なのか、有権者に伝わらないようにしているのだから、投票率が上がるわけがない。「○日は投票日です。棄権しないように」とティッシュや風船を配って呼びかけるくらいなら、公選法を見直した方が投票率アップに結びつく。
 憲法では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めながら、個別的自衛権は別だという理屈で自衛隊が存在している。選挙も事前運動は禁止と定めながら、政治活動は別だという理屈で、現実には各陣営が運動を進めている。
 事前運動などを禁止する理由は、各候補が同時に運動を開始する公平な選挙とすること、金のかからない選挙とすることなど。金権選挙がはびこっていたころの反動なのだろう。
 こうした問題のかなりの部分を解決できる道具がインターネット。さほどの金のかけずに候補者は有権者に直接、瞬時に多様な情報を発信できる。有権者も自宅や職場で各候補の主張をチェックでき、疑問点を問い合わせることもできる。他の民主主義国では盛んに活用されている。
 米国では有権者600万人のアドレスリストを確保したブッシュ陣営がタイムリーなメールを発信し続けた。韓国でも盧武鉉(ノ・ムヒョン)陣営のウェブには1日40万件のアクセスと7000件の書き込みがあったという。
 日本は、インターネット上の政治活動は許されるが、選挙活用は禁止。なぜ禁止なのか、さっぱり分からない。
 米英では戸別訪問も、民主主義を機能させる大事な活動として行われている。金権選挙にどっぷり使った、後ろ暗さのある議員が国会からいなくなるまで、公選法改正は無理なのだろうか。(スキップビート23 10月26日付け三条新聞)

2007年01月06日

市長の職務

 三条市長選挙に出馬する顔ぶれが今週中には固まる。23日の立候補予定者説明会で構図が明らかになるが、多くても三つ巴止まりのようだ。
 市長選には25歳以上の被選挙権を持ち、供託金100万円を用意できる人なら、だれでも立候補できる。だからといって多数が立候補したことはない。戦後では昭和22年と24年の旧三条市長選に各5人が立候補したのが最多。近年では平成3年と7年に各4人が立候補した程度で、他は3人以下にとどまっている。町内のカラオケ大会より手を挙げる人は少ない。
 なぜか。当選の見込みの有無ももちろんあるが、そもそも市長になろうと思う人が少ないのだ。
 市長になればプライバシーなどないに等しい。世間の目の厳しさは県議や市議の比ではない。休日もほとんどない。過去3年間、市長の公務がなかった日は年平均で59日間。これはあくまで行政のトップとしての公務がなかった日であって、このほかに政治家として国会議員や県議、市議の会などに出席したり、施策推進のために根回しに動くといった日もある。完全なオフという日はほとんどない。先日、泉田知事がたまの休日に家族サービスをしようと東京ディズニーリゾートに行ったその日、北朝鮮が核実験を行った。知事は「緊急時に不在とは何事か」との批判を浴びた。首長とはそういうものだ。
 政策面も、うまくいって当たり前。失敗すれば批判を浴びる。行政の事業には必ず賛否両論が出る。失敗しなくても反対派からは糾弾される。
 一般会計で400億円余、特別会計を含めた総額で687億円余の予算を間違いなく、より効果的に使わなければならない。ミスがあれば市長が責任を取らなければならない。こうした職務に対する市長の給与は月額91万8000円、ボーナスを含めた年収は1455万2000円。少なくはないにしても、このくらいの給与を受け取っている経営者は地元にも大勢いる。その人たちは私生活を丸裸にされることも、選挙戦で「電信柱にも頭を下げろ」と言われることもない。
 裏でうまい汁を吸うなどということもない。いまは情報公開制度が確立しているし、議会やマスコミのチェックもある。三条市の歴代市長には、経営していた会社が倒産した人も少なくない。うまい汁が吸えたとしたら、こんなことにはならない。
 市長を目指すのは、自らの人生を投げ打って三条市のために尽くすとの気持ちが非常に強い人か、市長の職務をよく分かっていない人かのどちらかだ。
 いま、市内のあちこちで「市長選に手を挙げたのはどんな人か」「ほかにどんな人が出るのか」といった話が交わされている。人物評価も大事だが、なにも選挙で三条市の象徴や宗教指導者を選ぶわけではない。より大切なのは「どんな三条市政を展開するのか」だ。行財政改革にしろ、福祉や教育、産業振興にしろ、何を重点にどんな方法で進めようと訴えているのかを市民に見極めてもらわなければならない。
(スキップビート22 10月19日付け三条新聞)

2007年01月05日

民主主義のコスト

 民主主義はコストがかかる。11月5日告示、12日投票の三条市長選挙に向けて、市は選挙費用4210万7000円を追加補正した。
 選挙でもっとも費用がかかるのが人件費。12日午前7時から午後8時までの13時間にわたって市内53か所で行われる投票には369人、同日午後9時から厚生福祉会館で行われる開票には170人が従事する予定だ。この投開票嘱託員報酬だけで1612万4000円かかる。
 各投票所の投票管理者・立会人報酬は159人分で181万9000円、投開票事務以外の市職員の時間外勤務手当は542万1000円、臨時職員賃金は63万9000円となっている。
 人件費以外ではポスター掲示場設置委託料が384万円、分類機などの機器調整や不在者投票などの手数料が235万4000円、投票用紙などの印刷費が138万9000円、通信料が163万9000円などとなっている。
 各陣営の選挙用はがきとポスター印刷費、街宣車使用料は公費負担となる。これらの経費として市は立候補者が4人となるまで対応できるよう479万2000円を予算計上した。
 合計費用4210万7000円に対して、国県からの補助はない。全額が市費負担となる。国は市長や市議の任期が4年であることから、市長選、市議選の経費の4分の1を毎年、地方交付税として交付しているが、今回のような任期途中での臨時的な選挙があっても、交付税額を増やすことはない。
 昨年6月の前回市長選でも市は4139万4000円を予算計上した。このときは無投票だったため、実際の支出はポスター掲示場設置委託料などの574万9000円にとどまった。ちなみに国からの交付税は、無投票だったからといって減らされることもない。
 今回も無投票になれば支出は600万円前後にとどまるが、いまのところ、そうはならないようだ。
 ところで開票はどうしても即日でなければならないのだろうか。昨年3月、横浜市が市長選の開票を16年ぶりに翌日に回した。財政難の折、職員手当など約3200万円の経費削減になるからとの理由だった。
 公職選挙法は第65条で開票を「すべての投票箱の送致を受けた日又はその翌日に行う」と定めている。翌日開票でも公選法違反にはならない。しかし第6条で「各選挙管理委員会は、選挙の結果を選挙人に対してすみやかに知らせるよう努めなければならない」とも定めてある。横浜市の翌日開票に対しては「すみやかに知らせる努力」と経費削減のどちらを優先すべきかについて、市民の間でも政党間でも賛否両論があった。
 三条市の場合、市長選を翌日開票に回すと、事務に従事する市職員は通常の勤務時間中となるため、開票嘱託員報酬の153万円が不要となる。
 結果判明が半日遅くなるからといって、結果そのものが変わったり、行政に支障をきたすわけではない。即日、翌日、どちらを望む市民が多いだろうか。(スキップビート21 10月13日付け三条新聞)

2007年01月04日

三条市長選挙

 11月5日告示、12日投票の日程で三条市長選挙が行われることになった。合併後2度目、前回から1年5か月ぶりの市長選だ。
 旧三条市では戦後17回、市長選が行われ、うち12回が投票、5回が無投票だった。戦後最初の昭和23年4月は5人が立候補し、決選投票の末、土田治五郎氏が当選した。土田氏は5人が立候補した24年、渡辺常世氏との一騎打ちとなった28年も当選し、3期連続当選した。
 32年には金子六郎氏が桑原謙一氏を破り、全国最年少の37歳で初当選。36年は金子氏が無投票で再選された。
 40年には高野亀太郎氏が稲村稔夫氏を、44年1月には同じく高野氏が近藤一氏を破って当選。44年11月は渡辺常世氏が大平武、近藤一両氏を破って当選した。渡辺氏は戦中の18年から21年まで第4代市長を務めており、県議会議長を経た後、全国最高齢の83歳で再度、市長に就任した。
 47年には稲村稔夫氏が磯野信司氏を破り、革新市政が誕生。51年には滝沢賢太郎氏が稲村氏を破り、保守陣営が市長の座を奪還した。
 滝沢氏は55年に無投票で再選されたが、在職中に死去。58年には滝沢市政の継承者として内山裕一氏が無投票当選した。
 内山氏は62年は無投票で、平成3年には高坂純、長谷川長二郎両氏を破って3選を果たした。
 7年には長谷川氏が滝口恵介、久住久俊、馬場信彦各氏を破って当選。11年には高橋一夫現市長が長谷川氏を破って当選し、15年には高橋市長が無投票で再選された。
 旧栄町では昭和31年の合併後13回にわたって村長・町長選が行われ、5回が投票、8回が無投票だった。
 合併直後の31年には木菱新左エ門氏が小林 一氏を破って初代村長に就任。木菱氏は35年にも大沢哲爾氏を破って再選された。
 39年には大沢氏が無投票で初当選。大沢氏は43年には木菱氏、47年には武田備万氏を破って3選を果たした。
 51年には佐藤元彦氏が大沢氏を破って当選。以後、投票になることはなく、佐藤氏が2回、津原金次郎氏が3回、小林弘右氏が2回、無投票当選した。
 旧下田村でも昭和30年の合併後13回、村長選が行われ、8回が投票、5回は無投票だった。
 合併直後の昭和30年には早川源一郎氏が蒲沢藤太郎、早川一郎両氏を破って当選。34年には土田嘉久雄氏が早川源一郎氏を破った。土田氏は38年は無投票で、42年には蝶名林保吉氏を破って3選を果たした。
 46年には蝶名林氏が淡路増永氏を破って当選。50年には刈屋定一氏が坂井新伍、小柳昭両氏を破って当選した。
 53年には皆川義雄氏が無投票で当選。皆川氏は57年、61年と蒲沢宏策氏を破り、平成2年には無投票で4期連続当選した。
 6年には佐藤寿一氏が山井正一氏を破って当選し、10年、14年は佐藤氏が無投票当選した。
 平成17年の三条、栄、下田の合併による新三条市最初の市長選では高橋氏が無投票で当選した。
 過去の首長たちは旧三条市では商工業界、旧栄町、下田村では農業や旧家出身が多かった。
 今回は予定候補にキャリア官僚の名前が挙がっている。異例中の異例となるのは三条市に限らない。人口10万人余の市長をキャリアが目指すこと自体、珍しい。うわさが流れた直後、中央省庁と地方の首長の力関係を良く知る市職員たちは「本当に引き受けたのだろうか」と首を傾げていた。高橋市長はよく口説き落としたものだ。(スキップビート20 10月8日付け三条新聞)

2007年01月03日

高橋市政

 小泉純一郎首相の退陣と時を同じくして三条市の高橋一夫市長が辞職することになった。平成11年4月から7年半にわたった高橋市政のキーワードは「自立に向けた改革」だった。
 「足して二で割る」「落とし所を探る」といった調整型政治を嫌い、誰に何と言われようと信念を押し通すという点で、高橋市長は小泉首相に似ている。既存の慣習、制度を変えなければならない、変えるためにきしみが生じてもやむを得ないとの考え方も同じだ。市長は「いま手の中にあるものを握り続けていれば、それ以上のものは手に入れられない。新たなものを手に入れるには、握ったこぶしを一度、開かなければならない」と、市職員に説いてきた。
 まったく似ていないのがマスコミ対応。市長は首相のようにマスコミをうまく利用することができず、水害時には必要以上の摩擦を招いた。市長はリーダーシップは発揮したが、目的達成のために手練手管を使う「政治家」にはなろうとしなかった。
 高橋市政の大きな出来事と言えば合併と7・13水害だろう。当初目指した旧燕市、旧吉田町、田上町も含めた合併は成しえなかったが、旧栄町、旧下田村と三条市は一緒になれた。県央大合併は将来の目標となってしまったが、とりあえず人口10万人は超えた。
 また7・13水害がなければ市長は昨年5月の合併をもって引退していた。五十嵐川改修事業にめどをつけるまでと心に決めての新市の市長就任だった。
 あまり目立たないが、庁内改革も着実に進めてきた。退職者不補充によって市職員を130人以上も減らし、職員組合の強い抵抗で歴代市長が手を付けられなかった勤続年数による自動昇格昇給制度、いわゆるワタリ、ウロヌキも廃止した。
 「補助金は自立するまでの添え木。最終目的は支えることではなく、自ら立つ力を育てること」と各種補助金も見直した。公共工事の入札制度も、県や他市町村に先駆けて見直した。補助金にしろ、入札制度にしろ、各種団体や関係業界の不満は大きかったが、市長は悪評を恐れることはなかった。
 水道からさび混じりの赤い水が出る小中学校の現状に驚いて施設整備に努めたほか、地域イントラネット構築などIT環境の整備にも努めた。
 行革にしろ、地域コミュニティの育成にしろ、高橋市長が目指してきたのは一貫して「自立」だった。国や県におんぶに抱っこの三条市政を自立させよう、各自治会や業界、各種団体を自立させよう、そのために現状を変えなくてはと改革を唱えてきた。うまくいったものもあれば、いかなかったものもある。
 高橋市長は商工業界出身。企業経営者らしい行政改革を進めたものの、歴史に残るのは商工振興施策よりも、どちらかと言えば苦手な土木事業の五十嵐川改修の方ということになるのだろうか。
 次の市長がどういう施策を進めることになるのか分からないが、高橋市長には辞職までの20日の間に、市職員に高橋イズムとは何だったのかを、しっかり伝えてから市役所を後にしてほしいものだ。(スキップビート19 9月28日付け三条新聞)

2007年01月02日

平成17年度決算

 三条市の平成17年度決算がまとまった。地場の景気は依然として厳しく、全国的傾向の例にもれず所得格差も広がっているようだ。
 17年度の市民税調定額は、わずかながら前年度より増えた。個人市民税は31億400万円、法人市民税は15億1800万円。これだけ見ると景気は底を打ったかのようだが、市民税を増加に転じさせたのはごく一部の大手企業の業績が好転したため。大多数は依然、厳しい状況が続いている。
 市民の財布の厳しさを如実に物語っているのが滞納の多さだ。市税の滞納は10億8100万円に達している。このほかに生活困窮や倒産、廃業、死亡などの事情で不納欠損処理、つまり免除した税が9500万円もある。
 滞納は市税だけではない。国保税は5億2700万円、介護保険料は2100万円、保育料は2000万円、市営住宅家賃は1300万円、公共下水道の負担金や使用料も1300万円が未納となっている。滞納額がせめて半分になれば、いろいろな市民サービスを拡充できる。競馬場の跡地利用など国県の支援をまたずとも、さっさと公園やサッカー場などに整備できるのだが、現実は厳しい。
 「払える資力があるのに払わない人もいるのではないか」との指摘もある。合併後、市は収納課を設けて滞納対策を強化しているが、モラルに欠ける市民がゼロとは言えない。
 一方で生活が苦しくなっている市民が増えていることも事実だ。ことし7月末時点の生活保護世帯数は345世帯、452人。5年前と比べると127世帯、160人増えた。わずか5年で1・5倍の急増。ジニ係数などの専門指標を持ち出すまでもなく、市内でも所得格差が広がっていることは明白だ。
 三条市の財政状況も悪い。借金の重さを示す実質公債費比率は18・5%。県内20市のなかでは14位で、三条市を含めた7市が18%を超えているため、借金をこれ以上する場合は県の許可が必要となっている。
 ちなみに燕市は15・7%で5位、加茂市は17・4%で11位。三条市の比率が高いのは公共下水道などの特別会計や、三条地域水道用水供給企業団など一部事務組合の借金が多いことなどによる。
 加茂市も同企業団の構成市だが、出資割合が低いため、三条市ほど企業団の借金を背負わなくていい。出資比率は三条市が82・8%、加茂市が12・6%、田上町が4・5%。にもかかわらず企業団議会の議員数は三条市が8人、加茂市と田上町は合わせて7人。小池加茂市長が強硬に主張したためで、こうしたやり方を加茂では「政治手腕がある」、三条では「野暮こき」と評されている。
 話がそれた。問題は市民の暮らしだ。市民所得が伸びれば、それに伴って市の財政も良くなる。三条市は大企業の城下町でも、大都市近郊のベッドタウンでもない。地域の産業界が活力を取り戻さなければ好転はしない。(スキップビート18 9月28日付け三条新聞)

2007年01月01日

謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。
 三条市は快晴で元旦を迎えることができました。きょうの天気のような、素晴らしい一年であることを祈念します。
 ことしは新年早々、三条市の総合計画を策定するための臨時市議会が開かれます。この計画で掲げる将来都市像は「豊かな自然に恵まれた 歴史と文化の息づく 創意に満ちた ものづくりのまち」。
 言葉はともかく、都市間競争が激化するなかで勝ち残ることができる、真に自立した三条市づくりに向けて国定勇人市長を先頭に頑張りたいと思います。
 本年もよろしくお願い致します。