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2006年12月31日

年末のごあいさつ

 2006年、平成18年もきょうが最後となりました。
 皆様には大変お世話になりました。
 5月から三条市議会議員として市政にかかわることができました。
 初心を忘れることなく、これからも三条市政の情報をできるだけわかりやすく皆様にお届けするように努めるとともに、皆様の知恵を市政に活かすべく、頑張りたいと思います。
 よいお年をお迎え下さい。

2006年12月30日

飲酒運転と官僚政治

 飲酒運転による重大事故が多発している。公務員の悪質違反も目立っている。三条市でもことし1月、消防職員による酒気帯び当て逃げ事件が起き、処分基準を見直した。
 酒気帯び当て逃げ事件を起こした職員の処分は停職2か月。市民の間で「甘すぎる」との批判が強まり、改選前の市議会でも問題になった。この職員は3月末に辞職、市は6月に基準を見直し、処分を重くした。
 新基準は、酒酔い運転はすべて免職、つまりクビ。事故を起こさなくても、公務外であっても、酒酔い運転が発覚すれば免職を基本とする。
 酒気帯び運転は、公務中の事故や違反は原則として免職。公務外でも人身事故は免職を基本とする。
 ただ公務外の物損事故や事故を伴わない違反については停職が基本。三条市交通安全条例で「市民は日常生活を通じて、自主的に交通安全の確保に努める」ことを市民の責務と定めていながら、市職員の違反が停職はおかしいとの批判に、市は「あくまで基準であり、過失の度合いなど個別事案の内容によって処分基準の量定以外とすることもある」としている。
 一連の飲酒重大事故の多発によって、道路交通法の改正論議が盛んになってきた。ひき逃げやアルコール提供者への罰則強化が中心のようだ。危険運転致死傷罪の最高刑が懲役20年なのに、ひき逃げと業務上過失致死罪は併合しても最高が懲役7年6か月。アルコール反応が出ないように事故現場から逃走した方が刑が軽くなるような逃げ得があってはならない。改正が急がれる。
 話はそれるが、一連の報道で気になる、というより嫌になることがある。法改正の主導者はだれなのか。新聞もテレビも「警察庁が法改正の検討を始めた」と報じている。予算執行に伴う話なら「○○省は・・・」「××庁は・・・」もわかる。そこまでは行政府の仕事だ。
 しかし道交法改正という明確な立法行為まで、行政府が主導することが当然のように報じられている。報道する側は何も感じないのだろうか。警察庁担当記者の原稿に対し、デスクは「自民党の内閣部会や法務部会はどう考えているのか」「衆院内閣委員会の動きは」などと聞かないのだろうか。そんな必要もないほど、立法府は機能していないということだろうか。
 交通ルールという、国民にもっとも身近で分かりやすい法律まで行政府が作っているのだから、日本の三権分立は建て前だけ。実際は官僚が行政だけでなく、立法も握っていることになる。にもかかわらず官僚は選挙で国民の審判を受けることもなければ、立法に対する結果責任を負うこともない。これでは日本は民主主義国のふりをしている官僚独裁国家のようなものだ。
 そういえば国会は、官僚が答弁するための政府委員制度を廃止した。議論くらいは官僚頼みでなく、議員同士でやろうということだったのに、いつの間にか以前のように官僚が答弁している。絶対権力は必ず腐敗する。だから飲酒事故同様、官僚不祥事もなくならないのだろう。(スキップビート17 9月2日付け三条新聞)

2006年12月29日

三位一体改革

 小泉純一郎首相が今月で退任する。5年間続いた小泉政権の検証があちこちで始まっている。高い支持率を保ち続けたということは、それだけ評価する人が多いということなのだろうが、地方の立場からすると、首相が唱えた「三位一体改革」はまやかしにすぎなかったといわざるを得ない。
 三位一体改革は小泉構造改革の目玉のひとつだった。国から地方への補助金削減、交付税見直し、税源移譲。これを同時に行うというもので、首相は「明治以来の制度の大転換だ」と訴えてきた。
 てっきり地方分権の流れが加速するものと思った。平成7年に地方分権推進法、11年には地方分権一括法が成立した。緩やかであっても流れはできていた。そこに構造改革を唱える小泉首相が登場した。中央集権的な官僚統制国家という日本の構造を変えるための三位一体改革、それが首相の言う「明治以来の大転換」の意味だと宣伝された。
 結果は散々だった。補助金削減は、国が地方をコントロールする力を弱めることが目的とされていた。削減額は4兆4000億円。ところが大半は補助率引き下げにとどまり、国が地方を縛る仕組みは温存された。
 地方交付税も5兆円減った。削減額は合わせて9兆4000億円。これに対して国が地方に移した税源はわずか3兆円。差し引き6兆4000億円も地方の財政は悪化した。
 何のことはない。国の仕事を安全保障や外交、治安、教育、社会保障といった国家的な問題に限定し、それ以外の国民生活や地域づくりに関することを地方自治体に任せるという、本当の地方分権は進まず、中央集権体質はそのまま。借金で首が回らなくなった国が、地方に回す金を減らしただけのことだった。一時期、三位一体改革をめぐって財務省と総務省が対立しているかのような報道もあったが、いま思えば官僚同士、あるいはその周囲にいる族議員同士による茶番劇だった。
 三位一体改革で三条市の財政はどうなったか。この三年間で削減された補助金は保育所運営費や児童手当など主に福祉関係の10億1726万2000円に達する。地方交付税は18億9235万9000円も減った。これに対して国から移譲された税源は所得譲与税の7億519万5000円だけ。3年間で差し引き22億442万6000円も財源が減った。
 小泉政権はいわゆる「骨太の方針」でも地方分権を訴え続けてきた。昨年も「仕事の流れを変える~国から地方への改革」を進めるとしていた。ことしは「骨太の方針」の目次から「地方分権」や「国から地方へ」の文字が消えた。構造改革における地方分権とは、その程度のものだったのか。
 ポスト小泉政権は、本当の地方分権、国と地方の構造改革に取り組んでくれるだろうか。パフォーマンスや言葉遊びに惑わされたいようにしなければならない。(スキップビート16 9月13日付け三条新聞)

2006年12月28日

三条競馬場跡地

 三条競馬場跡地の活用方法が決まらない。次期新潟国体の馬術競技場となることは決まっているが、その後は未定。県には「公園として整備する」との約束を守ってもらわなければならない。
三条競馬場が信濃川河川敷に開設されたのは昭和3年。戦時中は軍馬の鍛錬場として使われたが、昭和23年に競馬場として復活。新潟県競馬組合が解散した平成14年3月までレースが行われた。
 解散後、組合はスタンド部分を場外馬券売り場として大井競馬に売却した。馬場と、駐車場(700台以上収容可能)を合わせた河川敷15万5720平方㍍の占用許可は三条市が受け継いだ。
 県は平成21年のトキめき新潟国体で、三条競馬場跡地を馬術競技の特設会場とすることを決めた。今年度は3,000万円で特設会場の実施設計を行う。国体まで3年。それ以前に跡地を他の形に整備する考えは、県にも市にもない。
 国体後の活用も決まっていない。馬術競技会の設備をそのままにして馬事公園とする案もあるが、「サッカーなど、もっと多目的に使える公園に」などの意見もあり、決まったわけではない。
 そもそも馬場内の約5万4000平方㍍は、県競馬組合が公園に整備することになっていた。組合管理者の平山征夫知事(当時)が三条市に約束した。公園化にはまず馬場内の農地を潰さなければならない 。
 組合は平成10年、耕作者から権利を譲り受けた。その際の離農補償額は5684万8000円。三条市は公園化のために18%にあたる1033万7000円を負担した。
 組合は赤字を理由に公園整備を先延ばしし、約束を果たさないまま平成14年に解散した。平山知事は「組合と三条市との約束は、組合がなくなったから知らないというのでは、県としてトータルな約束が果たせない」と明言、県が約束を引き継いだはずだった。あれから4年。知事は平山氏から泉田氏に変わったが、跡地は変わらぬままだ。
 信濃川をちょっと上れば大河津分水公園がある。ちょっと下れば旧小須戸町に親水緑地公園が、その先にはやすらぎ堤がある。三条には親水公園はない。競馬場跡地は一昨年の7・13水害で氾濫した五十嵐川が、信濃川に合流する地点の真正面にある。水害時には大量の被災ごみ置き場にもなった。大水害の教訓を忘れないための7・13メモリアルパークのような公園に整備できないものだろうか。
 ちなみに大井競馬からは三条での場外馬券売り上げの1%が三条市に還元されている。金額は初年度の平成14年度が2017万4000円。以後、年々減って17年度は1488万7000円。公園整備に向けて貯めておけるほど三条市の財政に余裕はなく、全額を小中学校の施設整備に回している。
 県に何とかしてもらうほかない。競馬場跡地だからといって「馬耳東風」や「馬齢を重ねる」ようなことはないだろう。整備計画に関して早く「馬が合う」ようにしてほしいものだ。(スキップビート15 9月2日付け三条新聞)

2006年12月27日

情報インフラ

 総務省の平成17年情報通信白書によると日本のインターネット人口普及率は62・3%に達している。5年前より25・2ポイントの増。急速に増えているが、三条市の情報基盤整備はまだ途上段階だ。
 受発注や設計図などのデータのやり取りをインターネットで行っている企業が増えている。アルミ製金型などのデータをクリックひとつ、手間もコストもかけずに中国や韓国に送れば、一週間後には納品される時代になっている。
大量データのやり取りとなると光ファイバーによる超高速通信が欠かせない。光ファイバー網が使える地域なら、通話料が全国一律といったメリットのあるIP電話も活用できる。
 保内工業団地や柳川工住団地ではこれらが使えない。市が造成分譲した工場団地なのに、ネット環境が整備されていない。旧三条地区では保内、柳川のほか井栗、鶴田、西潟、三柳、須戸、柳場、柳沢、麻布、北入蔵の一部などが光ファイバー網未整備となっている。旧三条地区の光ファイバー網未整備世帯数は3,567世帯、全世帯数の12・9%もある。
 栄地区は旧三条地区よりは進んでおり、全地域に光ファイバー網が整備されている。
 一方、下田地区は整備率ゼロ。企業や病院にとって、ネットで大量データのやり取りができないことはこの先、大きなハンディキャップとなる。
遅場や名下、大谷地、五百川など下田地区の18・9%にあたる545世帯では、光ファイバーどころか通信速度が大幅に落ちるADSLも使えない。一部には回線数不足のため、さらに遅いISDNですら利用できない地域もある。
ISDNが使えない地域ではインターネットそのものが利用できない。ネットで情報収集や音楽配信、買い物ができないことは、中高年が感じる以上に若い世代に不満を抱かせる。大都市で定年を迎える団塊以降の世代を受け入れようとする動きが各地区で盛んになりつつあるが、下田地区がそれに名乗りを上げようとしても、ネットが利用できないままでは勝てそうもない。
三条市では現在、旧三条の一部と下田地区を対象に、情報基盤整備に関するアンケート調査を行っている。その結果を踏まえ、光ファイバー網やケーブルテレビ網の整備について検討することにしている。
世帯数などからして商業ベースには乗りにくく、通信事業者任せでは整備に時間がかかる。市では総務省の地域イントラネット基盤施設整備事業や地域情報通信基盤整備推進交付金といった補助制度を活用することも検討している。
社会資本整備というと道路や新幹線ばかり注目されるが、情報基盤も産業や医療、教育などに欠かせない社会資本となっている。携帯電話に関しては、アンテナ塔を整備し、不通地域を減らした。次はインターネット環境だ。(スキップビート14 8月30日付け三条新聞)

2006年12月26日

栄インターチェンジ

 県央の都市基盤面の財産と言えば新幹線駅と高速道路IC(インターチェンジ)。そのICをもうひとつ、県央が持てる可能性がある。北陸自動車道・栄PA(パーキングエリア)へのスマートIC設置だ。
 スマートICとはETC(ノンストップ料金収受システム)専用の簡易型IC。
 国土交通省は平成16年度から高速道路PAにスマートICを設置する社会実験を進めてきた。これまでに全国35か所で実施。新潟県内では16年12月から黒崎PA、17年から新井PA,大和PA、ことしに入って豊栄SA,大潟PAの計5か所で行っている。
 国が行う事業だけに地元負担は少ない。大和PAの場合、全体事業費は約2億8000万円。このうち高速道路敷地内のゲート設置工事など約2億2000万円は国が支出しており、地元南魚沼市の負担はアクセス道路などの約6000万円にとどまっている。周辺開発や地域の利便性向上を考えたら、安い。
 栄PAにICができたら栄地区はもちろん、三条の嵐南地区や下田地区からの利用も見込まれる。上り線を利用するのに嵐南から三条燕インターまで戻ったり、中之島見附インターまで向かうこともなくなる。
 完売していない金子新田工業団地や川通工業団地をはじめ、周辺地域の魅力も一挙に増す。
県央南部線構想もある。県央の東西軸が国道289号線だけでは不十分なため、南側にも広域幹線道路を整備しようという構想だ。大崎地区から総合運動公園、金子新田工業団地、栄PA付近を通って信濃川を渡り、分水に抜けるルートを念頭に、関係機関が研究を始めている。公共事業費が削られ、289号線や403号線三条北バイパスがなかなか進まない現状にあって、新たな広域幹線道路の実現は容易ではない。栄ICができれば、そのアクセス道路として県央南部線の重要性が高まる。南部線を進めるためにも、栄ICが必要だ。
社会実験で設置できれば一番良かったのだが、スマートICは実験から本格実施の段階に入ろうとしている。国交省はことし7月、スマートICの制度実施要綱を策定、地方自治体の発意でスマートICを設置できる仕組みを作った。
 設置にあたっては国交省、地方自治体、高速道路会社などで地区協議会を設け、ICの社会便益や周辺の安全性、採算性、整備方法などを協議することになった。IC本体の整備は原則として接続する道路の管理者、つまり市道に接続するなら市、県道なら県が行い、国や高速道路会社は可能な限り協力することになっている。ETCの料金徴収設備や高速道路内の標識などは高速道路会社が整備する。
 小林清燕市長は選挙公約にも掲げただけに、栄ICに前向きだ。社会便益や採算性に関する説得力を増すためには三条商工会議所や栄商工会など業界の協力も必要だ。
そもそも大和PAや豊栄SAに設置されて栄PAに設置されていない方がおかしい。これ以上、置いてきぼりをくわないために、さっさと動かなくてはならない。(スキップビート13 8月20日付け三条新聞)

2006年12月25日

緑のリサイクルセンター

 ものやサービスの価格は売り手と買い手のバランスで決まる。行政にはこの原則が通じない。三条市の「緑のリサイクルセンター」は無理な価格設定などによって、施設能力の3割以下の利用にとどまっている。
 同センターは市内で生ずるせん定枝を堆肥にするための施設。廃棄物処理法改正でせん定枝などの野焼きが禁止されたことを受けて平成16年度、代官島地内の2,000平方㍍に1億6247万9000円で建設、17年4月に供用開始した。果樹、造園などのせん定枝を焼却せず、堆肥にして農地に戻すことで環境に優しい循環型農業を目指している。
 市内の果樹、造園業者から出るせん定枝は年間およそ900トン。市はそれに合わせて年に900トンのせん定枝を受け入れ、450トンの堆肥を作れる設備を同センターに整えた。17年度、同センターに持ち込まれたせん定枝は255・8トン。処理能力のわずか28・4%でしかない。こんな状態が続けば「1億6000万円の無駄遣い」と言われかねない。
 原因の第一は料金。同センターではせん定枝10キロ当たり80円の持ち込み料を徴収している。福島新田の三条市清掃センターの場合、持ち込み料は運搬車の積載量によって0・5トン未満なら1400円、1トン未満なら2800円などとなっている。満杯に積めば10キロ当たり約28円。同じせん定枝10キロを清掃センターでごみとして燃やせば自己負担は28円、リサイクルセンターに持ち込めば3倍近い80円。趣味でやっているならともかく、果樹や造園を生業としている人たちに「環境のため」と求めても、そうは続かない。
この結果、17年度の料金収入は188万円にとどまった。対する運営経費は813万円。建設費や減価償却を除いても、差し引き625万円の赤字だった。
 料金を高くするなら、それに見合う魅力を持たなければならない。同センターの場合は堆肥。枝を持ち込んだ人に堆肥を無料で返すことにしている。良い堆肥が手に入るなら果樹農家もせん定枝を持ち込む。現状は「どんな農薬を浴びた枝が入っているのか。果樹の堆肥に使うには不安」「松脂臭くては果樹には使えない」と敬遠されている。
 市農林課は「堆肥作りでは半年ほどの熟成期間を設けている。農薬はその間に消える。専門機関にも確認しており問題はない」と説明。ようやく料金の見直しや松脂臭対策などの検討も始めた。
 行政サービスなのだから採算性は度外視してもいいという感覚は改めなくてはならない。まして昨今は環境ビジネス流行りでもある。同センターは持ち込み料だけに頼っていては赤字だが、良い堆肥作りに努め、堆肥を売り出す努力を続ければ黒字も夢でなくなる。保内公園・緑の相談所など市の施設で市民向けに販売する方法もあれば、ホームセンターなどに販路を広げる方法もある。
 価格設定、品質向上、販路開拓。どれも市内の民間事業所が日々、取り組んでいることだ。市役所がそれを見習い、汗をかいても罰は当たらない。(スキップビート12 8月12日付け三条新聞)

2006年12月24日

未婚率急増

 少子化に歯止めがかからない。国はその対策として子育て支援に力を入れている。子育てが大変だから出生率が下がっているのだろうか。結婚しない、あるいは結婚が遅いことが、より大きな原因ではないだろうか。
 三条市の30歳代、40歳代の未婚の比率は20年間で3倍余も増えている。昭和55年の国勢調査によると、三条市の20歳代の未婚率は55・7%、30歳代は8・5%、40歳代は3・1%だった。20歳代から40歳代までの合計は21・5%。20歳代から40歳代までの未婚は、5人のうち1人程度だった。
 20年後の平成12年の国勢調査では、20歳代の未婚が71・2%で15・5ポイント増えた。30歳代は26・2%で17・7ポイント増、40歳代は11・6%で8・5ポイント増。3、40歳代の未婚率は20年間でともに3倍余となった。
20歳代から40歳代までの平均は34・9%。3人のうち1人以上が未婚となっている。
 男女別に見ると20歳代は男の未婚が76・1%、女は63・2%、30歳代は男が35・0%、女が17・4%、40歳代は男が17・5%、女が5・4%。いずれも男の方が大幅に高い。
 結婚する若者が減ったり、婚期が遅くなっているのだから、出生も減る。子育て支援策が充実したからといって、子どもをあと2、3人生もうとする中高年はいない。出産適齢期に結婚している人が増えなければ、子育て支援策の効果など知れている。
 シンガポールは少子化対策のため、政府内に結婚奨励委員会まで設けている。日本は個人の人生観にまで政治や行政が関与すべきではないということか、そこまで露骨なことは控えている。あるいは「民間でできることは民間で」の内閣にあって、結婚相談は民間で十分ということか。最近、猪口少子化担当相が「お見合いパーティー」を提案して一笑に付された。
 三条地域では三条工業会が独身者対象のパーティーを何回か開いた。カップルも生まれたようだが、ある経営者は「パーティーで出会った相手を口説けるような息子なら苦労しない」。結婚相談窓口を設けた役場もあるが、目覚しい成果が上がったとは聞かない。
別の経営者は「このままでは地場の中小零細企業の跡取りがいなくなる。他人では個人保証までして経営を担ってくれない。金融機関などが積極的に結婚対策に取り組んでくれたらいいのだが」と期待している。
 昔と比べたら日本が豊かになり、結婚しなくても食べていける社会になったこと、地域の付き合いが薄くなり、若い男女の世話を焼いてくれる人が少なくなったことなどが原因だろうか。何から手をつけたらいいのだろう。妻は「まず自分の子に『親を見ていたら、とても結婚する気になれない』と言われないようにしなさいよ」。うーん。(スキップビート11 8月6日付け三条新聞)

2006年12月23日

放課後子どもプラン

 小中学校の夏休みが始まった。子どもたちはちょっとした自由と冒険に心を弾ませる季節だが、働く親、なかでも小学生の親にとっては児童施設の整備の遅れを痛感する時期でもある。
 三条市には24の小学校がある。うち半数の12学区に7つの児童館と13の児童クラブがある。条南小学区に直江と島田の2つの児童クラブがあるのに対し、三条、旭、西鱈田、大島、須頃、南の6学区には児童館も児童クラブもない。旧栄、旧下田地区では児童クラブがあるのが3学区、ないのが6学区となっているが、ない学区でも近くの児童クラブまでのバスを運行している。旧三条地区にはそうしたバスもない。三条市の放課後児童施設は配置にもサービスにも偏りがある。
 児童館は幼児と小学生のための施設。緊急連絡先を施設に提出すれば無料で利用できる。開館時間は平日は午後1時から5時半まで、土曜や夏休みは午前9時から午後5時半まで。夏休みには利用も多くなるが、働く親にとって困るのは弁当が禁じられていること。昼食は自宅に帰って食べることになっているため、勤務先が遠いなど昼休みに自宅に戻りにくい親にはあまり人気がない。
 児童クラブの対象は仕事などで日中、保護者が家庭にいない小学1、2、3年生。平日は放課後から午後6時半まで、土曜や夏休みは午前8時から午後6時半まで開いている。こちらは弁当持参で朝から夕方まで利用することもできるが、利用料は月額4,000円。他におやつ代が1日80円必要となる。年度途中でも入会できるが、希望が多ければ人数を制限する。現在、大崎、一ノ木戸、月岡各児童クラブで入会を制限している。
 子どもが保育所に通っている間は働けたが、小学1年生になった夏休み、利用できる児童クラブがなかったために子どもを独りにしておけず、パート仕事を辞めざるを得なかったという母親もいる。ようやく仕事に慣れたパート社員が子どもの夏休み期間中、度々休まれて困るという企業もある。「産業のまち三条」でありながら共働き夫婦や母子、父子家庭向け子育て支援施設の整備はまだまだだ。
 こうした問題の解消に向け、市は国の仮称放課後子どもプランに注目している。これまでの縦割り行政を改め、厚生労働省が行っている児童クラブなどの放課後児童健全育成事業と、文部科学省が行っている地域子ども教室推進事業を来年度から一元的に実施することにしたのが同プランだ。詳細は現在、両省で検討中だが、共働き家庭などの子どもたちの放課後対策と、地域の教育力向上という両方の目的を維持しながら教育委員会が主導、福祉部局が連携し、原則として小学校内で行う事業となりそうだ。
 施設を提供する学校側の理解と、地域ボランティアの協力が実施の前提条件となりそうなだけに、市は手を挙げた地域、学校から先行させる方針でいる。児童クラブがなかったり、あっても使いにくい学区のサービスがますます遅れることにならようにしなければならない。(スキップビート10 8月1日付け三条新聞)

2006年12月22日

内水対策

 異常気象がこうも続くと大雨を異常と呼び続けていいのだろうか。全国で豪雨被害が相次いでいる。三条市では一昨年の7・13水害の傷が癒えないのに、昨年は8月10日の大雨で床上8棟を含む住宅280棟が浸水した。ことしも6月30日の雨で住宅45棟が床下浸水、商店など43棟も浸水被害を被った。
 三条市消防本部に残っている記録では、1日最多雨量が100㍉を超えた年は過去38年間で8回しかない。うち3回が一昨年、昨年、ことし。3年連続で100㍉を超えたのは初めてだ。平成16年は7月13日に過去最多の217・5㍉を記録。昨年は8月10日に153㍉、ことしも6月30日に147㍉を記録した。1時間当たりの雨量もこの3年間で4回、40㍉を突破している。
 その都度、浸水被害が発生している。毎年ではたまらない。温暖化の影響か、気象が変わりつつあるのだから市も対策を練らなければならなくなっている。
 五十嵐川、刈谷田川では7・13水害の災害復旧工事が行われている。雨水対策の根幹となる両河川に関しては計画通り平成20年度までの竣工に努めなければならない。
 両河川とは別に、市街地に降る雨を処理する内水対策も大きな課題だ。五十嵐川が危険水位に達していなくても、市街地が水浸しになる事態が度々発生している。
 三条市の内水対策の基本は公共下水道事業(雨水)。昭和53年に排水面積1776㌶、雨水幹線25本、総延長30,580㍍の全体計画を立て、翌54年から工事を進めている。この事業が完了すれば嵐南、嵐北の市街地は1時間当たり41㍉の豪雨にも耐えられるというが、汚水処理事業との同時施工でもあり、進み方は遅い。
 いつ完了するのか、現状では予測すらできない。全体計画のうち事業認可を得ているのは旧市街地の283㌶だけ。これまでの28年間で塚野目、雨水ポンプ場の半分と東三条第一・第二、荒町第一、裏館第二の雨水幹線4本を整備した。投資額は79億4000万円で、第一期認可分の事業費で見ても進ちょく率は35%。整備済みの雨水幹線は8,658㍍で、計画総延長のわずか28%にとどまっている。28年かけて28%しか進まないのだから、完成までにあと72年かかることにもなりかねない。
 雨水対策が進まないのに宅地化が進み、農地の保水能力が弱まるのだから一層、水が上がりやすくなっている。とても下水道事業の完了を待ってはいられない。市では下水道事業とは別に新通川、島田川の五十嵐川合流地点の河床を1・2㍍ほど下げて勾配をつけ、両河川の排水能力を高める工事を県に改めて要望するなどしているが、市内全域の雨水対策となると新市建設計画が吹き飛ぶほどの莫大な費用がかかるだけに、頭を悩ませている。
 暴れ川、布施谷川沿線の人たちは溢水が始まると塀の間に板をはめ込み、宅地への浸水を防いでいる。市と対策を協議するとともに、道路冠水時の迅速な交通止め要請や土のうの確保といった、地域でできる自衛策の検討も必要なようだ。(スキップビート9 7月25日付け三条新聞)

2006年12月21日

特別支援教育

 三条市内の小学校で、教室を抜け出した一年生が行方不明となり、職員総出で学区内を探し回る騒ぎがあった。教師の言うことをまったく聞かず、授業中に勝手に教室を出入りする児童も珍しくなくなっている。
 学級参観でクラスの実態を初めて知って驚いたという保護者も多い。以前はこうした児童の行動を「わがままだ。しつけがなっていない」と、育て方や環境に問題があるとされた。いま、こうした子どもたちは「発達障害児」と呼ばれ、中枢神経系に何らかの機能障害があると分析されている。
 発達障害には、知的発達に遅れはないものの読み書き、計算、推論といった能力のうち特定分野だけが苦手な「学習障害(LD)」、注意力が弱く、じっとしていられない「注意欠陥多動性障害(ADHD)」、他人と社会的関係を築くことが苦手で興味や関心が狭く、特定のことにこだわる自閉症のうち、知的発達の遅れを伴わない「高機能自閉症」や「アスペルガー症候群」などがある。
 文部科学省は通常学級に通う児童生徒の6・3%にこうした障害があるとしている。30人学級なら1、2人、40人学級なら2、3人の在籍率となる。三条市教育委員会によると市内小学校の通常学級で、医師に発達障害と診断された児童は14人。疑いはあるが診断を受けていない児童もいるため、実数はそれよりかなり多いと思われる。
 三条市は平成16年度からスクールアシスタントを導入した。1日4時間、週3日ペースで登校し、教師を補佐してもらう制度で、初年度は44人を市内22の小中学校に配置した。学校教育の充実と、地域と学校のパイプ役を期待しての導入だったが、実際はアシスタントの大半が発達障害児の指導支援に回っている。教師だけでは手が足りないのだ。アシスタントの需要は年々増加、現在は33校に77人を配置するまでになっている。
 国はこうした状況に対応するため、従来の特殊教育を今年度から特別支援教育に切り替えることにした。特殊教育が特殊学級などでの障害児教育中心だったのに対し、特別支援教育は通常学級に通う発達障害児も対象とする。個々の児童に合わせた個別指導計画などを作るほか、校内委員会を設置するなどして全校体制で取り組む。名称も特殊学級は特別支援学級、養護学校は特別支援学校に改め、県立月ヶ岡養護学校などの特別支援学校には地域の特別支援教育をバックアップするセンター的機能を持たせる。
 新しい制度がどの程度、効果を発揮するのかはまだ分からないが、学校が抱えている問題は特別支援教育だけではない。普段、問題を抱えているようには見えない児童生徒が突然、キレる。ベテラン教師がしっかりまとめているように見える学級が、ちょっとしたことで崩壊寸前に追い込まれる。いずれにしろ、学校は一昔前とは違っている。「教師の力量が低いからだ」「親の家庭教育がなっていないからだ」と責任を押し付けあっても、何も解決しない。
まずは保護者が、地域が、学校の実態を正確に知ることだ。(スキップビート8 7月18日付け三条新聞)

2006年12月20日

余熱利用

 三条市のごみ焼却処理施設が建て替え時期を迎えた。市は6年後の平成24年4月の供用開始を目指し、基本計画づくりを始めている。ごみ焼却熱の利用方法は発電が有力だが、いまなら市民要望次第で変更もできる。
 福島新田の現ごみ処理施設は昭和48年から56年にかけて建設した。築32年。建て替えは老朽化によるもので、現在地の南側約24,000平方㍍を建設予定地と決めた。総事業費は概算で123億円。合併時に策定した新市建設計画のなかでは最大規模の事業で、ことし10月から基本設計や環境影響評価に取りかかる。
 建設予定地は市道で東西に分断されている。水路などを除いた敷地面積は西側が約16,500平方㍍、東側が約7,000平方㍍。市は西側に焼却施設、東側に資源ごみ置き場やリサイクル啓発施設を建設する方針だ。
 新施設完成後に取り壊す現施設の敷地15,350平方㍍は、将来、新施設が老朽化した後の再建て替え用地として残す。それまでは資源ごみ置き場などに使うことにしている。
 つまり建設物はごみ焼却やリサイクル関連施設だけ。余暇施設などを併設する構想はいまのところない。焼却で発生する熱はすべて発電に利用し、施設の維持管理費を下げる考えだ。
 焼却施設の余熱利用は発電以外にも、温水プールや入浴施設、植物園、園芸ハウス、ロードヒーティングなどがある。環境省の平成17年版循環型社会白書によると、全国1,035のごみ焼却施設のうち、263施設が発電を行っている一方、966施設は温水、244施設は蒸気に余熱を利用している。
 三条市は発電だけで、他の余熱利用を考えなくてもいいのだろうか。例えばプール。三条市民プールの竣工は現ごみ焼却施設と同じ昭和48年。いずれ建て替え時期が来る。いまどきのプールは建設費もかさむ。平成14年に竣工した新潟市の西海岸公園市営プール建設費はおよそ30億円に達している。
 三条市民プールの燃料費と電気料は毎年600万円以上にのぼっている。余熱を利用すればこれが無料になる。
 市の財政状況からして市民プールをそのままに、ごみ焼却施設隣にもうひとつ新プールを造るのは難しい。しかし南四日町四地内の幹線道路に面した市民プールを10,051平方㍍の敷地ごと処分し、焼却施設隣に移設するなら検討の余地はある。
 新ごみ焼却施設は合併特例債を使って建てる。同じ借金でも特例債の場合、市の実質的な負担は30%だけ。残り70%は国が地方交付税で措置する。市民プールを単独で建て替えるより、ごみ焼却の併設施設として一緒に建てた方が財政的にも有利になる。
 市は斎場、ごみ焼却施設、し尿処理施設を三大プロジェクトと称し、「新市の市民融和の象徴事業」と位置付けている。象徴が斎場、ごみ、し尿では華がない。せめて余熱利用でレジャープールやクアハウスなど市民に喜ばれる施設の併設を考えられないものだろうか。基本設計策定前のいまなら、市民の声次第で方針変更は十分、可能だ。(スキップビート7 7月15日付け三条新聞)

2006年12月19日

激安入札

 三条市の入札をめぐり、関係業界に激震が走っている。税金を効果的、効率的に使いながら地元業界の育成を図る。この理想を実現するのは簡単ではない。
 市は平成14年度、県や県内他市町村に先駆けて建設工事の入札を、それ以前の指名競争から制限付き一般競争に切り替えた。指名競争とは、市が選んだ業者しか参加できない入札制度。制限付き一般競争入札は「県内に本社、本店、営業所がある」といった一定の条件を満たしていればだれでも参加できる制度。入札の透明性、公平性を高めることが目的で、談合防止策でもある。
 今年度からは建設工事にとどまらず、設計や地質調査などの業務委託にも制限付き一般競争入札を導入した。その結果、業務委託入札は競争が激化し、予定価格に対する落札価格の比率が大幅に低下。ことし5月19日には予定価格の54・18%で落札する業者が現れ、5月31日には44・67%、36・84%、6月15日にはついに25・82%で落札する業者が現れた。
 建設工事の入札では品質低下などを予防するために最低制限価格制度を設け、それ以下の価格では契約しないことにしている。業務委託の入札にはこの制度を設けなかったため、予定価格の4分の1という極端に安い価格で発注することになった。
 落札できなかった他の業者の応札価格を見ると、市の予定価格の設定が高すぎたようにも見えない。格安で発注できるのだから、税金を効率的に使うという面だけ見れば落札率は低いに越したことはない。しかし事故続発のエレベーターのような「安かろう悪かろう」でも困る。こうした落札率が続くようなら、これまで以上に検査体制の強化などによる品質確保に注意しなければならない。採算を度外視したような激しい競争が長引けば、設計の際に納入業者が特定される特殊な部材を仕様書で指定し、後日、工事施行時に納入業者からリベートを受け取って設計の赤字分を穴埋めしようとする設計業者も出かねない。市にとってかえって高い買い物になるようことを阻止するためのチェックも必要になる。
 なぜ格安で受注できるのか、市の技術者が納得できる説明を受けたうえで契約する仕組みも必要だろう。安いから発注したが、受け取り後、鉄筋が少ないことが分かったでは耐震偽装マンションの被害者と同じ目に遭ってしまう。また説明を受けることで、きちんとした見積もりもせずに予定価格から一定率をかけて入札し、落札後に帳尻合わせを考えるような雑な業者も排除できる。
 格安での落札は市外業者に多い。公共事業費の総枠が減るなか、入札改革で市外勢の参入が増え、競争がより激化したことで、下請け、孫請けを含めた地元業者からは悲鳴が上がっている。ことし1月には改正独占禁止法施行で談合に対する課徴金が引き上げられ、内部通報制度も導入された。新潟市の官製談合事件で県内大手が談合決別宣言を出したことで、さらに競争が激化するのではとの不安も抱えている。
 地元建設業界のいまが「冬の時代」とすれば、災害関連工事が終わる3年後からは「氷河期」となるかもしれない。(スキップビート6 7月5日付け三条新聞)

2006年12月18日

スクールバスの格差は情報力? 判断力?

 下校途中の児童が誘拐、殺害されるという悲惨な事件が全国で相次いでいることから、三条市内でもスクールバス導入を求める声が強まっている。
 取り組みの早さでは隣の加茂市が有名。先進地として全国に紹介された。加茂市がスクールバスを導入したのは昭和46年。当初は防犯のためというより、学校まで遠い子どもたちの負担軽減のための導入だった。防犯目的に切り替えたのは、奈良で女児誘拐殺害事件が発生した翌年の平成17年4月。それまで15台だったバスを一挙に24台に増やし、遠距離に限らず人家が途切れた地域、人通りが少ない地域を通る子どもたちのための運行も始めた。
 三条市では旧栄、下田地域の一部で遠su距離通学用のバスを運行しているだけ。万が一のとき防犯ブザーを鳴らしても近くに人家がなく、子ども一人ではどうしようもない地点、冬期間は雪に足を取られながら車道を歩かなければならない地点などを通る子どもの保護者がバス運行を求めているが、教育委員会は防犯目的の運行について「地域の子どもたちは地域で守ることが基本」と消極的だ。熱心に防犯パトロールに取り組んでくれている地域もあるが、学校から3、4キロ離れた小さな集落までボランティアでカバーするのは容易ではない。
 スクールバスに対する補助金は、遠距離通学用バスを導入する山間へき地や、市町村合併に伴う学校の統廃合を行った地域に対し、バス購入費の半額を補助する程度にとどまっている。だから三条市は導入に二の足を踏んできた。
 実は国の財政支援はそれだけではない。補助金とは別に地方交付税として、スクールバスを運行している市町村に人件費や燃料費などが交付されている。金額は一律で、1台当たり582万5000円。実際の運行にいくらかかろうと、この金額は変わらない。ここがミソ。
 スクールバスの運行日数は年間200日前後。朝と夕だけだから正職員でなくても対応できる。運行経費は年間300万円もあれば十分だろう。実費がいくらでも交付税額582万5000円は一律だから、実費が300万円なら、その差額282万5000円は市の儲けとなる。3、4年もすればマイクロバスの購入費ぐらい十分賄える。10年経てば次のバスの買い替え費用まで用意できる。
 官僚出身の小池清彦加茂市長はこうした仕組みを熟知している。だからこそ昨年、一挙に9台も増やしたのだろう。
 地方交付税は全体として削減の方向にある。スクールバスの運行支援がいつまで続くかは分からない。となるとバス導入は早い者勝ちとなる。三条市のように「検討する」を繰り返していると、「ようやく導入を決めましたが、交付税措置はなくなったので全額自腹で運行します」となりかねない。
 スクールバスに関する加茂市と三条市の違いは、情報力と意思決定のスピードの差と言わざるを得ない。三条市教育委員会、しっかりしてください。(スキップビート5~6月30日付け三条新聞)

2006年12月17日

まずは1・5次救急から

 県央の救急医療問題を解決するには、初期、第二次、第三次各レベルの救急医療体制の整備を考えなければならない。
 第一の問題は患者の状態に応じ、それに見合ったレベルの救急医療機関に搬送する「振り分け」ができていないこと。入院の必要がない初期レベルの患者が二次医療機関に搬送され、二次で対応できる患者が重篤患者対象の三次の救命救急センターまで運ばれている。その結果、二次医療機関は一次レベル、救命救急センターは二次レベルの患者の対応に追われ、本来、担当すべき業務に支障をきたしている。
 三条市医師会の草野恒輔会長は「救急医療専用病床を10ベッド程度備えた、内科、小児科、外科系の3科を持つ一次救急施設を設置すれば、現在の状況をかなり改善できる。一次救急に来院される患者の90%はそこで処置できるので、二次、三次施設への転送は他の10%ですみ、専用病床が満床のために救急患者を受け入れられないといった事態が減る」と説く。
 この構想を実現させるには県市などの公的支援はもちろん、開業医、勤務医を含めた地域の医療関係者の協力が不可欠となる。
 県央への救命救急センター設置については、設置場所と県立病院の統廃合問題がからんでくる。17年度の県立加茂病院の赤字は5億3800万円、吉田病院は6億2200万円。前年度と比べて加茂は1900万円、吉田は7300万円増えている。県内15の県立病院の累積赤字は372億6000万円に達している。
 県は地域要望の強い救命救急センターの整備と引き換えに、お荷物となっている赤字病院を整理しようとしている。魚沼圏のセンターとなる魚沼基幹病院の新設も、県立小出、六日町、十日町各病院を廃止または民営化し、魚沼基幹病院自体も公設民営とすることを前提としている。
 先日、高橋三条市長と草野三条市医師会長が泉田知事と面談し、県央への一次救急施設と救命救急センターの設置を求めた。
 知事は一次救急施設について、県立病院の医師の派遣は無理だが、県央地域の民間の医療関係者の協力を得て開設するなら県として財政的な応援はする、ぜひ頑張ってほしいと前向きな姿勢を示した。
 県央の救命救急センターについて、知事は「県立加茂、吉田両病院を廃止するなら、公設民営の救命救急センターを県央に設置してもいい」との考えも示した。
 加茂、吉田両病院の存続と、救命救急センターの新設のどちらを選ぶのか。どちらも望むことは無理なのか。加茂、吉田の県立病院としての存続が無理なら民間病院として残す道はないのか。救命救急センターの設置場所はどうするのか。加茂、吉田両病院を廃止するとしたら国道289号線や403号線バイパスなど救命救急センターへのアクセス改善を県は進めてくれるのか・・・。
 検討しなければならない課題は多い。最後の決断は首長たちがするにしても、県央の住民が考え、意見を伝えることが大切だ。
(スキップビート4~6月26日付け三条新聞)

2006年12月16日

取り残された県央

 三条市の病院では市内の救急患者を措置しきれず、多くの患者が県央地域外まで運ばれていること、119番通報から長岡、新潟の病院に収容されるまでには平均して約1時間もかかっていることなどを前回記した。
 新潟や長岡で倒れた患者はすぐに適切な医療によって助けられる。県央で倒れた患者は同じ程度の脳や心臓疾患でも病院収容までに時間がかかりすぎ、手遅れになってしまう。こうした地域格差が現実のものとなっている。医療体制の整備が喫緊の課題だ。
 救急医療体制には初期、第二次、第三次の三段階がある。初期救急医療機関とは在宅当番医や、県央四医師会が三条市医師会館で運営している夜間応急診療所などのことで、外来診療が基本だ。
 第二次救急は入院治療を必要とする重症患者を担当する医療機関。県央では厚生連三条総合病院、済生会三条病院、三之町病院、燕労災病院などによる病院群輪番制で対応している。
 第三次救急は第二次では対応できない重篤な患者に対して高度な医療を総合的に提供する医療機関で、救命救急センターと呼ばれている。
 厚生労働省は、この三段階の救急医療機関を体系的に整備し、「原則として第二次救急医療機関は二次医療圏単位で、第三次救急医療機関は概ね人口百万人単位で整備を図る」との方針を示してきた。現実は、増え続ける患者数に対して体制整備が追いつかず、一次、二次で診るべき患者までが三次に殺到、三次本来の役割である重篤患者の措置に支障をきたす状態に陥っている。「救命救急センターは百万人単位で」などと悠長なことを言っていられなくなっている。
 新潟県は昨年、県内の二次医療圏を13圏域から7圏域に見直した。県央圏をなくす案もあったが、地元要望を受けて残した。新しい7圏域のうち、新潟には新潟市民病院、中越には日赤病院、上越には県立中央病院に救命救急センターがすでにある。下越ではことし11月、県立新発田病院に救命救急センターが設置される。魚沼でも仮称魚沼基幹病院の具体的な設置検討が始まった。7圏域のうち救命救急センターの計画すらないのは県央と佐渡だけだ。
 泉田知事はことし2月県議会で「新たな二次医療圏では県央と佐渡を除く5圏域に救命救急センターが設置されることになる。残る2圏域の整備は今後、ヘリコプターのさらなる活用など隣接圏域のセンターへのアクセス改善も含めた総合的な検討を行い、30分以内に救命救急センターに到着できる体制づくりに努めたい」と述べ、県央への設置の有無について、明言は避けた。
 三条、燕、加茂、田上、弥彦の県央五市町村の人口は24万7000人。魚沼の19万7000人はもちろん、下越の23万5000人も上回っている。追い越された県央。このままでいいわけがない。(スキップビート3 6月19日付け三条新聞)

2006年12月15日

救急患者 1時間待ち

 昨年11月12日夜、三条市内の女性A子さん(82)が自宅居間で倒れた。家族が119番通報したのが午後10時31分。その6分後、三条市消防本部の救急車が到着した。
 救急隊員はストレッチャーでA子さんを救急車に乗せ、酸素吸入や人工呼吸などの救急措置を施した。A子さんの家族も同乗した。現場でできることはやり終えた。しかし救急車は走り出せない。搬送先の病院が見つからないのだ。
 隊員は救急車内から三条市内の病院に電話し、脳疾患と思われる患者の受け入れを要請した。
 「先生に聞いてきます」。待つこと5分。当直医が専門外なのでと断られた。県央地域の他の病院にも電話したが、結果は同じだった。救急車の現場到着からすでに20分以上過ぎている。家族はもちろん、サイレンの音で集まった近所の人たちも「どうなってるんだ、早く医者に診せなきゃ」とヤキモキしている。救急車は向かう方向が決まらなければ走り出せない。走ってみたものの逆方向でしたでは、かえって時間がかかるからだ。
 午後11時4分、ようやく受け入れてくれる病院が見つかった。相手は長岡市・立川総合病院。サイレンを鳴らして走り、病院に到着、患者を引き渡したのが午後11時25分。家族が119番通報してから実に54分が過ぎていた。脳や心臓疾患は手当ての遅れが命取りとなる。A子さんは翌日午前0時33分、小脳出血のため死亡した。
 A子さんの搬送が特異な例というわけではない。三条市消防本部の昨年一年間の救急搬送は3363人。うち821人、24・4%が市外の病院に運ばれている。病院から病院への転院を除いた119番通報搬送に限っても、平日夜間や休日に搬送した1703人のうち350人、20・5%が市内の病院では診てもらえず、市外まで運ばれている。
 市外の病院の場合、119番通報から収容までの平均時間は53分。うち、もっとも件数の多い長岡市内の病院までの平均は58分、新潟市は1時間。A子さんは平均よりは早かったのだ。
 市内の病院も可能な限り救急患者を受け入れている。しかし夜間や休日だと「専門医がいない」「処置困難」「ベッドが満床」などの事情で断らざるを得ない。
 救急隊員が受け入れ先を探す救急車内での電話は、多いときには10回に及ぶ。ようやく新潟や長岡の病院に運び込んでも、命にかかわる三次救急患者でない場合、「この程度の患者を連れてこられたら三次救急ができなくなる。地元で対応しなさいよ!」と罵声を浴びせられることになる。
 市外搬送は行き帰りの時間がかかる。消防本部4台、栄、下田分署各1台の計6台の救急車がすべて出動、次の通報に対応できないために慌てて帰ってくることもある。
 なぜこんな事態になってしまったのか。県央に救命救急センターがないからだ。(スキップビート2 6月9日付け三条新聞)

2006年12月14日

スキップビート

 三条市議選に初当選させて頂いた後、三条新聞にコラムを書かせてもらっています。題名は「スキップビート」。ちょっと変則的な、軽いリズムで市政のあれこれを皆さんにご紹介したいと思っています。
 今回、三条新聞様のご了解を得て、スキップビートをこのブログにもアップすることにしました。以下は5月31日掲載の初回原稿です。


 スキップビート~市政あれこれ

 4月23日執行の三条市議選で初当選させて頂いた。市政の課題や選択肢を市民にお伝えすることも市議の仕事のひとつ。紙面をお借りし、市政の現状などをできるだけ簡潔に、分かりやすくお伝えしたい。初回は市議選初体験記。
 厚顔無恥な人間が選挙に出るのか、選挙に出るから厚顔無恥になるのか。少なくとも選挙戦が始まると「恥ずかしい」などとは言っていられなくなる。まず自分の顔写真を載せたポスターが町中に張り出されるのに耐えなくてはならない。当初、「ポスターは写真なしで名前と主張を書いたものを作りたい」と考えていたのだが、選対会議であっさり却下された。イケメン候補ならともかく、鏡を見るのも嫌いな人間にとって自分の顔写真があちこちに張られるのは、かなり恥ずかしい。自分の顔写真に囲まれ、冷や汗を流している姿はまるで油売りのガマだった。
 初対面の人とも握手しなければならない。相手が男ならともかく、中年オヤジに手を握られたくなさそうな女性に対しても、図々しく手を差し出す。嫌そうな顔をされても、くじけず続けなければならない。
 早朝や夜間のあいさつ回りも、相手の迷惑を考えていたらできない。街宣車の騒音も同様。「遠慮するくらいなら最初から選挙に出るな」と叱責されることになる。見ず知らずの人に自分を売り込むのが選挙。もともと厚顔だった人間も、そうでなかった人間も、選挙戦が進むうちにどんどん面の皮が厚くなっていく。市議選ですらそうなのだ。もっと大きな選挙を戦う政治家は、自己顕示欲を強くしなければ続けていけない。
 選挙は民意を示すためのものだ。国政選挙や首長選は、各候補の政策や主張の違いが争点となる。市議選の場合、結果を見ても市民が何を選択したのか分かりにくい。原因は候補の側にある。「安全、安心」「明るく豊か」「住みよい」「福祉、教育、文化、スポーツの振興」・・・。選挙公報や新聞広告、リーフレットには、これらの言葉を組み合わせた文句が並ぶ。自分も含め、多くの候補が似たような、差し障りのない、万人受けするスローガンを掲げた。市民に市政の方向や政策に関する選択肢をうまく示すことができなかった。
 執行権を持たない市議が、具体的な政策を掲げるのは難しい。賛否両論があるテーマを持ち出すのには勇気もいる。しかし人を選ぶだけの選挙では、市民が市政を動かす本当の自治にならない。反省点だ。