2019年05月22日

戒律にひと言、付け加えるだけで

 イギリス人作家ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』は、牧場の動物たちが革命を起こす物語だ。
 動物たちはある日、自分たちの利益を人間に搾取されていることに気づく。
 動物のなかでもっとも賢いと周囲から思われているブタの指導のもと、動物たちは蜂起する。
 牧場からうまく人間を追い出すことができた動物たちは、動物主義にもとづく戒律を定めて壁に書き出した。

 「二本足で歩くものはすべて敵である」
 「四本足で歩くものと羽のあるものはすべて友である」
 「動物は服を着るべからず」
 「動物はベッドで寝るべからず」
 「動物は酒を飲むべからず」
 「動物は他の動物を殺すべからず」
 「すべての動物は平等である」の七戒だ。


 動物たちは理想に燃えて懸命に働く。
 牧場を取り戻そうとする人間たちとは命がけで戦った。
 そのうちにブタが権力を独占し、他の動物たちを支配するようになった。
 「七戒」にも、いつの間にかいくつかの文字が書き加えられていた。


 「動物はベッドで寝るべからず」の後ろには「シーツを用いては」が付いた。
 この結果、他の動物たちは床で、ブタだけはシーツのないベッドで眠るようになった。
 「動物は酒を飲むべからず」の後ろには「過剰には」が付き、ブタは毎晩、酒を楽しむようになった。
 「動物は他の動物を殺すべからず」の後ろには「理由なしには」が付き、理由があれば殺してもいいことになった。
 「すべての動物は平等である」の後ろには「一部の動物はより平等である」が付いて、ブタは独裁体制をより強固にした。


 この小説が発表されたのは昭和20年。
 ソ連の全体主義、スターリン主義を痛烈に批判した作品として評価された。
 オーウェルは戒律に、たったひと言を付け加えるだけで意味が正反対になることも示した。
 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の後ろに
 「実力組織として、自衛隊を保持する」を付けた場合はどうなるのだろう。

2019年05月19日

晴耕雨バスケ

 来年の東京五輪からスポーツクライミングなどとともに3人制バスケットボール「3×3」(スリー・バイ・スリー)が五輪種目に採用される。
5人制コートの半分を使って行う競技で、1試合はわずか10分間。バスケットボールはもともと展開が早い競技だが、3人制となるとさらにスピーディになる。
 攻守の入れ替わりは目まぐるしく、攻める側はボールを持ってから12秒以内にシュートしなければならない。
 チームワークも大切だが、個々の選手の役割も5分の1から3分の1に増す。
競技人口は40万人を超え、世界大会には180以上の国や地域が参加する人気スポーツとなっている。


国内にも「3×3」のプロリーグがある。
5年前の発足時はわずか7チームの加盟だったが、その後年々増加。6月から始まる今シーズンは、韓国やニュージーランドなどの海外組も含め72チームが12地区に分かれ、8月までリーグ戦を行う。

 このリーグに新潟県内から初参加するプロチームが三条市にできた。
 旧荒沢小体育館を拠点とする「三条ビーターズ」だ。
 メンバーは選手6人と練習生1人の計7人。
うち3人は東京からの遠征組だが、
和歌山出身の南条一輝主将(26)、
胎内市出身の花野文昭選手(24)、
茨城出身の松岡一成選手(29)、
埼玉出身の小沼遼平練習生(32)の四人は地域おこし協力隊員として今春、三条市に移住した三条市民だ。
先週末、旧荒沢小体育館で行った「仙台エアジョーカーズ」との練習試合では迫力あるプレーを披露した。


プロとはいえ協賛金だけでチームを運営していくことは難しい。
そこで「三条ビーターズ」が打ち出しているのが「半農半バスケ」スタイル。
バスケットボール教室やスポーツ合宿の誘致などに加え、運営主体のNPOソーシャルファームさんじょう(柴山昌彦理事長)が取り組んでいる下田地域の棚田の再生や下田産のイモで作る焼酎「五輪峠」の製造販売、エゴマ栽培などにも参加することにしている。
晴耕雨読ならぬ晴耕雨バスケ。
ことし12月に完成する三条市体育文化会館での試合観戦が待ち遠しい。

2019年05月13日

田中角栄元首相とIT化

 「大都市と地方との格差をなくすためには、全国各地域を結ぶ情報ネットワークを先行的に整備しなければならない」と真っ先に説いたのは田中角栄元首相だ。

 自ら著した『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)で
 「情報ネットワークの整備、利用技術や情報システムの積極的な開発、通信コストの合理化を三本柱にして日本全国を一つの〝情報列島〟に再編成すれば、わざわざ情報を求めて上京する必要はなくなり、地方にいながらにして商売も勉強もできるようになる。情報化時代の主役はコンピューターによる情報処理である。このコンピューターと職場や家庭を結ぶのが通信回線だ。新幹線鉄道の列車がレールの上を走って私たちを運ぶように、私たちが通信回線をつうじてコンピューターを呼びだし、コンピューターのはじきだす情報が通信回線を通じて私たちにとどく。それがデータ通信である」と説いた。


 『日本列島改造論』の発刊はいまから47年も前の昭和47年。
まだ「インターネット」という概念は生まれておらず、その前身であるARPAネットがようやく米国内29台のコンピューターを通信網で結ぶことに成功したころだ。
 日本で初めてこのネットに東北大学のコンピューターが接続できたのは発刊から9年後。
 元首相は「IT化」などという言葉が生まれるはるか以前から、日本を情報列島化しなければならない時代が来ると予見していた。


 天才政治家はこの本のむすびで
 「人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であった。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の二間のアパートだけを故郷とする人々を輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦しむ主婦を取り残す結果となった」と指摘。工業再配置と交通・情報通信の全国ネットワーク整備によって人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる〝地方分散〟」が必要と説いた。
 「東京一極集中の是正」をいまだに実現できずにいる日本。元首相引退後、政治は何をやってきたのだろう。

2019年05月11日

白骨の御文

 「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」は蓮如上人の白骨の御文の一節だ。
 浄土真宗の葬儀などでよく読まれる。
 「未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎやすし。いまに至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人、本の雫・末の露よりも繁しといえり」。
 一万年生きた人がいたと聞いたことはない。一生はすぐに過ぎ去ってしまう。いままで百年、変わらずにいた人もいない。自分が先か、人が先か、今日か明日か、人の命は草木の根元の雫や葉先の露のように、遅速の違いはあっても、いずれは落ちてなくなるものだ。だからどんな人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏にすべてをまかせ、念仏せよと説く文章だ。

 世話になった人が突然、脳梗塞で亡くなった。
 多くの助言と支援を頂いた。恩返しができないうちに旅立ってしまった。
 ソフトボールやゴルフ、釣りが大好きで、年中、真っ黒に日焼けしていた。元気の塊のようなパワフルな人だっただけに、亡くなるとは思ってもいなかった。二度と会えなくなるなら、もっといろいろな話をしておけばよかった。
 通夜式で導師が白骨の御文を読んだ。
 だれもが「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身」であることを実感した。

 8日午前10時すぎ、滋賀県大津市の県道交差点で乗用車と軽自動車が衝突、軽自動車が歩道で信号待ちをしていた保育園児の列に突っ込んだ。
 この事故で2歳児2人が死亡、幼児や保育士14人がけがをした。
 連休明けだけに2歳児であればまだ朝、保育士に預けられるときに親と離れることを嫌がって泣いていたかもしれない。あるいは元気に保育士とあいさつし、親とは機嫌よく手を振って「バイバイ!」と別れたのかもしれない。
 いずれにしても親はまさかそれが最後の別れになるなどとは露ほども思っていなかっただろう。1歳、2歳のときと同じように、この先も毎年、自分たちが生きている限り、わが子の誕生日を祝えるものと思っていただろう。
 「人間のはかなきことは老少不定」。
 切ない世の中だ。

2019年04月27日

平成 好きだ 愛している

 「愛している」という言葉を口にすることを恥ずかしがる高齢の男性がいる。
 異性に対して使うことを恥ずかしがるだけではない。「○○を愛する会」といった名称についても「愛するとかいうのは、しょうしい(恥ずかしい)てば」という。
 主人公が「君を愛してるんだ!」と叫ぶトレンディドラマを観て育った世代には分からない感覚だ。
 90年代にヒットしたスピッツの『チェリー』には
 「『愛してる』の響きだけで強くなれる気がしたよ」という歌詞まである。

 「愛する」に抵抗がある人でも「好き」は気軽に使っている。「山菜が好きだ」「好きな酒はやめられない」など。方言も「愛している」より「好き」バージョンの方が多いのではないだろうか。
 広島弁は「愛しちょる」より「好きじゃけ」の方が格好いい。焼きジャケのようで美味しそうでもある。
 博多弁では「すいとう」。水筒ではなく「好いとう」。女性の場合は「好いとっと」とニワトリのようになって可愛い。
 大阪弁は「好っきゃねん」。ニッカネン、ハッキネンと並べるとフィンランド人三兄弟のようになる。
 鹿児島弁は「惚れもした」。「セ、ボン、ホレモシタ」と言うとフランス語のように聞こえる。
 土佐弁は「すき焼き」ではなくて「好きやき」。
 秋田弁は「好ぎだ」と濁る。スギ花粉で鼻が詰まったかのようだ。
 新潟弁の「好きらて」も、他地域の人には「カフェラテの仲間?」と首を傾げられるのかもしれない。

 間もなく平成が終わり、来月から令和になる。昭和がますます遠くなる。遠くなると昭和元年生まれから昭和63年生まれまでを全部まとめて「昭和世代」とされかねない。
 63年間も続いたのだから昭和世代の幅は広い。
 大東亜戦争や太平洋戦争開戦前に生まれた世代もいれば戦中生まれ、戦後生まれもいる。戦後生まれも高度成長期の前と後では育った環境がまるで違う。
 昭和には「愛している」に照れる世代から「愛し合っているかい?」「イエー!」などと叫んできた世代までいるのだ。令和の若者には同じようにしか見えないのかもしれないが。

2019年04月23日

取材される側になって

 取材する側から取材される側に回って分かったことがある。
 まず、こちらの意図すること、主張がなかなか思い通りに取材者に伝わらないということだ。
 取材に対して「原発再稼働はこの選挙の争点とはなっていない。賛成と反対の両方の主張があって初めて争点となる。反対派だけで賛成派がいなければ対立軸にはならない。そもそも知事が知事選で、県独自の検証作業が終わった後に再稼働について県民に信を問うと約束している。再稼動の是非について県民が判断を示すのはそのときだ」と答えたときのことだ。
 報じられたのは「原発は争点ではない」のひと言だけ。
 原発反対を主張している候補と並べられると、まるで再稼働に賛成しているように思われる。
 問い合わせが相次ぎ、「再稼働には反対だが、この選挙の争点にはなっていないと言った」という説明を繰り返すことになった。簡潔、かつ明快に主張しないと誤解を招くと痛感した。

 取材する側の横柄さも感じた。
 全国紙の記者から「学歴証明書類を提出してください」と求められた。
 告示まで、あと3週間という忙しい時期だ。大手のエリート記者にとって、大学は卒業するのが当然なのだろうが、こちらは中退。卒業証書などない。
 証明するには大学に連絡して在学証明書を送ってもらわなければならない。この忙しい時期にそれをやれというのか。
 「はい。皆さんにお願いしていることですので」。そんなことをやっているひまはない。
 「でも報道の正確性を保つために、一律にお願いしています。ご協力いただかないと、困ります」。
 報道の正確性を保つ責任は取材する側にあるのであって、取材される側にはない。こちらは学歴を正直に記している。詐称があれば法律違反になるのだ。
 まして一流大学ならともかく、難関でもなんでもない大学に合格しました、とウソをついても何の得にもならないではないか。それでもこちらの学歴が疑わしいと思うのであれば、自分で事実かどうか取材すればいい。
 自分がやるべき仕事を取材対象に押し付けて平然としている。
 そういうエリートにどこまで付き合うべきか、考えているうちに連絡するのを忘れてしまった。

2019年04月08日

感謝

多くの皆様のご指導、ご支援のお陰で県議選に当選することができました。
感謝の気持ちで一杯です。
同時に、責任の重さを痛感しています。


県議選は市議選と違い、私と直接、話したことがない、会ったこともない方からも
ご支持いただかなければ当選できません。

話したことも、会ったこともない方の多くは、
私を支援して下さっている方の
「杉井はちゃんとやるはずだから」という言葉を信用して支持していただいたのでしょう。
「この人が大丈夫というんだから、大丈夫なのだろう」と思って投票してくださったのだと思います。

私は私を支援して下さっている方の信用をお借りして当選させていただきました。
私が怠けたり、選挙戦で訴えたこととは違う行動をとったりしたら、
私と、私を支援して下さった方の信頼関係だけでなく、
私を推薦して下さった方々の信用まで傷づけてしまうことになります。

それだけは絶対に避けなければなりません。
私を推薦してくださった方々の信用に傷をつけないためにも、
全力で頑張っていきたいと思っています。

引き続いてご指導、ご支援賜りますよう
心よりお願い申し上げます。