2017年09月02日

「書店ゼロ自治体」とならないために

 学校、警察、消防、医療機関、金融機関、食料品店など地域になくてはならない事業所は多いが、個人的には書店も欠かせない。「スターバックスがない田舎には住みたくない」という若者もいるそうだ。スタバがなくても困らないが、書店がない地域はつまらない。

 先日、朝日新聞が1面トップに「書店ゼロ自治体二割超」という記事を載せた。書店がない自治体・行政区が420もあるという。この4年間で1割増えており、全国の自治体・行政区の2割強を占めるまでになった。背景には書店数自体の大幅な減少がある。平成12年には全国に2万1654の書店があった。いまは1万2526店。17年で9128店、42%も減った原因は人口減や活字離れ、インターネットやコンビニ販売の増などで、地域の文化拠点の衰退が危惧されているという。

 元伊藤忠商事社長で駐中国大使も務めた丹羽宇一郎氏は近著『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)で「買い物は実際に現物を見て購入するのと、ネットで口コミなどの情報を見ながら買うのとでは、やはり違います。わざわざ足を運び、視覚や手触りなどを総動員して買うのと、不確かさを残しながらネットで買うのとでは、ものに対する思い入れも変わってくるはずです」「書店の面白いところは、いろいろな人(著者)と出会える点です」「書店ほど、ものすごい数の人に出会える場所はありません」「思いもよらない出会いもたくさんあります。時間に余裕があるときは、ふだんあまり見ることのないジャンルの棚なども眺めてみる。すると、『こんなすごいことがこの業界で起こっているのか』といった発見をしたりもします」「偶然の出会いは、ネットでは体験できない書店ならではの楽しさだと思います」「思いもよらない形で好奇心の幅が広がる喜び、それを堪能させてくれるのが書店のよさなのです」と説いている。

 ネットにも良さはある。24時間、好きなときに注文できる、在庫が豊富、注文履歴から好みの本を紹介してくれるといった点だ。だが、丹羽氏が指摘するように思い入れが違うためか、買っても読まずに積んだままの本もある。県央の書店も以前よりは減った。「書店ゼロ自治体」とならないために、本や雑誌はネットではなく、地元の書店で買うようにしなければならない。

2017年08月10日

酒と品格

 冷たいビールがうまい暑さが続いている。
 ビールの本場、ドイツのミュンヘンでは「オクトーバーフェスト」というビール祭りが毎年開かれているという。200年以上続いている伝統行事で、毎年、世界各国から600万人を超えるビール好きが集まり、盛大にビールを飲み、ソーセージや鶏の丸焼きなどを食べているそうだ。
 それを手本に新潟県酒造組合が新潟市で始めたのが「にいがた酒の陣」。13年目のことしもおよそ80の県内酒蔵が500種の地酒を提供、2日間で県内外から13万人が来場し、日本酒とそれに合う料理を味わった。

 長野県松本市の教育委員会が、こうした酒がらみのイベントを「品格がない」と判断したと報じられている。同市教委はことしから松本城公園の利用規制を強化。飲酒や酒類販売を伴う催事は「史跡松本城の品格にふさわしくない」とし、自粛を求めることにしたという。
 このため9月に松本城公園で開く予定だった「クラフトビールフェスティバル・イン松本」は中止に追い込まれた。3年前から毎年開いてきた料理と県内外の地ビールを販売するイベントで、地元の飲食店主たちが実行委員会を組織。これまで平均して2万人近い来場があった。主催者側は「飲酒後の本丸庭園や天守閣への入場は禁止」といったルールも定めていたため、酒がらみのトラブルはなかったという。

 中止決定後、松本駅前の居酒屋は店頭に「品格のある方の入店をお断りします。当店では品格のない商品を取り扱っております」と書いた紙を張り出した。市教育委員や市教委職員が来たら入店を断るつもりなのだろうか。あるいは店内に入れても酒や焼き鳥など品格のない商品は庶民にしか提供せず、教育委員には抹茶と和菓子しか出さずに帰ってもらうつもりだろうか。

 酒のイベントに品格がないわけではないだろう。おとなになっても自分の適量をわきまえず、飲み過ぎて暴れたり、泥酔して前後不覚になる人の品格に問題があるのだ。松本市だって三々九度の盃にサイダーをつぐわけではないだろう。報じられている通りだとしたら、つまらない規制をしたものだ。三条市はこういう点に関しては心配ない。こんな話が出れば酒好きの市長、副市長、教育長が真っ先に反対する。

2017年08月02日

県央にも療育センターを!

 発達障害の子どもが激増している。
 文科省によると全国の公立小中学校などで通級による指導を受けている児童生徒は昨年5月で9万8311人に達した。この3年間で17%増え、23年前の8倍になったという。
 発達障害にはコミュニケーションや対人関係をつくることが苦手な自閉症やアスペルガー症候群、集中することが苦手でじっとしていられない注意欠陥多動性障害(ADHD)、「読む」「書く」「計算する」ことが苦手な学習障害(LD)などがある。
 原因はよく分かっていないが、近年の研究では親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の障害とされている。早めに発見し、適切な治療や支援を受ければ問題行動はなくなることも分かっている。


 三条市でも全児童の9%前後に発達障害の傾向が見られるという。
 どのクラスにも2、3人は発達障害と思われる児童がいることになる。
 教師も研修を重ねて知識や意識が高まっているため、以前より発見が早くなっていることもあるが、多くの教師が増加を実感している。保育所や学校だけでは対応しきれず、医師や保健師、言語聴覚士、作業療法士などの支援も必要になっている。

 専門スタッフの治療を受けるには新潟市のはまぐみ小児療育センターなどに通わなければならない。
 県央には県立吉田病院に「子どもの心診療科」がある。専門医の診察を受けることはできるが、療育センターのように言語や作業療法士など医師以外のスタッフまでそろっているわけではない。
 「吉田病院医療提供体制等の検討会議」報告書は、同病院の早期改築が望ましいとする一方、子どもの心の診療や小児慢性疾患診療については「現行機能の維持に努める」にとどめている。発達障害の子がこれだけ増えているのに、改築後の機能強化は見送るということだ。


 燕、弥彦両市村は「早期改築」の報告を踏まえて燕市役所周辺への移転改築などを求める要望書を知事に提出した。小児科関係では「重症心身障害児の家族に対するレスパイトケア(介護を行う家族への休息支援)を実施し、県央地域の中核的機能を担うこと」を要望した。
 小児科については「現行機能の維持」だけでなく、療育センターなどを併設し、急増する発達障害の子どもたちのケアに努めてもらえないものだろうか。療育機能を強化することも「特色ある医療の提供」につながるのではないだろうか。

2017年07月27日

若山裕新副市長

 三条市の副市長に若山裕氏(61)が就任した。
 玉川大学を卒業後、三条市職員となり、秘書室長、教育総務課長、政策推進課長、総務部長を歴任した。若手のころは法務や税務畑を歩み、中堅となって以降は行政改革大綱や経営戦略プログラム、総合計画などの策定と遂行に努めた。若山氏は三条市助役から通算して18代目、合併後の新市では3代目の副市長となる。

 歴代の助役、副市長の顔ぶれを見ていると、当時の三条市政の課題も浮かんでくる。
 昭和50年代から平成にかけての滝沢賢太郎、内山裕一両市政で助役を務めたのが鈴木春義、高坂純両氏。2人とも技術吏員出身で、水道局長や建設課長などを経て事務方トップに就いた。このころの市政の課題は新保裏館線や弥彦線高架、公共下水道、広域上水道、須頃郷土地区画整理などの都市基盤整備事業だった。これらの建設事業を進めるため、当時の市長は事務職ではなく、技術職出身の助役を求めた。

 高坂助役が内山市長の対抗馬として三条市長選に担ぎ出された後、内山市長は後任に高坂氏とは正反対のタイプで福祉畑出身の古寺秀夫氏を選んだ。
 次の長谷川長二郎市長は財政畑出身の須佐郷士氏を助役に選んだが、1年半後に須佐氏が体調不良で辞職すると、後任に事務職ながら建設行政にも詳しい佐藤和夫氏を選んだ。佐藤氏は企業経営者から政治経験がないまま就任した高橋一夫市長、東京出身で総務省のキャリア官僚だった国定勇人市長からも信頼され、歴代最長の約12年にわたり助役、副市長を務めた。

 時代や市長によって副市長に求められる役割は変わる。鈴木、高坂両氏は建設事業を推進し、古寺、須佐両氏は役所の内部固めに務めた。佐藤氏は国県とのパイプ強化や議会との調整などに力を発揮した。
 国定市政の場合、元総務官僚とあって行政に関する知識も、国とのパイプも十二分にある。副市長に求められるのはそれ以外のこと。吉田実前副市長は災害対応や用地交渉などで手腕を発揮した。
 若山新副市長には、まずは市長が何を目指し、何を求めているのかを職員たちに分かりやすく伝えて理解させること、各部署がどの程度まで要望に応えられるのかを市長に正確に伝えることなどが求められることになりそうだ。

2017年07月20日

これが人口減社会

 人口が減っていく社会とは、こういうものなのかと実感させられる記事が17日付け朝日新聞に出ていた。
 橋やトンネルを管理している国や自治体は5年に1度、安全点検を行っている。5年前に山梨県の中央自動車道笹子トンネルで起きた天井板落下事故を機に義務付けられた。
 点検の結果、放置しておくと危険な橋やトンネルが全国に340か所あると分かった。そのうち73か所、21%は補修や架け替えはせず、撤去したか、撤去予定という。人口が減り、自治体の財政も厳しくなっているなか、補修費を投じてまで維持していくのが困難なためだ。
 地元の住民は橋がなくなれば不便だ。存続を求めた地域もあるが、管理する側は事情を説明し、理解を求めているという。人口が増えているころは「どこから先に道路や橋を整備するか」を話し合った。人口が減るようになって「どこを残し、どこから廃止するか」を考えなければならなくなってきた。

 三条市の場合、安全点検で廃止する橋やトンネルはない。廃止するのは大谷ダム完成後、使われなくなったままの市道大谷塩野渕線ぐらいだ。とはいえ三条市にはすでに1115㌔の市道と675本の市道橋がある。
 東京都まで2往復するよりも市道延長の方が長い。人口10万人で除すと、市民1人当たり11・2㍍の市道を受け持っていることになる。人口が8万人に減れば受け持つ延長は14㍍、5万人に減れば22㍍に伸びる。
 市道延長が変わらない前提での計算だが、実際には宅地開発などによって市道延長は毎年伸びている。必要度の低い市道などを廃止していかないと、市民1人当たりの負担はどんどん重くなる。


 三条市には公民館や学校など、いわゆる箱物と呼ばれる公共施設も188施設ある。人口が減りつつあるなか、現状のままこれらを維持し続けるのは難しい。総合体育館と体育文化センターの集約化事業は始めたが、地区公民館や地域コミュニティ施設などの集約化、譲渡、廃止はなかなか進まない。三条市に限らず、首都圏を除く全国が同じ問題に直面している。


 このまま人口が減っていくことを前提にした施策を展開するのか。外国人受け入れに踏み切るのか。国レベルでの決断が求められている。

2017年07月09日

見事な宣誓

 選手宣誓は紀元前9世紀から開かれていた古代オリンピックでも行われていたというから歴史は古い。
 近代五輪では大正9年のベルギー・アントワープ大会から行われているそうだ。当初、選手たちは「騎士道精神に則り、祖国の名誉と競技の栄光のため」に戦うことを誓った。最近は「五輪憲章に則り、スポーツの栄光とチームの名誉のために、決してドーピングはしない」ことを誓っている。
 選手宣誓は五輪から小学校の運動会まで、多くのスポーツ大会開会式で行われている。「スポーツマンシップに則って正々堂々と戦うこと」を誓うシンプルな宣誓もあれば、「試合後にビールが美味しく飲めるよう頑張る」ことを誓う中高年用まである。

 7日にハードオフエコスタジアム新潟で行われた第99回全国高校野球選手権新潟大会開会式では、新潟県央工業の鈴木雄真主将(3年)が堂々とした選手宣誓を披露した。
 「ここに立つまでに普段の練習を指導してくださった監督や先生方、支えてくれた家族、辛いときも励まし合った仲間に感謝しています。小さいころから憧れであった高校野球。今度は自分たちがプレーすることによって、子どもたちから憧れをもたれ、たくさんの人から応援されるよう真剣に全力でプレーすることを誓います」。
 大きな声で、落ち着いて一語一語を全県の高校野球ファンに届けるかのような宣誓だった。鈴木主将は下田中学校出身。県央工業の先輩たちが甲子園に初出場した9年前は小学3年生だった。

 昨年の新潟大会の開会式では長岡高専3年だった当時の井上駿主将が選手宣誓を行った。
 「私は野球と毎日の学校生活で培った気配り、思いやり、我慢強さをいかし、社会に貢献できる人になりたいと思います。そのためにも、この大会では自分に勝ち、ライバルに勝ち、そして相手に勝つことを目指し、最後まであきらめない姿勢を続けます」という内容だった。
 井上主将は本成寺中学校の出身だ。新潟大会は2年連続で三条出身の選手が宣誓を行った。二人とも音が反射するために非常に話しにくい球場内で、すべての視線とカメラレンズを全身に浴びながら、緊張してとちることもなく、しっかりとやり遂げた。三条市民の一人として二人のことを誇らしく思う。

2017年06月30日

火の用心

 火事は怖い。
 27日午後7時前、三条市本町二、曹洞宗福昌寺の本堂から出火、本堂と庫裏を全焼し、付近の寺や住宅など8棟の外壁などを焼いた。
 同寺の家人から三条市消防本部に通報が入ったのが午後6時44分。消防車が現場に到着したのは5分後の6時49分。この時点ですでに本堂から炎が立ち上っており、庫裏の炎上も防ぎようがなかった。
 本堂の屋根が焼け落ちた際には巨大な火柱が上がり、周辺の家屋や道路に火の粉が飛び散った。火の粉は火元から約350㍍離れた、五十嵐川付近の空き家の屋根を焦がし、通報を受けて急行した消防車が放水、消し止めた。五十嵐川を越えて嵐南側まで飛んだ火の粉もあったという。

 三条の旧市域では5年前の平成26年5月7日深夜に横町一地内で住宅や店舗など10棟を全半焼、6棟を焦がす大火があった。
 9年前の20年10月27日早朝には、本町一地内でスナックなどが入った雑居ビルなど6棟を全半焼、3棟を焦がす火災があった。
 住宅密集地や繁華街の火災は被害が大きくなりやすい。今回は本堂が墓地に囲まれていたこと、東西南北の各方向から放水できたことなどで延焼被害を最小限に抑えることができ、人的被害もなかったが、同寺にあった石川雲蝶作の欄間などを焼失した。

 退社時間帯の繁華街の火事とあって、一時期、周辺は騒然とし、渋滞も発生した。
 現場近くのスナック経営者は「友だちから『あんたの店、やばいよ』と電話が来て、あわてて店に向かったらものすごい火と煙が見えた。店から大事なものを持ち出して、少し離れた友だちの店に置かせてもらったあと、ずっと消火活動を見ていた。9時すぎにようやく鎮火したみたいだったけど、なんだか疲れて、店を開ける気力がなくなったので店は休んだ」と話していた。
 店から持ち出した大事なものは何だったのだろう。「ブタの貯金箱と営業許可証。貯金箱には小銭しか入っていないし、営業許可証は燃えても保健所でまたもらえるそうだけど、それしか思いつかなかったんだよね」。炎と煙を見ると、冷静ではいられないものだ。