2019年10月10日

スギヒラタケとカリギュラ

 「カリギュラ効果」というものがある。
 禁止されると、かえってやってみたい気持ちが強くなる心理現象のことだ。
 かつて『カリギュラ』という残酷シーンと過激な性描写だけが売り物の映画が米国内の一部地域で上映禁止となった。ただの低俗映画だったが、禁止となったことで話題になり、映画を見たがる人が増えてヒットしたことから、この言葉が生まれた。
 昔話の『鶴の恩返し』には「けっして部屋の中をのぞいてはいけません」、
 『浦島太郎』には「けっして玉手箱を開けてはなりません」という台詞がある。
 どちらも禁じられたために、どうしても中を見たくなってしまう。
 「ここだけの話だからね。だれにも言わないでね」と頼んだ方が、頼まないときより話が広まってしまうのもカリギュラ効果だ。


 「食べてはいけない」と言われると、かえって食べたくなるものがある。
 新潟ではカタヒラやスギゴケとも呼ばれるきのこ、スギヒラタケもそのひとつだ。
 以前はみそ汁や炒めものなどにして食べていた。
 平成16年に新潟や秋田、山形などでスギヒラタケを食べた約60人が急性脳症となり、うち19人が死亡した。
 発症者の多くは腎臓を患っていた。
 その後も毎年のようにスギヒラタケを食べて急性脳症となる人が続いた。
 腎臓病患者だけでなく、健康な人も脳症を発症している。
 厚労省や農水省はスギヒラタケを食べないよう呼び掛けている。
 「そう言われると、かえって食べたくなる」と思うのがカリギュラ効果だが、スギヒラタケ中毒に有効な治療法はまだ確立されていない。


 植物と動物の間には長い攻防の歴史がある。
 植物は動物に食べられまいとしてサボテンやバラのようにトゲをつけたものもあれば、スイセンやトリカブトのように毒を身につけたものもある。
 菌類にも同じように生き残るための戦略があるはずで、スギヒラタケも人間やサルなどから身を守るために中毒症状を起こす成分を身につけたのかもしれない。
 ことしのきのこ採りはいつもの遭難の危険だけではない。
 エサ不足のため人里に出没するクマと出会う危険もある。
 そのうえスギヒラタケには急性脳症発症の危険がある。
 さすがのカリギュラ効果も色あせる。

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2019年10月05日

地方の味方? 地方の敵?

 地方の味方と信じていた官庁が実は敵だった。
 総務省は地方自治の守護神のような顔をしながら、他の省庁以上に「上から目線」で地方を見下し、意に沿わない市町村を容赦なくバッシングする役所だった。
 ふるさと納税をめぐる大阪府泉佐野市への対応はあまりにひどい。
 ふるさと納税は寄付金と税控除をセットにした制度だ。
 どこかの自治体の収入が増えれば、どこかが減る。
 自治体が寄付金を奪い合う制度を作っておきながら、競争が過熱すると同省は「やりすぎるな」と抑えにかかった。
 その助言に従わない市町村が多かったため新たに法律を作り、同省が指定した自治体だけが対象になる制度に変えた。


 新法施行前の助言に従わなかった泉佐野市などは、新しい制度から除外した。
 「お上に逆らうと、こういうことになる」という見せしめだ。
 泉佐野市は国地方係争処理委員会に不服を申し出た。
 同委員会は国の地方への関与が違法と認められる場合に国に勧告する第三者機関だ。
 審査の結果、同省に対し、必要な措置を行うよう勧告した。
 同省はそれに従わず、泉佐野市を除外し続けることにした。
 「法律の範囲内で工夫して寄付金を増大させる努力をするのは当然ではないか」と主張する泉佐野市に対し、同省は「違法でなくてもやってはいけないことはおのずとある。泉佐野市はその一線を超えた」という。
 どこに線を引くのかを決めるのは法律ではなく、俺たちだと言わんばかりの態度だ。


 同省の事務次官から日本郵政に天下った鈴木康雄副社長の態度もひどい。
 かんぽ生命保険の不正販売を報じたNHKを「まるで暴力団と一緒。殴っておいて、これ以上殴ってほしくないならやめたるわ、俺の言うことをきけって。バカじゃねえの」と批判した。
 NHKを批判するのは自由だが、この人は一般視聴者とは違う。
 旧郵政省時代からNHKの予算や関係法令に絶大な影響力を発揮し続けてきた人だ。
 自分自身も現住所は日本郵政、本籍地は総務省(旧郵政省)という感覚を持ち続けているのだろう。
 「バカじゃねえの」という発言からは、不正販売の被害者たちに対して申し訳なかったという気持ちは感じられない。
 元総務事務次官として表現の自由を尊重しなければならないといった自制心もない。
 あるのは「総務省はお前たちを指導する側、地方自治体やNHKは指導される側。その関係を忘れるな」という尊大な姿勢だけだ。

 地方分権の所管官庁が地方分権を軽視しているのだから、分権など進むわけがない。

2019年10月04日

幻の県立つばめ武道館

 県立武道館が完成、12月に開館する。
 上越、燕、新潟、南魚沼、加茂の5市が誘致合戦を繰り広げた結果、上越が勝ち取った施設だ。
 建設場所は上越総合運動公園内。規模は鉄骨鉄筋コンクリート造り2階建て延べ床約13000㎡で、約90億円を投じての完成となる。
 愛称は上杉謙信の地元とあって「謙信公武道館」。
 柔道でも、剣道でも8面を確保できる大道場には固定席1020席と車いす54席の観客席が備え付けてある。
 1階には、ほかに12人立の近的弓道場、6人立ち遠的弓道場もある。
 2階には柔道3面の畳敷き小道場、剣道2面の板張り小道場、相撲場、トレーニングルーム、医務室、研修室、更衣室などがある。
 300台分の駐車スペースも確保。新潟初の県立武道場は、北信越最大の武道場となる。


 「これが燕市にできていたらなぁ」と残念がる県央の関係者は多い。
 燕市は平成23年から誘致活動に取り組んできた。21年のトキめき新潟国体では燕市が空手の会場となり、地元選手が大活躍した。燕中学校女子剣道部も3度目の全国制覇を達成するなど「武道の燕」をアピール。燕三条駅や三条燕インターもあって全国大会なども開きやすい立地であること、建設用地候補として燕工業高校跡地が確保されていることなども強調。23年には2万人余の署名簿を持って燕市関係者が、24年には3万人余の署名簿を持って燕、三条、弥彦の3市村関係者が泉田裕彦知事に陳情するなどして、誘致に努めた。


 県は検討会議を設置して建設予定地を検討。日常利用、大会誘致、交通アクセス、整備費、維持管理費などを検討した結果、25年12月に上越市に建設することを決めた。
 「武道の選手育成に力を入れており、隣県との交通アクセスも良い」といった理由だった。


 当時の上越市の人口は20万人。燕市は8万人。三条市と合併して同規模の18万人になっていたら結果は違っていたかもしれない。せめて加茂市が単独で手を挙げず、県央の5市町村が一体となって誘致に取り組んでいれば、とも思う。県央は武道館誘致合戦で負けた分を取り返さなければならない。リベンジマッチ。まずは県央基幹病院だ。

2019年09月30日

最優先課題は救命救急

 厚労省が「再編統合について特に議論が必要」な公的病院を公表した。
 公的病院とは、県立などの公立病院と、済生会や厚生連など公的団体が運営母体の病院のことだ。
 新潟県内には41の公的病院があるが、厚労省はその半数以上の22病院について「議論が必要」という。

 県央では県立の吉田病院と加茂病院、厚生連三条総合病院が対象となった。
 3病院ともにがん、心血管疾患、脳卒中、救急医療、小児医療、周産期医療、災害医療、へき地医療、研修・派遣機能のいずれも「診療実績が特に少ない」に分類された。
 厚労省は対象病院に対して病床数や診療体制などを検証し、来年9月までに再編統合について結論を出すよう求めている。


 厚生連三条総合病院と燕労災病院はすでに再編統合し、救命救急センターを併設した県央基幹病院を整備することになっている。
 その県央基幹病院について、花角英世知事は県の財政が危機的状況になったことを機に「医療需要の減少や国の医療制度改革の影響など、基本計画策定時からの状況変化を踏まえた検証が必要」と指摘、地域医療調整会議で議論し、年内に結論を出すことにしている。
 同時に「地域の基幹的な病院と他の医療機関の連携を深め、相互補完の中で地域の医療ニーズに地域内で応えられる体制づくりに取り組む」とも述べている。
 地域とは県内に7つある二次医療圏のことだ。県央医療圏も圏内のニーズに応えられる医療体制が必要という意味だ。


 知事が地域医療調整会議に求めている議論は「県央医療圏に必要な医療機能や、民間病院との役割分担を踏まえた県央基幹病院、加茂及び吉田病院の機能と規模等について」だ。
 基幹病院単体ではなく、加茂、吉田両県立病院も含めた機能や規模を検討することだ。
 その議論を始めたところで厚労省が加茂、吉田病院の再編や統合を検討するよう求めたわけだ。
 県央は、二次医療圏内で対応できていない救命救急ニーズなどを強化するため基幹病院に公的病院を集約すべきなのか、再編統合を拒否して、いままで通り救急患者は搬送に時間がかかっても新潟市や長岡市の病院に頼んでなんとか受け入れてもらうべきなのか。
 「県央にも救命救急センターを」。何十年も前から求め続けられてきた地域住民の切なる願いを実現することこそが最優先課題だ。

2019年09月25日

ふるさとNO税

 久しぶりにスカッとする判断を国の第三者機関が示してくれた。
 ふるさと納税制度をめぐり、総務省の言いなりにならない市町村に対する同省の傲慢な態度を、国の第三者機関「国地方係争処理委員会」が不当と認めたのだ。
 ふるさと納税は、自分が住んでいる地域以外の都道府県や市町村に寄付をすると、それに見合った金額が住民税や所得税から控除される制度。納税先を自分で選ぶことができる仕組みということもできる。
 生まれ故郷や被災地などを応援するための制度だが、民間企業のように競争によって市場が拡大するわけではない。
 住民税や所得税の奪い合いは、どこかが増えればどこかが減るゼロサムゲーム。
 分捕り合戦は過熱し、A市は寄付額の5割、B町は7割、C市は9割相当の返礼品を用意するようになった。


 総務省は税の受益者負担の原則を蔑ろにし、競争をあおるような制度を作っておきながら、自治体に「返礼品は寄付額の3割以下の地場産品」とするよう求めた。
 この通知は法的な強制力のない「助言」で、自治体には従う義務がない。
 無視した自治体も多かったため、国は地方税法を改正。ことし6月から総務省が対象自治体を指定する新制度に改めた。
 その際、法施行前の昨年11月時点で通知に従っていなかった大阪府泉佐野市など4市町を新制度の対象から除外、三条市など43市町村は指定期間を4か月に限り、その後は状況を見て判断することにした。


 「国の言うことを聞かないと痛い目に遭うぞ」という、いわゆる見せしめだ。
 これに反発した泉佐野市が国地方係争処理委員会に審査を求めた。
 同委員会は泉佐野市の主張を認め、総務省の決定を「不当」と認定、総務相に再検討するよう勧告した。


 平成12年の地方分権一括法施行で国と地方はそれまでの上下、主従から対等、協力関係に変わった。
 総務省は地方分権の推進役であるはずなのに、ふるさと納税をめぐって市町村に示した高圧的態度は、まるで分権から中央集権に時代が逆戻りしたかのようだった。

 総務省は「地域エゴだ」などと市町村に責任転嫁するのをやめ、自らの制度設計が甘かったことを素直に認め、制度を見直すべきではないだろうか。

2019年09月19日

文化の丁字路

 「文化の丁字路~西と東が出会う新潟」。
 北前船によってもたらされた上方文化と、佐渡の金銀の運搬のために整備された陸路で伝わった江戸文化が出会った地が新潟だというのが16日に開会した第34回国民文化祭・にいがた2019、第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会のテーマだ。
 西からの文化で代表的なのが佐渡に流された世阿弥の能や柏崎の綾子舞、東は片貝の木遣りなどだ。
 「丁」の字を傾ければ「人」になる。
 東西の文化が交差、融合し、新潟が育んだ「人の文化」をこの文化祭を機に世界や未来に発信していこうというイベントだ。

 人種のるつぼとかサラダボウルと呼ばれている米国の玄関口、ニューヨークには世界中の文化が集まる。
 丁字路というよりロータリー。
 その中心部が一時期、スラム化し、犯罪者の巣窟のようになった。
 ニューヨーク市は地価が下がったこの地域に高層アパートを建てた。
 家賃は格安の年一ドル。
 入居条件は「演劇関係者に限る」。
 その結果、俳優やダンサー、演出家、作曲家から美術や大道具などの裏方関係者たちが続々と集まった。
 演劇関係者たちは夜中まで打ち合わせや練習を続ける。
 そうした人たちを相手にするレストランやバーが開業する。
 荒れ放題だった空き家が稽古場に変わり、周辺のアパートやマンションには他の芸術家や演劇ファンたちも住むようになった。
 こうして廃墟に近かった地域が文化によって生まれ変わり、地価は上昇した。
 市は残っていた市有地を高値で売却し、高層アパート建築などの投資額を回収した。

 ニューヨーク市が図書館を新築した際には、古くなった図書館を大小の劇場と映画館を備えたパブリックシアターに改装し、劇団に貸し出した。
 ここから『コーラスライン』などの有名ミュージカルが誕生、国内外から観客が集まるようになった。
 市は芝居やミュージカルを見るため市内のホテルに泊まる客から宿泊税を徴収。
 図書館改装などに投じた資金を回収した。
 ニューヨークは演劇だった。
 「文化の丁字路」である新潟は、どんな文化をどんな方法で地域づくりに生かしていくべきなのだろう。

2019年09月17日

線香花火

 義理の母の法事に出た。
 読経や焼香を終えると70代の住職が線香花火の話をしてくれた。
 近年、線香花火はコスト面から中国産が主流となっているが、日本で生まれ育った日本的な美意識にあふれているのだという。
 外国の花火は色や勢いは派手でも、最初から最後まで一本調子が多い。線香花火には着火から終わりまでに四つの状態がある。
 点火すると、火薬はこれから先のエネルギーの放出に備えてブルブルと小刻みに震えながら赤く、丸い火の玉を作り、それを徐々に大きくして力を蓄えていく。この状態を「つぼみ」と呼ぶそうだ。
 ある程度の時間をかけて静かに準備を整えると、短めの火花をバチッ、バチッと力強く飛ばし始める。火花が四方八方に飛び始めた状態を「牡丹」という。
 やがて火花は勢いを増し、飛び出す間隔も短くなる。三つ、四つに割れた長めの火花がババババッとあちこちに飛び散る状態が「松葉」。
 大量のエネルギーを使った後は火花も短くなり、飛び散り方もパッ、パッと間隔が開く。この状態が「散り菊」。
 最後は小さくなった火の玉がポトリと落ち、あるいは落ちないまま熱を失い、0.08gの火薬によるショーは幕を閉じる。

 物理学者で随筆家だった寺田寅彦も「線香花火の一本の燃え方には、『序破急』があり『起承転結』があり、詩があり音楽がある」と書いている。
 住職は「なんだか人生のようでしょう。生まれてから子どものころまでは人生の準備期間のような『つぼみ』、青春時代は元気で華やかな『牡丹』、仕事や家庭などで力を発揮する実年世代が『松葉』、そして老年期が『散り菊』。ただ線香花火の火の玉がいつ落ちるのかは分かりません。『つぼみ』で落ちることもあれば、『牡丹』で落ちることもある。風が吹いて落ちることもあれば、隣の人とぶつかった腕が揺れて落ちることもあります。因果は予測できません。諸行無常です」と説いた。
 仏教用語の因果や諸行無常の深い意味までは理解できなかったが、線香花火からいろいろな人生があることは感じた。
 通夜式などでは退屈な法話もあるが、僧侶としっかり向き合って聴く法話はやはりありがたいものだった。