2018年11月08日

さんま さんま

 「さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか」は詩人佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の一節。
 この詩は「あはれ秋風よ、情あらば伝えてよ、男ありて、今日の夕餉(ゆうげ)にひとり、さんまを食ひて思いにふけると」で始まる。
 男の心に浮かぶのは「あはれ、人に捨てられんとする人妻と、妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、愛うすき父を持ちし女の児は小さき箸をあやつりなやみつつ、父ならぬ男にさんまの腸をくれぬと言ふにあらずや」という情景だ。
 「人妻」は文豪谷崎潤一郎の妻千代、
 「女の児」は谷崎と千代の子の鮎子のことで、
 「男」は佐藤自身だ。

 女好きの谷崎は千代の妹で小説『痴人の愛』のモデルにもなったせい子に手を出し、夢中になっていた。
 離婚したばかりの佐藤は千代に同情しているうちに友人の妻を好きになってしまった。
 昔の人は道ならぬ恋をして詩をつくり、文化勲章をもらった。
 現代人は道ならぬ恋をして週刊文春のネタになっている。


 なぜ『秋刀魚の歌』なのだろう。
 『鯵(あじ)の歌』や『鯖(さば)の歌』『鰯(いわし)の歌』ではダメだったのだろうか。
 「さんま、さんま、そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて」を「あじ、あじ、そが上に」とした場合、塩焼きを急いで食べ過ぎて舌を火傷してしまったように誤解されるかもしれない。
 「さば、さば」ではさばさばし過ぎて人妻への恋心が伝わらない。「『鯖の歌』を読む」を略して「さばを読む」となったら、文字数や年齢をごまかしているみたいだ。
 「いわし、いわし」では「いわしの頭も信心から」が思い浮かび、禁断の恋などくだらないと思えてくる。

 「さんま、さんま」と続けてあの細長い姿が思い浮かぶから、もの悲しさが伝わるのだろう。
 あじやいわしでは均整が取れ過ぎていて男一人の食卓のわびしさが感じられない。
 細長ければいいというものでもない。
 「うなぎ、うなぎ」ではギトギトした欲情が出過ぎて嫌らしくなる。
 やまり「さんま」なのだ。

 でも、この詩の舞台は大正時代の東京。平成最後の新潟の晩秋にさんまを食べたら、それも新米と一緒に食べたら「うめー!」。
 もの悲しくもわびしくもならず、うれしいだけだった。
 詩人にはなれない。

2018年10月31日

生徒会長、多数派は女性

 個人的な印象だが、小学校の児童会長は「良い子」、中学校の生会長は「できる子」、高校の生徒会長は「真面目な子」というイメージがある。
 小学校の児童会長には先生の評価が高くて成績も性格も良い子が選ばれる。
 中学校の生徒会長は先生よりも生徒の評判が良い子が選ばれる。
 高校は友だちの推薦を断り切れないタイプがなる場合が多い。
 偏見かもしれないけれど。

 中学校や高校の生徒会は生徒の投票によって会長を選出する。
 以前は男子の会長が多かった。女子の会長は珍しかった。
 いま三条市内9つの中学校のうち第一中、第二中、第三中、第四中、本成寺中、栄中の6校で女子生徒が生徒会長を務めている。
 男子の会長は大崎中、大島中、下田中の3校だけだ。
 大崎中も過去4年間は女子が会長で、男子が会長になったのは5年ぶり。大島中では昨年、下田中でも3年前は女子が会長だった。
 生徒会長だけでなく、体育祭の応援団長なども女子という学校は多い。性別を特に意識せず、チームや生徒会をまとめ、リードしていくことができる生徒を会長に選んだ結果が女子だったということらしい。

 性差別撤廃に関して日本は遅れているとの指摘がある。
 政府は平成11年に男女共同参画社会基本法を施行し、社会のあらゆる分野での男女共同参画の実現を目指しているが、先日も東京医科大学が入試で女子と4年以上の浪人生の点数を減額していたことが明らかになるなど、性差別は依然として存在している。
 医学界だけではない。政界、官界、産業界などでも女性の進出は遅れている。

 かつて日本の女性は家にいて家事全般を引き受け、親を含めた家族の面倒を見続けるという生活が当たり前だった。女性は家族に尽くす存在だった。
 核家族化が進み、共働きが増えると、家事を手伝う夫が増えた。
 若い世代は料理、洗濯、掃除いずれも夫婦で分担するのが当然となっている。
 いまの中学生たちが社会に出て、家庭を築くころには性別にこだわらず、外で働きたい方が外に出て、家にいたい方が育児休暇を取得して子育てに専念する世の中になるかもしれない。

 中学校の生徒会を見ていると、主婦も主夫も珍しくない社会がすぐ近くまで来ているように思える。

2018年10月16日

家族の座り方

 食堂の隣のテーブルに4人家族が座っていた。30歳前後の夫婦と4歳ほどの長男、1歳余の次男だ。夫婦が横に並び、子どもたちと向かい合って座っている。
 最初は「夫婦仲が良いから並んで座っているのだろう」と微笑ましく感じたのだが、途中で問題に気付いた。長男はラーメン、隣の幼児用のいすに座った次男はラーメンのスープをかけたご飯をスプーンで食べていた。
 次男はご飯をボロボロとこぼしている。テーブルの上だけでなく、床まで汚している。長男もテーブルにスープをこぼし、麺の切れ端を胸のあたりに付けている。いつものことなのだろう、親は子どもたちが麺やご飯をこぼしても、それを注意することもなく、ふき取ることすらしない。
 満腹に近付いた次男はスプーンを握ったまま、幼児用のいすから降りようともがき始めた。ますますご飯が飛び散った。

 ラーメンを食べている間に靴が脱げた長男は、食べ終わるといすを降りた。
 靴を探して履くまでの間、次男がこぼしたご飯の上に立っていた。靴下がコメ粒だらけになっても平気なのだろう、そのまま靴を履いていた。
 親たちはテーブルや床に飛び散ったご飯やスープをふき取ることもせず、汚したまま伝票を持ってレジに向かった。母親がいくらお洒落に着飾っていても、立ち去ったあとを見ればだらしない「しょったれ」であることが分かる。

 他のテーブルにも両親と子どもが向かい合って座っている家族連れがいた。
 まだ幼い子どもたちを並んで座らせ、対面に夫婦が座るのがいまどきのスタイルなのだろうか。自宅ならともかく、外食の場合は汚し過ぎると店や他の客にまで迷惑がかかる。
 父親と長男、母親と次男など親子が並んで座り、床まで汚さないようサポートしてやるのも親の役目ではないだろうか。
 「子どもの自立をうながすために、親は手を出さないのがわが家の子育て方針」と言うなら、せめて食べ終わった後、食べこぼして散らかっているテーブルや床を掃除したうえで帰るのが最低限のマナーだろう。祖父母が一緒なら、幼い孫の隣に親を座らせるか、祖父母自身が座って世話をするはずだ。
 若い世代には「他人様に迷惑をかけない」は常識ではなくなりつつあるのだろうか。

2018年09月28日

感動のスピーチ

 県央ことしの最優秀スピーチという賞があるとしたら、ぜひ候補にしてほしいスピーチがある。首長や議員の演説でも、社長の訓示でもない。県内初の義務教育学校としてことし4月に開校した三条市立大崎学園(渋谷徹也校長)が、今月1日に行った体育祭でのことだ。
 1年生から9年生まで814人が赤、青、黄の3軍に分かれ、応援合戦を含めて16種目を行った。
 児童生徒が一堂に会すると、7歳の1年生の小ささや可愛らしさ、15歳の9年生のりりしさ、たくましさが際立つ。
 前期児童は玉入れや綱引き、後期生徒は騎馬戦やタイヤ取りなどで力を競い、全校による大玉送りで結束力を示した。

 競技の部は青軍、パネルの部と応援の部は赤軍が優勝。初代の総合優勝は赤軍が勝ち取った。
 午後3時過ぎからの閉会式では表彰のあと、各軍団長があいさつした。
 黄軍の団長はマイクの前に立ったものの無言。涙をぬぐうようなしぐさも見せた。その状態が30秒ほど続くと保護者席などから「頑張れ!」の声援が次々と飛び、拍手も起きた。
 それでも団長は無言。
 1分が過ぎ、2分が過ぎた。
 全校の児童生徒、教職員、応援の保護者はじっと待っている。
 2分半が経ってようやく
 「何も賞を取ることができなくて、本当に申し訳ないけれど…。最初で最後の体育祭を、最高のメンバーとともにできたことが本当に良かったです。ありがとうございました」。
 7、8、9年生は共感の拍手、5、6年生は感動の、3、4年生は尊敬の拍手を送り、1、2年生もそれにならった。

 無言のまま待つ2分はかなり長い。それでも後期の教師たちは余計な助け舟を出したりせず、じっと見守っていてくれることを前期の児童や保護者、また小学校の指導方法に慣れた前期の教師たちにも教えてくれたスピーチだった。
 みんなに賞を与えればだれも傷付かないという間違った平等意識が教育なのではなく、負けた悔しさをかみしめ、それを乗り越えていく力を育てることこそが本当の教育であることも示したスピーチだった。

 大崎学園の体育祭は黄軍団長の名スピーチもあって、思い出深い初の全校規模イベントとなった。

2018年09月20日

遠くのうどんより近くのラーメン

 春、弥彦神社に参拝してお願いしたことがかなったので、遅ればせながらお礼参りに行った。神体山の弥彦山を背にした越後国一宮は美しい。周辺の森も含めた厳かな雰囲気と、清々しい空気が参拝者を俗世とは別の世界に連れて行ってくれる。
 弥彦村民はじめ県央の住民は近くに弥彦神社があるために、旧社格の高い他の有名神社に参拝しても、宗教的雰囲気に圧倒され、感動するということがあまりない。「建物は大きいけど、全体の雰囲気はこんなものか」で終わってしまうことが多い。野鳥の鳴き声なども含めて、弥彦神社の方が神秘的だからだ。

 JR弥彦駅から弥彦神社まで1キロ足らずの散策路も風情があって魅力的だ。
 まず5年前にリニューアルした駅舎が素晴らしい。『千と千尋の神隠し』に出てきそうな建物だ。
 通りには趣きのある食堂や菓子屋もあれば、洒落たガラス工芸品店などもある。小料理店の軒先などあちこちに樹齢数百年の古木が立っているかと思えば、その隣には「大人とび出し注意」という交通安全看板もある。
「子ども」の飛び出しを警告する看板はあちこちにあるが、「大人」の飛び出しに注意しろと呼び掛ける看板は初めて見た。浮かれて飛び出す観光客が多いのだろうか。

 今春、駅前通りにオープンしたおもてなし広場にも寄った。ソフトクリームは、味が濃いのに後味はさっぱりしていて美味しかった。満腹だったので酒粕うま味噌の豚串は食べることができなかった。次は腹を減らして行かなくてはならない。うどんの店もあった。弥彦村と、讃岐うどんのまち香川県琴平町が姉妹都市だからという。「遠くの親せきより近くの他人」というが、弥彦村は「近くの背油ラーメンより遠くのうどん」を選んだようだ。

 道路向かい側には16haに及ぶ弥彦公園もある。春のサクラ、秋のもみじ谷は絶景だ。これらは他の有名観光地に負けない観光資源だが、十分に整備されているとはいえない。電信柱は散策の邪魔になるし、電線は通りの美観を損ねている。観光客目線で言えば東京・浅草寺や長野・善行寺の門前のようにもっとさまざまな店があった方が楽しい。
 燕三条地場産業振興センターが出店するなど県央全体で弥彦の観光開発に協力できないものだろうか。弥彦がよりにぎわえば新幹線駅や高速道インター周辺もにぎわうのだから。

2018年08月20日

新たな吉田病院像を!

 県立吉田病院の基本計画づくりが進んでいる。県は今月22日に第3回整備基本計画策定委員会を開き、もっとも重要な診療機能と規模について検討する。
 財政当局にとって吉田病院は「慢性赤字のお荷物病院」だが、地域にとっては大切な「命と健康を守る砦」だ。昨年3月に検討会議がまとめた報告書は「病院機能・規模のスリム化を図ったうえで、持続可能な病院運営に取り組む必要がある」としている。吉田病院には以前、18の診療科があったが、脳神経外科と神経内科は休止、産婦人科は分娩休止となっている。存続させるにはさらにスリム化しなければならないという。

 報告書は「特色ある医療の提供」も求めている。
 同病院の特色といえば消化器系と人工透析治療、そして心身症、発達障害、不登校などの子どもの心の診療と、アレルギー外来も含めた小児慢性疾患診療だ。報告書はこれら小児科診療について「現行機能の維持」を求めているが、維持するだけで強化はしないのだろうか。

 日本全体がそうであるように、県央でも発達障害の疑いがある幼児や小中学生が増えている。三条市の小学校で教師が「発達障害の疑いがある」と申告した児童は全体の9%に達している。
 適切に対応するためには専門医が診断し、症状に応じて言語聴覚士や作業療法士などが指導していくことが必要だが、新潟市や長岡市の専門医には県内各地から受診希望者が集まっており、初診を申し込んでも3、4か月待たなければならなくなっている。
 吉田病院の小児科医は常勤医2人と、県立病院などを定年退職したエルダー医2人の計4人。
 小児科医を新たに確保するのは難しいが、たとえば吉田病院の小児科医の診察と指導のもと、言語聴覚士や作業療法士、看護師、保健師、保育士などのチームが発達障害児をフォローしていく「療育センター」を地元市町村が協力して併設すれば、吉田病院の存在意義も若い医師たちの注目度も変わってくるのではないだろうか。
 整備基本計画策定委員会には南波瑞夫燕市副市長や小林豊彦弥彦村長も委員として参加している。地元はもちろん、県央全体が待ち望む新しい吉田病院像を提案してくれることを期待したい。

2018年08月01日

終わった人  終わった映画

 「これ、見たい」と思う映画が年に何本かある。 思っているうちに上映が終わってしまっていることが多い。
 『終わった人』もそのひとつ。内館牧子氏が著した原作は読んだ。内館氏は横綱朝青龍の言動を厳しく批判した横綱審議委員として有名だが、本職は脚本家。代表作にNHK朝の連続テレビ小説『ひらり』や大河ドラマ『毛利元就』などがある。脚本出身の作家は小説でも読者を飽きさせない。講談社文庫の『終わった人』はあとがきを含めて532ページと厚いが、一晩で一気に読んでしまった。
 小説は「定年って生前葬だな」で始まる。主人公は昭和24年、岩手県盛岡市生まれ。東京大学法学部を卒業し、メガバンクに入行したエリートだ。40代で本部の部長職まで出世するが、役員を目前にライバルとの競争に敗れて子会社に出向。63歳で定年退職する。
 仕事一筋だったので趣味もなければ友人もいない。子育てを終えて美容師になった妻は、まだ仕事が忙しくて相手になってくれない。スポーツジムやカルチャースクールに通っても、元エリートのプライドが邪魔をして他のジジババとの他愛のない会話に馴染めない。自分は「終わった人」なのだと頭では分かっていても、仕事をすることへの思いを捨てきれずに「成仏」できない、何かで自分の存在意義を確認したいと切望している。そこにスポーツジムで出会った若いIT企業経営者から「顧問になってほしい」との誘いがあり・・・。
 人生の着地点や、そこに軟着陸することについて考えさせられる小説だ。
 映画化したと知って「見たい」と思った。ただ主人公を舘ひろしさんが演じ、「第二の人生と向き合っていく高齢者の実態とリアルな夫婦・家族の在り方を、心地よいユーモアと味わい深い人間ドラマが交差する、心温まるコメディ」として描いたという点にひっかかった。
 うーん、コメディか。原作は軟着陸に失敗してあがく男の心理を丹念に描いている。
 どうして日本の映画はテーマがシリアスになればなるほどコメディタッチにしようとするのだろう。山田洋次監督の影響だろうか。
 いつ行くか迷っているうちに上映期間が終わっていた。DVDで見るしかなくなってしまった。