2019年01月17日

新しい酒は新しい革袋に、新しい時代には新しい図書館を!

 大分県杵築(きつき)市立図書館が「アイデアストア」を宣言した。
 「知恵の販売店」といった意味らしい。インターネットの普及や書籍の電子化が進み、紙媒体が歴史的転換点を迎えているいまだからこそ、納税で成り立つ公立図書館の役割を見直す必要があるという。
 単なる貸し出しサービスに終始するのではなく、市民が必要とする知恵の拠り所になるとの決意を込め、「ご利用の皆さまの知的創造のお手伝いをいたします」「すべての納税者にご満足いただける図書サービスを発信します」「『読みたい本』はもとより『自らを助ける本』をコーディネートします」と宣言している。
 2か月ごとにテーマを変えて「推し本」を紹介し、セミナーを開催する一方、雑誌購入費用を負担するスポンサーを募集したり、地域資料収集について市民に協力を呼び掛けたりしている。

 好評なのが通帳型の読書記録帳という。
 金融機関の預金通帳そっくりの記録帳に貸し出し年月日と書名、著者名、本の販売価格が記録されていくもので、月末にはその月の合計利用冊数と合計販売価格が印字される仕組みとなっている。
 以前、提供していた自分で記入するタイプの記録用紙は人気がなかったことから、自動的に印字される設備を導入した。自分が読んだ本の記録が増えていく楽しみも加わり、「もっと多くの本を読みたくなった」という子どもも増えているという。
 いつ、どんな本を読んだのか記録を残せる帳面は生涯の思い出にもなりそうだ。

 三条市も新しい図書館の建設準備を進めている。
 三条小学校跡地に図書館と理科センター、鍛冶ミュージアムの複合施設を建設する計画で、ことしは基本設計を行い、3年後の開館を目指している。
 浜松市や神戸市、大阪市などの公立図書館では電子書籍を貸し出す電子図書館サービスも始めている。図書館の窓口でIDとパスワードを発行してもらえば、パソコンやタブレット、スマートフォンで好きなときに電子書籍を読めるようにするサービスだ。
 三条市の新しい図書館も新しい時代に対応した施設にしなければならない。

2019年01月10日

ジャイアント馬場郵便局?

後世に強烈な影響を与えた偉大なロックギタリストと言えばジミ・ヘンドリックスだ。
彼が生れ育ち、墓もある米国ワシントン州シアトル市ではこれまで「レントン・ハイランズ郵便局」と呼んでいた局の名前を「ジェームズ・マーシャル・ジミ・ヘンドリックス郵便局」に変えることにした。
ジミ・ヘンドリックスの功績を称えるために地元議員が提案、ワシントン州議会が全会一致で決めた。
日本で言えば横浜市に「美空ひばり郵便局」、茅ケ崎市に「桑田佳祐郵便局」を設けるようなものだ。

郵便局名の変更を議会で決めるのは、米国の郵便局がいまだに公営だからだ。
米国は日本に対し、年次要望書などで郵政の民営化をしつこく求め続けてきた。
日本が米国の要望を受け入れて民営化すると、瞬く間に米国の保険会社が簡保と提携、日本の郵便局網を使って米国の保険を販売することになった。
国民の財産だった日本の郵便局が米国企業の食い物にされているようなものだが、米国は自国の郵便局は公営のままだ。日本と違って貯金や保険事業は行っておらず、郵政事業だけの組織だから民営化する必要がないというのだ。
しかも自宅への信書の配達は郵便局にしか認めないという規制によって郵便局を保護している。
米国政府は日本の市場開放を「アンフェア」などと言っているが、米国こそずるい。

日本の郵便局は地名だけのシンプルな名前ばかりだが、人物名を付けたら面白い。
三条市の下田地域に「諸橋轍次郵便局」があったら難しい漢字を書いた切手をシリーズで販売できる。
 諸橋博士が編さんした大漢和辞典には5万もの親字が収録されているのだからネタに困る心配はない。
嵐北に「岩田正巳郵便局」があれば岩田画伯が描いた日本画、
「渡辺義雄郵便局」があれば渡辺氏が撮影した写真の記念切手を販売できる。
嵐南に「鶴巻三郎郵便局」があれば鶴巻氏の紙塑人形、
「ジャイアント馬場郵便局」があればチャンピオンベルトや16文のリングシューズの記念切手ができる。
郵便局めぐりを楽しむコレクターが増えるのではないだろうか。

2019年01月07日

若者よ、無鉄砲たれ!

 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」のは夏目漱石の『坊ちゃん』だが、若者の無鉄砲は楽しい。
 三条市出身で都内の大学に通う若者と帰省中の実家で会った。
 大学では国際NGO団体「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」の学生支部に所属しているという。ジミー・カーター元米大統領が支援していることで有名な貧困層の生活・教育環境改善に向けて活動している団体だ。
 彼はそこでボランティアに励んでいる。ミャンマーに行き、劣悪な環境で暮らしている人たちのための家を建てる活動にも参加した。参加費は25万円。ボランティアのための金を親に出してもらうわけにもいかず、時給の高い夜間アルバイトで汗水たらして工面したという。

 昨年は同支部の活動で知り合った男子大学生と2人でアメリカ横断に挑戦した。
西海岸から東海岸に向かう40日間の旅で、日本から持って行ったのは往復の航空券とテントと寝袋程度。無一文のままヒッチハイクで約5000㌔を移動する試みだ。
2人とも英会話は片言程度。さっそくサンフランシスコ国際空港の入国審査で「40日間も米国内にいるのにお金を持っていないのはおかしい」と疑われ、4時間にわたって拘束された。
身振りも交えて必死でヒッチハイク旅行であることを説明、ようやく入国できた。

米国でも簡単にヒッチハイクに成功するわけではない。「TO EAST(東へ)」と書いた紙を持って路上で何時間も粘った。
乗せてくれた米国人には親切な人も多かった。
「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」の米国内での知名度は高い。2人が同団体のボランティアであることを知ると、信用して自宅に泊めてくれたり、食事を提供してくれる人もいた。
ラスベガスではハッピ姿で歩道に座り込み、筆で習字紙に漢字を書く書道パフォーマンスを披露、チップをもらって食事代を稼いだ。
無一文で米国横断とは無鉄砲だが、2人はさまざまなトラブルを乗り越えて無事に帰国した。
授業だけでは得られない多くのことを学んだことだろう。
無鉄砲は若者をたくましくする。

2018年12月28日

バスケ王国復活の夢!

 三条市はかつて「バスケット王国」と呼ばれていた。
 県立三条高校バスケットボール部が昭和27年から39年にかけて全国高校総合体育大会(インターハイ)で4回にわたって優勝したころだ。同校では「燦光(さんこう)杯」と名付けたバスケット大会が開かれ、日本リーグに所属する実業団チームの招待試合なども行われた。
近年は公立では新潟商業、私立では帝京長岡、開志国際、新潟産大附属などが県大会の上位を占めており、三条勢は苦戦を強いられている。

 行政関係では長岡市がプロバスケットボールチーム、新潟アルビレックスBBの誘致に成功。同市がホームタウン、アオーレ長岡がホームアリーナとなったことを機に「バスケによるまちづくり」を進めている。JR長岡駅からアオーレ長岡、大手通りのアーケードをプロバスケットのBリーグやアルビBBのロゴで装飾。Bリーグのイベントに合わせて市内飲食店なども割引サービスを行っている。アルビBBの選手たちによる市内小中高校生対象のバスケ教室も開いている。

 プロバスケでは後れを取った三条市だが、「3×3(スリーバイスリー)」であれば巻き返せるかもしれない。「3×3」はハーフコートを使って行う3人制バスケで、東京五輪の正式種目となることが決まっている。
 5人制は1試合が10分4クオーターの40分だが、「3×3」は1試合10分と短い。時間前でも21点先取すれば勝利するノックアウト方式も採用している。
 5人制の成人男子は通常7号球を使うが、「3×3」は重さが同じで大きさはひと回り小さい6号球を使用。よりスピーディーな展開とするためだ。日本では4年前にトップリーグが発足。現在、36チームが6地区に分かれてリーグ戦を行い、各地区代表によるプレイオフも行っている。

 東京都立川市では商工会議所や商店街、観光協会、青年会議所がチームオーナーとなり、地域づくりに「3×3」を活用している。静岡県焼津市、群馬県水上市などもNPO法人やスポーツ振興団体などが観光や地域振興などを目的にチームオーナーとなっている。三条市も「3×3」で伝統復活を目指せないものだろうか。

2018年12月16日

八十里越と田中角栄 西潟為蔵

新潟、福島両県を結ぶ国道289号線の八十里越があと数年で開通する。
 忘れてはならない政治家が2人いる。
田中角栄元首相と西潟為蔵元代議士だ。

 田中元首相は県境の通行不能区間解消を事業化した。
元首相は道路特定財源を作り上げた道路整備の恩人。建設省も元首相の要望は拒めない。
 元首相がいなかったら「磐越自動車道や六十里越もあるのだから」と八十里越の事業化を見送っていたかもしれない。
 元首相がいたから全体事業費700億円を超える大事業に着手した。

 「田中元首相の政治のモデルは西潟為蔵ではないか」と三条市出身の政治学者、弥久保宏駒沢女子大学教授は見ている。
 弥久保教授の講演によると、西潟は幕末の弘化2年、下田郷福岡の地主の長男に生まれた。
 9歳から漢学を学び、23歳で下田郷の百姓一揆を指導。地租改正事業や自由民権運動などを指揮した後、38歳で新潟県議に当選。県議を通算5期、帝国議会が開設されると衆院議員を2期務めた。
 西潟は県議当選後すぐに八十里越の開さくを県に要望したが、県道に昇格していない里道だったため、測量すら拒まれた。
 西潟は私財を投じて測量を実施。議会で「(道路開さくのための)一時の困難は他日莫大の利益となる」と主張し、県の路線大計画に八十里越を押し込んだ。

 明治19年には篠崎五郎県知事とともに上京し、山県有朋内務相に八十里越への国庫補助を直談判した。
 本来、里道は補助対象外だが、戊辰戦争に参加した山県が八十里越のことを知っていたため、補助を承諾。後日、内務官僚が「県道ではない」とクレームを付けると、西潟は「開さく後には県道昇格するのだから」で押し通した。弥久保教授は「西潟がいなければ八十里越はなかった」と見ている。

西潟に名誉欲や権力欲はなく、板垣退助に「栃木県令(知事)に」と声をかけられても断った。
 典型的な井戸塀政治家で、政治活動のため田畑を売り払っただけでなく、莫大な借金まで残したという。
 弥久保教授は西潟為蔵顕彰会を立ち上げ、出身地の三条市を「自由民権運動の聖地に」と呼び掛けている。

 ちなみに八十里越の開通が平成35年なら田中元首相没後30年、36年なら西潟没後100年、37年なら西潟生誕180年となる。

2018年12月14日

初心忘るべからず

 「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉が600年後の今日までことわざとして残っているのは、初心を忘れやすいからだ。だれもが初心を忘れず、持ち続けているのが当たり前であれば教訓になどならない。

 河野太郎外相が記者会見で記者の質問を無視し続けた。
 日露平和条約の交渉相手であるロシアのラブロフ外相の発言の受け止め方を質問されると、仏頂面のまま「次の質問どうぞ」。
 反応をこの場でするつもりもないということかと問われても「次の質問どうぞ」。
 協議に影響を与える懸念もあるがと問われても「次の質問どうぞ」。
 なぜ?と問われても「次の質問どうぞ」。
 壊れたAI(人工知能)スピーカーのようだった。

 河野氏がまだ新人議員だった平成9年に衆院予算委員会と外務委員会で、在ペルー日本大使公邸人質事件にかかる経費について質問した。
 外務省は具体的な金額を隠そうとした。後日、河野氏は自身のブログで
 「このとき僕は外務省というのは平気でうそをつく役所だと思った。事実が外務省の得にならなければ国会に、つまり国民にうそをつく。このときから何度、外務省にきちんと正しい情報を国民に知らせ、外交政策に理解を求めよ、と言ってきたことか」と嘆いた。

 平成15年に政府のイラク政策に反対した天木直人レバノン大使を外務省が依願退職に追い込むと、河野氏は
 「外務省の隠ぺい体質は何も変わっていないではないか」と批判した。
 25年にコンゴ日本大使館放火事件が発生、三等書記官が逮捕されたときは
 「驚いたことに外務省記者クラブ所属の記者は、まったくといっていいほどこの事件を追わなかった」
 「在北京の日本大使館の引っ越しできない事件や、欧州の大使によるセクハラ事件も、外務省記者クラブはほとんどどこも追及しなかった。いったいメディアに真実を追いかけようという気概があるのか」と報道陣の取材姿勢の甘さまで批判した。

 その河野氏が外相になったら「次の質問どうぞ」だ。
 自身が批判してきた「外務省の隠ぺい体質」そのもの。
 「きちんと正しい情報を国民に知らせ、外交政策に理解を求める」姿勢などみじんもない。
 初心はすっかり忘れている。

2018年12月10日

華麗にカレー

 無性にカレーライスが食べたくなるときがある。
 昔、カレーは家庭の味だった。ほとんどの子どもはそれぞれ「うちのカレーが一番おいしい」と思っていた。
 おとなになって専門店などのカレーを食べると、様々なスパイスをふんだんに使ってプロが作った本格的な味にはまるようになる。
 結婚後、子どもができると家庭のカレーは甘口になる。ますます専門店のカレーにはまることになる。

 日本では明治5年に出版された『西洋料理指南』でもカレーの作り方を紹介しているという。
 材料はネギ、ショウガ、ニンニク、バター、エビ、タイ、カキ、鶏、アカガエル、小麦粉、カレー粉。
 当時のカレーはタイやエビ、カキなどを使ったかなり高級な料理だったらしい。不思議なのはアカガエルだ。当時は蛙肉を食べていたのだろうか。
 翌年には大日本帝国陸軍の幼年学校生徒隊食堂でライスカレーが提供されるようになり、明治41年に大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』にもカレーの調理法が載った。いわゆる海軍カレーだ。
 カレーは軍隊など集団の食事向きメニューなのだろう。家庭の定番メニューとなったのは戦後、固形のルーが発売されてからだ。

 家庭で食べるときはカレーとご飯のバランスを気にする必要はない。ご飯が残ったらカレーを足せばいい。
 外食だとそうはいかない。カレーだけの追加は頼みにくい。
 家庭で食べるペースで食べていくと、どうしてもカレーが足りなくなる。ご飯だけ残り、それを福神漬けで食べなければならなくなる。
 前半はかなり美味しいカレーだったのに、最後は福神漬けの味しか残らない。
 バランス良く食べればいいのだが、これが難しい。ついつい、スプーンにご飯は少なめ、カレーは多めに入れてしまう。その方が美味しいから。何事も我慢しながら計画的に進めることが苦手、後のことを考えずにそのときの美味しさを求めてしまうアホなのだ。

 全国展開しているカレー専門店では、最初にカレーの増量と頼めば有料だが、ご飯が余った場合にカレーを追加するのは無料と最近知った。
 宣伝していないサービスらしい。
 黙っているなんて、意地が悪い。