2019年09月19日

文化の丁字路

 「文化の丁字路~西と東が出会う新潟」。
 北前船によってもたらされた上方文化と、佐渡の金銀の運搬のために整備された陸路で伝わった江戸文化が出会った地が新潟だというのが16日に開会した第34回国民文化祭・にいがた2019、第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会のテーマだ。
 西からの文化で代表的なのが佐渡に流された世阿弥の能や柏崎の綾子舞、東は片貝の木遣りなどだ。
 「丁」の字を傾ければ「人」になる。
 東西の文化が交差、融合し、新潟が育んだ「人の文化」をこの文化祭を機に世界や未来に発信していこうというイベントだ。

 人種のるつぼとかサラダボウルと呼ばれている米国の玄関口、ニューヨークには世界中の文化が集まる。
 丁字路というよりロータリー。
 その中心部が一時期、スラム化し、犯罪者の巣窟のようになった。
 ニューヨーク市は地価が下がったこの地域に高層アパートを建てた。
 家賃は格安の年一ドル。
 入居条件は「演劇関係者に限る」。
 その結果、俳優やダンサー、演出家、作曲家から美術や大道具などの裏方関係者たちが続々と集まった。
 演劇関係者たちは夜中まで打ち合わせや練習を続ける。
 そうした人たちを相手にするレストランやバーが開業する。
 荒れ放題だった空き家が稽古場に変わり、周辺のアパートやマンションには他の芸術家や演劇ファンたちも住むようになった。
 こうして廃墟に近かった地域が文化によって生まれ変わり、地価は上昇した。
 市は残っていた市有地を高値で売却し、高層アパート建築などの投資額を回収した。

 ニューヨーク市が図書館を新築した際には、古くなった図書館を大小の劇場と映画館を備えたパブリックシアターに改装し、劇団に貸し出した。
 ここから『コーラスライン』などの有名ミュージカルが誕生、国内外から観客が集まるようになった。
 市は芝居やミュージカルを見るため市内のホテルに泊まる客から宿泊税を徴収。
 図書館改装などに投じた資金を回収した。
 ニューヨークは演劇だった。
 「文化の丁字路」である新潟は、どんな文化をどんな方法で地域づくりに生かしていくべきなのだろう。

2019年09月17日

線香花火

 義理の母の法事に出た。
 読経や焼香を終えると70代の住職が線香花火の話をしてくれた。
 近年、線香花火はコスト面から中国産が主流となっているが、日本で生まれ育った日本的な美意識にあふれているのだという。
 外国の花火は色や勢いは派手でも、最初から最後まで一本調子が多い。線香花火には着火から終わりまでに四つの状態がある。
 点火すると、火薬はこれから先のエネルギーの放出に備えてブルブルと小刻みに震えながら赤く、丸い火の玉を作り、それを徐々に大きくして力を蓄えていく。この状態を「つぼみ」と呼ぶそうだ。
 ある程度の時間をかけて静かに準備を整えると、短めの火花をバチッ、バチッと力強く飛ばし始める。火花が四方八方に飛び始めた状態を「牡丹」という。
 やがて火花は勢いを増し、飛び出す間隔も短くなる。三つ、四つに割れた長めの火花がババババッとあちこちに飛び散る状態が「松葉」。
 大量のエネルギーを使った後は火花も短くなり、飛び散り方もパッ、パッと間隔が開く。この状態が「散り菊」。
 最後は小さくなった火の玉がポトリと落ち、あるいは落ちないまま熱を失い、0.08gの火薬によるショーは幕を閉じる。

 物理学者で随筆家だった寺田寅彦も「線香花火の一本の燃え方には、『序破急』があり『起承転結』があり、詩があり音楽がある」と書いている。
 住職は「なんだか人生のようでしょう。生まれてから子どものころまでは人生の準備期間のような『つぼみ』、青春時代は元気で華やかな『牡丹』、仕事や家庭などで力を発揮する実年世代が『松葉』、そして老年期が『散り菊』。ただ線香花火の火の玉がいつ落ちるのかは分かりません。『つぼみ』で落ちることもあれば、『牡丹』で落ちることもある。風が吹いて落ちることもあれば、隣の人とぶつかった腕が揺れて落ちることもあります。因果は予測できません。諸行無常です」と説いた。
 仏教用語の因果や諸行無常の深い意味までは理解できなかったが、線香花火からいろいろな人生があることは感じた。
 通夜式などでは退屈な法話もあるが、僧侶としっかり向き合って聴く法話はやはりありがたいものだった。

2019年09月10日

姪の結婚式

 姪の結婚式に出席した。
 新潟市内の病院で看護師をしている23歳。
 招待する友人たちの都合を考えたのだろう、新潟市の会場で式を挙げた。
白いウエディングドレスの姪っ子は、別人のように大人びていた。先日まで幼さが残っていたのに、しぐさも笑顔も、すっかり「花嫁」だった。
 この日のために、好きなラーメンも我慢してダイエットに励んだというウエストを見る限り、話題の政治家とアナウンサーのカップルのようなできちゃった婚ではなさそうだった。

 叔父の立場で出席する結婚式は楽しい。
 父親のように緊張することもなければ、友人のように「盛り上げなきゃ」と頑張る必要もない。
 気を遣わなければならない取引先や会社の上司もいない。
 「お飲み物は?」というウエイターに「このカクテル、上から順番に全部ね」と頼んでも、妻に「アホ」と言われるだけで済む。
 新郎新婦を冷かす友人たちの様子を眺めながら、ひたすら飲んで食べていればいいのだ。
 若かったころ、友人の結婚式で親族席のおじさんが泥酔していた。
 いま、あのおじさんたちの気持ちがよく分かる。

 とはいえ昔と今では結婚式のスタイルがまったく違う。
 姪の披露宴には、仲人どころか来賓もいなかった。
 新郎自身の「本日はお忙しいところ、僕たちの結婚式にご出席くださり、ありがとうございました。きょうはたっぷり楽しんでいってください。では、乾杯!」で開宴した。
 来賓がいないのだから「新郎は真面目で誠実な好青年」「新婦は優しく穏やかな才女」という、友人たちが「まあ、今日だけはそういうことにしておこう」と目で合図しあう祝辞もなかった。
 スピーチは友人代表だけ。
 余興もカラオケなどはなく、友人たちによる迷演技で爆笑を誘う、凝った映像の上映が続いた。

 最近は神職による神前結婚も、僧侶による仏前結婚も減っているらしい。
 姪の式でも牧師が司祭を務め、我々も讃美歌を歌わされた。
 親族はみな仏教徒なのに、アーメン。
 正月は神社に初詣に出かけ、バレンタインデーにはチョコをプレゼントし、盆は墓参りに行き、クリスマスにはケーキを食べ、結婚式では牧師を前に愛を誓う。融通無碍というべきか、いい加減というべきか。

2019年09月07日

子どもたちを守るために

 悲惨な児童虐待死事件が起きるたびに児童相談所や関係行政機関の対応が問題になる。
 昨年3月、東京都目黒区で5歳の女児が父親に殺された。この家族が以前住んでいた香川県の児童相談所は危険性を把握していたのに、都内の児童相談所への引き継ぎが悪く、事件を防げなかった。
ことし1月には千葉県野田市で10歳の女児が父親に殺された。児童相談所は虐待の事実を把握していたのに一時保護を解除、結果的にそれが惨劇につながった。
鹿児島県出水市で4歳の女児が母親の交際相手の男に殺された先月の事件では、出水市や薩摩川内市、警察と児童相談所の間で連携ミスが分かっている。

 児童相談所は都道府県や政令指定都市が設置している。
 児童福祉法は児童虐待などに関する市町村の業務を「児童等の実情の把握、情報提供、相談、指導」と定め、専門的知識、技術は「児童相談所に助言を求める」ことになっている。
 児童虐待などの実情把握に努めること、県などに必要な情報提供を行うこと、家庭などからの相談に応じ、調査や指導を行うことが市町村の仕事だ。
 一方、専門的な相談や調査、判定、一時保護などは都道府県の業務。虐待防止法に基づく立ち入りなども知事の権限だ。
 市町村と都道府県、それぞれの役割が法律で定められている。それがうまく機能すれば虐待は防げるはずなのだが、実際には虐待がなくらっていない。狙い通りに機能していないということだ。

 新潟県内には県が5か所、新潟市が1か所に児童相談所を設置している。
 昨年度、県内の相談所が対応した児童虐待に関する相談は2793件。10年前の3倍以上に増えている。
 内訳は心理的虐待が59%、身体的虐待が26%、育児放棄などのネグレクトが17%。
 主たる虐待者は実母が48%、実父が46%、実父以外の父親が5%だ。
 県の児童相談所では児童福祉司や児童心理司など約70人が対応している。東京や千葉、鹿児島のような事件を新潟で起きないようにするために、専門職員を増強し、市町村と県、警察などの連携をより強化していかなければならない。

2019年08月17日

地元が一番!

 TBSテレビ『マツコの知らない世界』という番組が枝豆を特集していた。
 全国の豆を食べ歩いたという豆探検家の女性が山形の「だだちゃ豆」や青森の「毛豆」、兵庫の「丹波篠山黒枝豆」などを紹介していた。
 新潟産は「おつな姫」がちらりと映っただけだった。
 枝豆や野菜などの美味しさを左右するのは品種だけではない。栽培時期や鮮度によっても味は大きく変わる。
 いくら丹波の黒豆が美味しいといっても、本来は10月が適期の品種をいまごろ食べて美味しいわけがない。
青森や山形などの枝豆も、東京のスタジオまで運ぶ間に鮮度は落ちてしまう。
 県央で朝採った「湯あがり娘」をすぐにゆでて食べたときの香りや甘みにかなうわけがない。
 私たちが地元で食べている旬の枝豆、ナス、キュウリ、トマト、モモ、ブドウの美味しさ。
 これこそ「マツコの知らない世界」ではないだろうか。

 地元びいきついでに言うと、ラーメンも遠くの有名店はたまに行くだけで十分。地元が一番うまいと思う。

 最高気温が40度を超えた日も地元のラーメン店で、首に巻いたタオルで汗をふきながら大油ラーメンを食べた。
 この店はチャーハンもうまい。強烈な火力で炒めたパラパラの食感と、チャーシューから染み出る塩味がたまらない。
 主力メニューのラーメンが700円なのに対してチャーハンは800円。主力よりも100円高いのは、鍋を振って素早く作る技術料なのかもしれない。

 若いころはラーメンとチャーハンの両方を食べていたが、いまは無理。
 いつもどちらにするか悩んだ末に、背油を振りかけた太めんのラーメンを食べている。
 猛暑日は2人で行ったのでラーメン2人前のほかにチャーハンを1人前頼み、分け合って食べた。
ラーメンと一緒に食べるチャーハンがまたうまい。
 口の中に残る背油のこってり感を、パラパラのチャーハンが一掃してくれる。
 そこにまたラーメンのスープを流し込むと、炒めたコメがさらに違う味になる。
 ラーメンと餃子は主従のような関係だが、この店のラーメンとチャーハンはどちらも主役級の最強コンビになる。
 枝豆もラーメン店も、県外の有名銘柄、有名店より地元が一番だ。

2019年08月14日

自己責任

 東京で働いている幼馴染からラインで連絡が来た。
 「きょう午後7時に東三条駅に着く。予定ある?」。
 いつも突然なのだ。久しぶりだったので「東三条周辺で飲もうか」となった。
 駅近くの店で先に飲み始めた。生ビールが空になっても来ない。
 どの電車で来るのか時刻表を調べたら、信越本線は上下線とも午後7時ちょうどに到着する電車がない。 電話をしたら「いまタクシーの中だ。見附のあたりにいる。もうちょっとで着く」。見附にいて「もうちょっと」はない。相変わらずいい加減な奴だ。

 幼馴染は柏崎での仕事を終え、柏崎駅から信越本線の普通列車に乗った。
 列車は長岡行きだった。長岡駅で新潟行きに乗り換え、午後7時すぎに東三条駅に到着する予定でいた。
 長岡駅が終点なのだから乗り過ごす心配はないと安心したのがいけなかった。
 車内で熟睡したらしい。
 気付いたら車内の乗客は自分ひとり。電車の走り方もいつもと違って、いやにゆっくりだった。
 「おかしい」と思って運転席まで行き、ドアをノックすると運転士の方が驚いた。
 結局、宮内駅近くにある車両基地の長岡車両センターまで行って降ろしてもらい、そこからタクシーで三条まで来たという。

 「運転士が若い奴でさ。『長岡駅に行きたかったんですか』とか聞くんだよ。車両基地に行きたいわけないのにな、オレ、鉄道オタクじゃないんだから」。
 でも、寝過ごしたお前が悪いんだから。
 「終点で乗客全員が降りたか確認しないのかって聞いたんだよ。そしたら運転士はムッとして『ワンマンですから』とか言ってた。そういうルールなのか知らないけど、乗客には関係ないからね」。
 いや、寝過ごす方が悪いんだって。
 「車両基地に向かう列車の速度が異常に遅いんだよ。途中で降ろしてくれと頼んだけど『ダメです』。もっと早く走ってくれと頼んでも『ダメです』。意地悪だよなぁ」。
 寝過ごさなきゃいいだけなんだって。

 車両基地から長岡駅まで戻っても、7時すぎに東三条駅に到着する電車には間に合わない。やむを得ずタクシーに乗ったが、料金は1万円だった。
 新幹線で燕三条駅まで来て、そこからタクシーに乗った方が早くて安かったなと言うと
 「あっ、そうか。あいつはそういうことも教えてくれなかったんだよ」。
 車内では自分で起き、車外では自分で考えよう。

2019年07月27日

ニコ二胡ニコ

 二胡(にこ)は、2本の弦を弓で弾く中国の伝統的な弦楽器だ。
 原型は唐の時代からあり、共鳴箱となる胴にはニシキヘビの皮、弓には馬の尾毛が使われている。
 中国・上海出身で日本の共立女子大を卒業した二胡奏者チェンミンさんが先日、三条市の真宗大谷派三条別院(東別院)本堂でコンサートを開いた。1曲目は二胡の独奏。2曲目からはギターとアコーディオンも加わってトリオで全15曲を演奏した。
本堂の戸を開け放ち、扇風機を回しながら夕方スタートのライブ。外が明るいうちは救急車やオートバイなどが走る音が聞こえたが、暗くなるに連れて本堂ならではの厳かな静けさの中での演奏となった。

 二胡は弦が2本しかないのに音域は広い。3オクターブを軽く超える。
 音色も豊かで、ときには太く、本堂の柱も揺らしかねないように響き、ときには繊細で華麗な、澄み切った高音を鳴らした。
 二胡という楽器が素晴らしいのか、チェンミンさんだからこれほど表情豊かな演奏になるのか。
 人間の声とはまったく違う音なのに、人が歌っているようにも聴こえる。京劇の滑稽役のようなコミカルな話し方もあるが、圧巻は『風林火山~異郷情』のようなドラマチックな展開の曲だ。
 壮大な情景を描き出し、英雄たちの激情を表すように朗々と歌い上げる。
 ギターとアコーディオンとのトリオでこの迫力なのだから、ピアノやオーケストラと組んだら、どれほどのスケールになるのだろう。

 本堂の畳に座ったり、低い椅子に腰かけて聴いているのだから、二時間にわたって同じ体勢を保つのはきつい。
 足はしびれ、尻も痛くなる。
 隣の年配の女性たちは足を伸ばしながら
 「これ、何という曲だったっけ?」
 「『花の首飾り』らて」などと話している。
 「チェンミンさんて何歳らろっかね」
 「五十歳ぐらいじゃないの?」
 「なにね~!三十歳ぐらいに見えるねかて!」といった声も聞こえてくる。演奏中に。
 雑談は演奏の合間に済ませ、演奏中は静かにしてほしかったが、足も痛いし、場内は暑い。
 クラシックのように静かに聴く環境ではなかったのだろう。
 次はコンサートホールで聴いてみたい。